城までの道はきちんと整備されているので、お尻が痛かったり気分が悪くなることもない。
おおよそ一時間の道のりを広場の露店の様子や新しくできた店などを見ながらのんびりと過ごした。
「おはようございます、シャール様」
城に着くと、教師が恭しくシャールに腰を折る。
セスが溺愛しているオメガ姫と噂が広がり、結婚する前からすっかり城でも有名人になってしまった。
「おはようございます。本日もよろしくお願いします」
「こちらこそ。シャール様は一から十を学び取られる方なのでわたくしなど実はもうなんの役にも立たないのではと思っているのです……」
(……しまった。国内でも有名な教師の自信をへし折ってしまった)
シャールにとってすべて一度学びその上実践してきた内容だ。
どの教師も優秀だと褒め称えるが、ある意味当然なので騙しているようで心苦しい。
「いえいえ、本を読むのが好きなだけなんです。けれどエルバ先生は本にはない独自の持論をお持ちなので視野が広がります」
「シャール様!!」
感涙に咽び泣くとはこのことか。
だが、初老の男性が目に涙を浮かべているのはどうにも居心地が悪い……。
ここはさっさと授業を始めて貰おう。
「では早速お願いします」
「おお、そうでしたな、失礼致しました。では始めましょう」
そうして知ってることをなぞるだけの学習が、昼食の時間になるまで続けられるのだった。
「気持ちいいなあ」
今日はとても天気がよく、初夏特有の涼しい風がシャールの頬を撫でる。
昼の休憩を庭園で過ごすのもすっかりシャールの日課になっていた。
「?誰かいるのかな?」
耳に届いた微かな人の声に誘われ、散歩がてら足を向ければそこは宮廷騎士団たちの訓練場だった。
剣を振ったり走り込んだり。腕立て伏せをする者もいれば組み手をしている者もいる。
約五十名ほどの騎士たちがそんな風にそれぞれ鍛錬に励んでいた。
「すごいなあ。僕も剣術習えないかな」
そうすれば襲われても自分でなんとかできるし、自信もつく気がする。
そんなことを思っていると、一際大きな声が聞こえた。
「そこ!もっと踏み込め!」
その声にハッとしてシャールは身を乗り出す。
(アルジャーノンの声に似ている!!まさか……)
シャールは植え込みをガサガサと超えて、練習場に足を踏み入れ、声の主を探した。
「え……?シャ……シャール様?」
その中の一人にうっかり見つかってしまい、気まずい思いをしながら取り敢えず頭を下げて挨拶をしてみる。
するとたちまち訓練場にいた人たちがわらわらと駆け寄って来た。
「どうしてこんなむさ苦しいところに!」
「何かありましたか?!」
「お困りですか?」
(えーみんな親切すぎる!)
緊張から戸惑って動けないシャールの側に、その人は走って来た。
「どうかされましたか?私はこの隊の隊長、アルジャーノン・ジュベルと申します」
「あっ……」
(やっぱりアルジャーノン!!生きてる!)
思わず涙が溢れそうになり、慌てて目を擦る。
そして彼の腕に赤いリボンを見つけ、先日自分を助けてくれた騎士だったのだと思い当たった。
「あの……」
頼もしい広い背中を思い出し、シャールはドキドキと胸を鳴らす。
目鼻立ちがくっきりとした整った顔、サラサラとした黒髪、金茶の目。
あの頃と何も変わらないアルジャーノンがそこにいた。
「先日は助けて下さりありがとうございました」
ようやく絞り出せた言葉にアルジャーノンは仕事ですからお気遣いなくと笑った。
彼の元気な顔が見られて良かった。
……けれど今世ではあまり関わりになっちゃいけない。
シャールは「それでは」と身を翻す。
しかし、地面の蔓草に足を取られ、ぐらりと体勢を崩した。
「危ない!」
咄嗟に差し伸べられたアルジャーノンの手を掴んだ瞬間、雷に打たれたような衝撃が走る。
(なんだ?これ……)
だが、シャールの意識はそこでブラックアウトした。
「シャールが倒れるなんて!一体何があったのだ!」
城にある客室のベッドで横になっていたシャールは、その大声で目が覚めた。
(殿下……?)
「シャールに狼藉を働いたのはお前か?アルジャーノン!」
セスはアルジャーノンの胸ぐらを掴み今にも張り倒しそうな勢いで怒鳴りつける。
(まずい!)
僕は慌てて体を起こした。
「……待って!違います。何もされてません。それより僕どうしてこんなところに……」
「シャール!気がついたのか!」
(ええ、貴方の大声のせいでね)
「シャール様は突然お倒れになったのです。お身体の不調の可能性がありますのできちんと医師に診ていただいた方がよろしいかと」
アルジャーノンが姿勢を正し、セスに伝える。
「……ああ」
(そうだった。転びそうになったところをアルジャーノンに助けられたんだった)
けれどあの衝撃はなんだろう。
会いたかった人に会えた嬉しさだろうか?
よく分からないけど電気が走ったような感覚で身体中が恐ろしいほど痺れて震えた。
「アルジャーノンがここまで運んでくれたの?」
「はい、お身体に触れた無礼をお許しください」
アルジャーノンは膝を降り、頭を下げた。
「では、私はこれで失礼致します」
「うん、ありがとう」
以前より五歳若い彼はとても元気そうで、騎士団でも責任のある立場になっていてとても嬉しい。
懐かしさと申し訳なさと安心で思わず涙腺が緩んだ。
「どうした?シャール」
あ、まだいたんだ。この王子。
「なんでもないです。立ちくらみでしょうか。ご心配かけてすみません」
「……アルジャーノンと知り合いなのか?」
「えっ?いえ、デモンたちとのトラブルの時に殿下が寄越してくれた方でしょう?お礼を言おうとしただけなんです」
「……ああ、確かにそうだった」
ようやく安心したようで、セスは笑顔を見せた。
「今日はもう休んだ方がいい」
「いえ、大丈夫です」
「……本当に?」
「はい」
(普段の僕は体力が有り余るくらい元気なんだから……だから余計に先ほどのことは気にかかるんだけど)
「……じゃあ少し付き合ってくれるか?」
「どこにですか?」
「行ってのお楽しみだ」
……嫌な予感しかしないその誘いに戸惑うが、断って前生のようにアルジャーノンに火の粉が降りかかるのも避けたい。
シャールは仕方なく作り笑いで「はい」と答えた。