「どうかしたのかしら?」
心ここに在らずのシャールに気付いたのか、多少の不愉快さを滲ませた声が飛んできた。
「いえ、お菓子があまりにも綺麗で見惚れておりました」
「そうだったの、可愛いことを言うわね。好きなものを召し上がれ」
「ありがとうございます」
皇后は比較的シャールに優しい。
けれどそれは侯爵家の財産と、歴史のある家門からの後ろ盾が必要だからと言う理由で、だ。
国王の嫡男はセス一人だが、疑り深い皇后は万が一のことを考えているのだろう。
確かにセスは剣の腕や「現時点での」人柄に関しては問題ないが、国王としての判断力や統率力、事務処理の才は無いに等しい。
(その分僕が補っていたんだけど、今生はそのつもりはないからなあ)
シャールは皇太子妃候補のアーシャが優秀であるようにと祈った。
「……シャール?聞いてる?」
「んっ……はい!」
考えごとをしながら甘味を補給していたシャールは、突然の呼びかけに驚き喉をつませそうになった。
「……大丈夫なの?」
「っ……はい、失礼しました。なんでしょうか」
「貴方が優秀だと褒めたのよ」
「それは先ほど……」
「そうじゃなくて、私に領地を譲らなかったでしょ」
冷ややかにそう切り出されて、背中がゾクリとした。
「……港はお気に召しませんでしたか」
「貴方の手腕が見事だと言ったの。それほどまでに渡したくない何かがあったのかしらって勘ぐっちゃったわ」
ほほほと、楽しそうに笑うベラにシャールは警戒心を強める。
「あら?大丈夫よ。今更嫌だなんで言わないわ。ちゃんと契約書も交わしたでしょ?それに皇太子と貴方が結婚すれば財産は共有になるんですもの。その時でも遅くない」
……そう来たか。
けれどセスとはなるべく結婚したくない。
アーシャ嬢が大人になるまでの繋ぎとしても、出来れば避けたい。
その為にどう動いたら有利になるだろう。
……結婚まであと五年。
その間に思いつく限りのことをやってみる。
そして最後まで足掻いて見せよう。
公爵邸に帰り着いたシャールはドレスのまま自室のベッドで仰向けに寝転んでいた。
考えることは山ほどある。
一本通すところを間違えると取り返しがつかない繊細なレースを編んでいるような気持ちだ。
「あらあらシャール様、お昼寝ならちゃんとお着替えなさいませんと。おやつをお持ちしましたけど後にしましょうか?」
「食べる!」
シャールはガバッと起き上がって急いで椅子に座り、マロルーの淹れてくれるお茶をソワソワと待った。
「ありがとう!マロルー。一日中ずっとこれが飲みたかったんだ」
ハーブの香る湯気だけでシャールにとってはご馳走だ。それこそ王宮で出されるどんな料理だって敵わない。
「あー美味しいー。心にもすごく美味しい」
「まあシャール様、随分お疲れですね」
「うん勉強やお作法はいいんだ。なんていうか心理戦?皇太子や皇后陛下と話すのが本当にしんどい」
(セスは相変わらず僕に執着するし皇后は最近なにやら当たりがキツいんだよな……やっぱりあの森が手に入らなかったことを根に持ってるのかな)
国王が病気がちな状態だから実質この国で一番権力を持ってるのにどこまで強欲なんだろう。
「……あれ?」
シャールはおやつの皿に手を伸ばしかけて、ふとそれがいつもの物ではない事に気がついた。
「マロルーこのクッキーは……」
「はい、領地の名物になった黒糖クッキーですよ」
「まだあったかいけどマロルーが焼いてくれたの?」
「ええ、そうです。旦那様にレシピを教わりました。シャール様がお好きだから作ってくれるならありがたいと仰ってましたよ」
ほほほと笑うマロルー。
シャールは二人からの愛情を感じて胸が暖かくなる。
(父上……)
これも過去にはなかった事だ。そもそも父上と二人でクッキーを食べたこともない。領地の名物がこのクッキーだなんてことさえ知らなかったのだから。
「すごく美味しい」
以前のものよりバターが多いのか格段に風味豊かになっている。公爵家のおやつということで採算度外視でバージョンアップしたに違いない。
マロルーの腕もあるだろうがサクサクも五割り増しになっていて、シャールは夢中になって食べ進めた。
「そう言えばそろそろ二ヶ月ですね」
「え?なにが?」
「ルーカ様が謹慎を言い渡されてからですよ」
「……あっ」
そうだ、謹慎解除……
何で忘れてたんだろう。このタイミングで大きな事件があったじゃないか。
バタン!!
「シャール!」
ノックもなしでドアが開いて真っ青なドレスを着たルーカが部屋に飛び込んできた。
「シャール!あのね!あ!何食べてるの?美味しそう!!」
そう言うなり、向かいに腰掛けて早速クッキーを口に放り込んでいる。
……うるさい。声もうるさいけど真っ青なドレスと派手な化粧が目にうるさい。
「……ルーカ様、クッキーのかけらがお口からこぼれてますよ」
「ほんとだね。後で掃除しといて」
行儀が悪いと言うマロルーの遠回しな苦言は通じなかったようだ。まるで言うことを聞かない幼児を見るような目でルーカを見ているマロルーが哀れで仕方ない。
マロルーがやれやれという顔で掃除用具を取りに出て行ったのを確認して、シャールはルーカに声をかけた。
「ルーカ、なにか用事があったんじゃないの?」
「あ、そうそう」
ルーカはお菓子で汚れた手をドレスで拭いて、ポケットから一枚の封筒を取り出す。
「なにこれ」
シャールは指先で摘むように受け取った。
「知らないの?招待状だよ。もらったことないなんて可哀想。僕なんかいつもパーティーに呼ばれてるけど」
(……そうじゃない)
そうじゃないけどそれについてルーカの誤解を解くなんて面倒なことはごめんだ。
シャールは黙ってその封筒にペーパーナイフを当てた。