「……皇后陛下、あの森は僕と皇太子殿下がいつも愛を語らっている場所です。結婚した暁には別荘を建て、避暑地にしたいと思っております」
「……本当なの?」
「はい」
シャールは皇后がセスを溺愛しているのを前生の記憶でよく理解していた。
「……いや、それでもダメよ。あそこがいい、あそこにするわ。早くサインして」
(ちっ!ダメか……強欲ヘビ女!)
「皇后陛下!お願いです!僕からあの思い出の森を奪わないでください!」
シャールは嘘泣きをしながら皇后に縋り付く。
「ちょっと!何してるの!ハカン!」
呼ばれた宰相もシャールを取り押さえるわけにはいかない。二人の側でオロオロすることしか出来なかった。
アルバトロスはと言えば、既に馬車の中でシャールの作戦を聞いていたので一人落ち着いて紅茶を嗜んでいる。
「母上!」
その時、バン!と勢いよくドアが開き、セスが大股で二人に近づいてきた。
そしてシャールをそっと抱き寄せると、母親であるベラをキッときつい眼差しで睨み上げる。
「セス……」
「いくら母上とはいえ、シャールを泣かせることは許しません!どうしてあの森に固執するんですか」
「えっ……それはその……」
「まさかご実家の男爵家と組んで森を開拓し、商売を始めようなどと……」
シャールの言葉にベラが目に見えて体を震わせた。
「そんなまさか、皇后が商売をするなんて卑しい真似するわけない。シャール、考えすぎだ」
セスが真面目な顔でシャールに進言する。
「そうですよね、申し訳ございません。そんな卑しい真似、なさるわけないですよね……」
(……まあやろうとしてたんですけどね)
シャールがわざとらしく涙で目を潤ませながら声を詰まらせた。
「だとしたら余計にあそこでなくてもいいだろう。シャールの言うようにあそこは俺たちの思い出の場所だ。そのままにしておいて欲しい」
「……」
「……」
「……分かったわよ」
圧に耐えきれなかったのか、とうとうベラが降参した。
シャールは心の中で大きく安堵のため息をつく。
「……ところでその港、真珠は取れるんでしょうね」
「取れません」
「なんなのもう!まあいいわさっさとサインして」
「承知しました」
そして今度こそ宰相の差し出した書類にアルバトロスがサインをした。
「ではこれで終わりだね。シャールにはちょっと話があるから散歩でもしないか?」
「あ、はい……。喜んで……」
ああ、嫌な予感がする。
いや、予感じゃない。
確信だ。
季節の花が咲き誇る皇室自慢の温室についたセスは、シャールを全方向から眺めて満足そうにため息をついた。
「今日はいつもの何倍も綺麗だな。いや、勿論いつも美しいが。こんな綺麗な妻を迎えることが出来るなんて幸せだよ」
(よし!成功)
シャールは心の中で拳を握った。
「それで?行ったこともない森を二人の思い出の場所だと嘘をついた理由は聞かせてもらえないのかな?」
「それはですね……」
シャールは城についてすぐに、ベラの元ではなくセスに会いに行った。
とにかく理由を聞かずに、ミッドフォードにある森でいつも一緒に過ごしていることにして欲しいとお願いをしたのだ。
時間がなかったこともあり、セスは快諾してくれたが、やはりと言うべきか、今その理由を問われている。
「……ただ、あの森を手放したくなかっただけです」
「……そうか、あの森が好きなんだな」
「そうです……」
目も合わせずそう言うシャールにセスは吹き出すように笑う。
「……なにかおかしかったですか」
「シャールはとても真面目で礼儀正しい印象があったから、こんな風に振り回されるなんて思ってもなかったんだ」
(それがどうしてそんなに面白いんだろう)
シャールは首を傾げでセスを見た。
「じゃあ理由を聞かない代わりに一つ頼みを聞いてくれるか?」
「……僕にできることでしたら」
「そろそろ妃殿下教育がはじまるだろう?」
「はい」
「それを公爵邸ではなくここに来て受けて欲しいんだ」
「えっ?」
そんなこと前生ではなかった。
結婚式までの五年間、数えるほどしか会わなかったんだから。
「でもそれでは殿下に毎日お会いしてしまいます」
「なんだ?嫌なのか?」
「あ、いえ……」
そうですとも言えず口籠るシャールに、セスがまた笑った。
「正直だなシャールは。俺たちはまだお互いを何も知らない。だからもっと会ってもっとシャールを知りたいんだ」
「……はい」
今更。
ほんとうに今更だ。
これから二年後にセスのわがままで護衛もつけず遊びに行った街で、二人は暴漢に襲われる。そしてシャールはセスを庇い背中に大きな傷を負うのだ。
その事件以降セスはシャールとまともに会話もしなくなった。
よく言えば罪の意識。
悪く言えば消えない汚い傷跡を見たくないから。
今となっては本当はどちらだったのかは分からない。
「では早速、明日から来るがいい」
「……承知いたしました」
ここで機嫌を損ねて先ほど皇后についた嘘を追及されても困る。
シャールは仕方なく頷いた。
それから毎日シャールは王城に通うようになった。
支度も大変だが、それよりもルーカの我儘に付き合うことの方が大変だった。
「僕もいく!!」
「まあまあルーカ、貴方は行けないのよ。お母様と一緒に本でも読みましょうね」
(……僕なら発狂してる)
そんな相手にも辛抱強く付き合うのがリリーナの凄いところだ。
「本なんか嫌!読めない字があるんだもん」
(え?まだ読めない字があるの?)
違うことに驚きつつ、シャールはこの隙にと急いで遣いの手を取って馬車に乗り込んだ。
少しずつルーカの声が遠ざかっていく。
(平和だな……)
毎日の登城は大変だけど、ルーカと離れられるのは助かる。