シャールが腕を離すと、アミルは苛立ちに目を釣り上げて叫んだ。
「この私になんてことを!この件はルーカ様にきっちりと報告しますからね!」
アミルはギリッと唇を噛みシャールを睨む。
それを見てシャールはアミルに大きく平手打ちをした。
パン!という小気味良い破裂音が馬車の中に響き、アミルは信じられないものを見るような顔でシャールを見た。
「なっ……!?」
「ごめんね乱暴して」
「え……」
「ルーカのことは言いつけるなり泣きつくなりお好きにどうぞ」
シャールは優雅に椅子に座り直し、妖精のようににっこりと微笑んだ。
男爵邸に着いたとドアの外から遠慮がちな御者の声がした。シャールは邸の前まで送るようにと指示を変更する。
「こっ、こんなことをして許されると?!暴力なんて公爵様もお許しになりません!」
震えながらもまだ悪態をつくアミルにシャールは首を傾げて笑った。
「そうかな?父上ならミッドフォード公爵家の嫡子が侍女ごときに侮辱される方が怒ると思うけどね?君はどう思う?」
「侍女ごときって!わたくしはルーカ様の専属侍女です!」
「ああ、そうだね養子のルーカのね?ところで公爵家の正当な跡取りは誰だったかな?」
その言葉で初めてシャールの立場を思い出したのかアミルはハッとした顔で俯いた。
「でっ、でも!シャール様を追い出せばルーカ様が公爵家の跡取りになるって……」
「……そしてアミルの実家の子爵家を助けてくれるって?」
驚いた顔でシャールを見るアミル。
(僕の情報屋は優秀なんだよ)
その脳裏には不敵に笑う宝石屋の顔が浮かんでいる。
「ルーカはオメガの保護と教育のために一時的にうちの養子になったに過ぎない。後継なんてとんでもない話だね。父上がミッドフォードの血が一滴も流れてないルーカに公爵家を任せると本気で思ってるの?」
「それは……でもルーカ様がそう言いました!」
……この人そこそこ良い歳だと思うんだけど本当に頭が悪いな。
「お兄さんの借金癖で爵位まで売ることになってるんだって?」
途端にエミルの頬に朱が走る。
「僕ならルーカみたいに適当なこと言って使い捨てにはしないよ」
「えっそれはどういう……」
「自分で考えたら?」
丁度馬車が男爵邸の入り口に着いた。
窓からチラリと外を見るとドアを開けるはずの使用人たちが知らん顔をしている。
「ほんと低レベルだね」
そう呟いて自らドアを開けたシャールは、ドレスをひらめかせ颯爽と馬車から飛び降りた。
「ようこそシャール様!」
会場である庭園に着くとアーリーの婚約者、タチアナがシャールを出迎えた。
「この度はお招きに預かりまして……」
決まり文句の挨拶を始めようとしたところでタチアナが眉を顰めてシャールを見ていることに気が付いた。
(え?なんなの)
「……まあ、シャール様。そんなに地味なドレスで。部屋着かと思いましたわ」
扇も使わず口を開けて笑うタチアナ。
(仮にも貴族なのに。いくら娘が可愛くても我儘を聞いて教育をしないっていうのは本人のためにならないよね)
これから先、社交界に出るようになったタチアナは一瞬で皆に嫌われてしまうだろう。
仕事関係にも悪影響を及ぼすし横の繋がりがなくなると情報も入ってこず、たちまち孤立して廃れていく。
没落待ったなしだ。
(……まあ僕の知ったこっちゃないけどね)
返す言葉もないし会話を楽しむ気もないので黙っているとタチアナが勝ち誇ったように微笑んだ。
「まああまり気になさらないで。わたくしのドレスに比べたら国内の大半の物は地味で質素ですからね」
そう言ってタチアナはシャールの目の前でくるりと回って見せた。
(……いや待って?なにそのドレス?あんまりじゃない?)
財力だけはある子爵家がわざわざ娘のために取り寄せたに違いない。
他の国で流行っているというピンクのドレスは、あまり肌が白くないタチアナにはびっくりするくらい似合ってなかった。
「とてもお似合いですね、その……飾りがたくさん付いてて……色もはっきりしてて……」
「そうでしょう?!メイクもこの色に合わせたのよ」
確かに目の上も頬も濃いピンクだ。
(……フラミンゴ)
そう思うと小憎たらしいその顔もユーモラスに見えてきて僅かに溜飲が下がる。
「あらー?シャールじゃない」
「サラ!」
ハキハキと明るい声に振り向くと親友のサラが立っていた。墨のような艶のある長い髪を綺麗に束ね、真っ赤なドレスが背の高い彼女にとてもよく似合っている。
彼女は侯爵家の令嬢で子供の頃から気の合う友人なのだ。
「あ、そのドレス!まさか!」
「そうよ気付いた?」
王室御用達のブティック「ジャルダン」で先日発表された大人っぽくモダンなそのドレスは、着る人を選ぶデザインのためジャルダンみずから売る人を決めると宣言されて話題になった。
「え?すごい!サラが選ばれたの?」
「そうみたい。着てくれってうるさいから貰ってあげたの」
「さすがサラだね!」
わざとそんな言い方をするサラだが、ジャルダンが彼女に心酔しているのは周知の事実だ。そして彼女もまた、ジャルダンの信頼に応えるように彼の作品を世に出す手助けをしている。
「シャールのドレスも凄いわ。それまさか全部シルク?私のドレスでも叶わない素晴らしい出来だわ!どれだけ公爵様に愛されてるの!」
「綺麗でしょ?でもうちの領地の特産品だから実はそんなに高くないんだ」
「ほんと?!是非紹介して。ああそのレースも素敵」
サラは興奮冷めやらぬ顔でまじまじとシャールのドレスを眺める。そのうち周りの貴婦人たちも気がついたのか、一斉にサラとシャールを取り囲み二人で話題を独占してしまった。
「なによ……今日の主催は私なのに……」
その言葉にサラがタチアナの方を見た。
まるで今初めて彼女の存在に気付いたとでもいうように。
「あらタチアナ嬢、素敵なドレスね」
「そうでしょう?!」