「この辺りでお昼にしましょう」
手綱を引いて馬を止めている間に、後からついてきた侯爵邸の使用人たちが食事をセッティングしてくれる。
あっという間にテーブルの上には新鮮な果物やパン、ジュースなんかが所狭しと並べられた。
「こんな所で食べると更に美味しく感じるわね」
「本当だね」
シャールとサラはお互いシェアをしながら色々な食べ物を楽しんだ。
「ところでサラ、この間はごめんね。父上も謝りに行ったって聞いたけど迷惑をかけちゃって」
「いいのよ!むしろうちのお父様なんて恐縮しちゃって大変だったわ。悪いのはルーカだけなんだからそこまでして貰わなくて良かったのに。私もワインかけちゃったしね」
いたずらっ子のようにくすくすと笑うと長い黒髪も楽しそうに揺れた。シャールもつられて笑いだす。
「あーでもその場面見たかったなー。テーブル離れちゃってたから悔しい」
「そう?じやあもう一回やる?」
「サラってば!」
今度こそ二人とも爆笑して草の上で笑い転げる羽目になった。
「ああシャールがオメガじゃなかったらお嫁に行くのに!」
「僕もサラが男性だったら結婚を申し込むよ」
「じゃあ私たち相思相愛じゃない?!」
「最初からそうでしょ」
「確かにね!」
そうやってまた二人で笑い合った。
……シャールはサラほど気の合う友人を他に知らない。
けれど前生では二年後に隣国の貴族と結婚して遠くに行ってしまうのだ。
でもサラらしく熱烈な恋愛結婚でとても幸せそうだった。
(僕が死んだ時そばにいなくて良かった)
彼女が巻き添えになったら……そう思っただけで目の前が真っ暗になった。
本当にそれだけが不幸中の幸いだった。
「サラはきっともうすぐ素敵な人に出会って幸せになるよ」
「なあに?それ。預言者みたい」
預言者……。
先のことを知っていると言う意味であればシャールは預言者だろう。もう二度とあんな残酷な最後を迎えるつもりはないが。
「結婚なんてまだしないわ。シャールと遊んでる方が楽しいもの。今度は狩に行かない?」
「せっかくだけど狩は無理だよ。可哀想で矢なんて打てない」
「まあシャールは優しいものね。それにオメガって昔は女神の象徴だったじゃない。男性の強さと子供を産める女性の性を併せ持つ神秘的な存在だわ。無益な殺生はできないわよね」
「そうだねそれもあるのかな」
「でもあながち伝説でもないと思うのよ。歴代のオメガ皇后は本当に人徳者で聖女みたいだったじゃない?」
「そうだね、歴史書を見てもオメガ皇后が成し遂げた慈善の功績は大きいよね」
「……でもさ」
サラは声をひそめた。
「この間ね、皇后陛下にお目にかかったんだけどあの人は例外だと思わない?」
「……そうだね」
シャールはベラの蛇みたいな目を思い出した。
「それにセス皇太子だけど……あの人本当にアルファなの?あんな頼りない人と結婚なんていいわけ?」
「……いいも何も……僕が生まれた時から結婚は決まってるんだから仕方ないよ」
シャールの言葉にサラは大きくため息をついた。
「あーあ私が攫って逃げちゃおうかな」
シャールは笑ったが、本当にそうできたらどんなに幸せだろうと思っていた。
「オメガは女神と言われても、自分を幸せにできなきゃ意味ないよね」
「そうね……」
しんとした草原に風が一陣吹き抜けた。それは今のシャールの感情のように小さく抗いながら草を揺らす。
シャールは別にオメガに生まれたかった訳ではない。ただ真っ当で平穏な人生でよかったのに。
「……サラは幸せになってね」
シャールの言葉にサラは目を丸くした。
「何言ってんの。シャールも幸せになるのよ」
「なれるかな」
「勿論よ!」
ふわりといい匂いがしてサラがシャールを抱きしめたのだと気付く。
「……ありがとうサラ」
もし未来が変わってサラが結婚せずこのまま国内に留まったら……。
その時は彼女のことも全力で守ろう。
そして僕たちは幸せな人生をいつまでも笑いながら歩いていくんだ。
その日も朝から妃殿下教育でシャールは変わり映えのしない授業にほとほと疲れていた。
教師のせいではない。
彼らは一生懸命教えてくれているし、まさかシャールが人生二度目だなんて知らないのだから。
それに出来がいいとは言ってもきちんと最後までカリキュラムをこなさなければ彼らの沽券に関わる。どの教師もその道のエキスパートたちだ。プライドも責任感も人一倍なのだから。
「はあ疲れた」
昼休み中庭のテラスでぼんやりしていると足元に子猫が擦り寄って来た。
「え?可愛い!こんな子いたんだ?!」
にゃおんと小さく鳴く真っ白のその子は、首に赤いリボンと鈴を付けていた。
シャールがそっと抱き上げて膝に乗せると、あっという間に眠ってしまいうっかり身動きが取れなくなる。
「……もう少し大丈夫かな」
あまり食欲もないし進まない食事をするくらいならここで猫と居眠りでもしていた方がずっと体にも良さそうだ。
子猫の柔らかく暖かい身体を撫でていると、その子は何かに気付いたように突然ガバッと身体を起こしてぴょんと飛び降りてしまった。そして草むらの方へよちよちと歩いて行く。
「歩く姿も可愛い。飼い主のところに戻るのかな?」
どう見ても雑種の野良猫上がりだ。王族の誰かが飼っている訳ではないだろう。多忙な住み込みの使用人に猫なんて飼う余裕があるとも思えない。
「あの子の飼い主はどんな変わり者なんだろうか」
シャールはその顔見たさに子猫の後をついて行った。
「あ!ミルキーどこに行ってたんだ?」
「にゃん!」
薮の向こうで優しい声がする。
(ミルキー?可愛い名前)
そっと覗くと、そこにいたのはアルジャーノンで、シャールは思わず「あっ」と声を上げてしまった。