平静を装ってはいるが、この店の売上の半分はミッドフォード公爵家(主にルーカ)だ。ここでシャールの機嫌を損ねるのは得策ではないと判断したのだろう。
「……承知いたしました。確認してまいります」
店長が後ろに下がったので、シャールは用意されたお茶を楽しむことにした。
(うわこの茶葉、滅多に売りに出されない奴だ。このお菓子も人気の店の新商品。さすがだなあ。……でも父上が買って来てくれた黒糖とやらのクッキーの方が美味しかったな。サクサクとした歯触りが……)
「お待たせして申し訳ございません」
そこに現れたのは、スラリと背の高い二十代後半の男性だった。
長めの髪を後ろで一つにまとめ、整った甘い顔に理知的なメガネがピリリとスパイスになっている。
「初めまして」
シャールは彼に向かってにっこりと微笑む。
「美しいオメガ姫、お噂はかねがね。本日はお会いできて光栄です。オーナーのクランと申します」
人好きのする笑顔で上品に笑うその男。
実は情報ギルドのオーナーでもあるという裏の顔を持っている。
シャールの皇后時代、彼はルーカの味方についた。
そのせいで随分と手を焼かされたものだ。
ルーカを支持する貴族達を束ね、シャールが提案する新しい事業にことごとく反対するよう仕向けたり、世論をルーカに好意的になるよう情報操作をしたり。
(けれど今回はそうはさせない)
「どうやらお気に召す石がなかったようで。大変失礼いたしました。ご要望を伺ってもいいですか?」
「一つ質問をしてもいいですか?」
「はい、何なりと」
「あなたはこの国が大切ですか?」
「……面白いことを仰る。大切です。家族もおりますので」
「では貴方のしたことが元でこの国が崩壊の危機に瀕するとしたら、どう思いますか?」
冷静を装っていたクランの肩が僅かに揺れた。
「仰っている意味が分かりかねますが、私にそんな力はありませんよ」
やんわりと笑っているが、メガネの奥の目は鋭くシャールを値踏みしている。
「でははっきり言いましょう。ルーカ・ミッドフォードはいずれこの国を破綻させるでしょう。貴方はそれを手助けすることになります」
「……」
「来たる皇室の婚約式に向けてルーカ……いや、バリアン男爵家に依頼された件がありますよね」
「何のことでしょう」
あくまでシラを切る気だな。まあ当然だけど。
「市民へのルーカの印象操作です。平民オメガの皇太子への恋、それはなんて夢があり素晴らしいのだろう応援するべきだ……と市民を煽るんでしたよね」
「……どうして一介の市民でしかないこの私がそんなことをすると?是非その情報元をお聞かせ願いたい」
クランは白々しくティーカップを指先で摘んで持ち上げる。
「貴方が僕を信用していないのと同じで僕もまだ貴方を信用してません。そんな相手に手の内を明かすとでも?今の話だけで言い逃れはできないとわかっていただけたと思いますが」
「……」
取り繕う必要が無くなったからか、クランはソファに深く腰掛け、天を仰いだ。
(秘密厳守が鉄則の情報ギルドにおいて、依頼内容が漏れるなんて致命的なことだ。平時を装っているけど内心焦ってるはず)
もっと焦ればいい。
そして依頼を受けた時に感じた迷いを思い出せ。
それこそが貴方の本心だ。
「……シャール様。私に何をお望みですか?」
「バリアン家からの依頼を断ってください。彼らに首根っこを掴まれたらもう離れることは出来ません。それがどんなに意に反することだとしても」
「…… そんな依頼を受けていたとしても、一度引き受けたら断ることは出来ません」
「では僕からも一つ依頼をします」
「どんな?」
シャールは依頼内容をクランに告げた。
「……なるほど。面白い方ですね、シャール様」
「難しいことではないでしょう?」
「それはそうですが……ただ、これで先方からもう次の依頼は無くなるでしょう。失敗したと思われても仕方のない結果になるんですから。私どもに何か得はあるのでしょうか」
……確かに。この頃まだクランのギルドは立ち上げ間も無くで顧客も少ない。多くを資金を表の仕事、この宝石店で賄っていた。
だから得意先であるルーカのくだらない依頼も受ける羽目になったのだ。
「数年後、鉱山から宝石を発掘予定です。その原石を加工からデザイン、販売まで全てお任せしましょう。この国は宝石の生産量が少ない。他国から法外な手数料を上乗せされて輸入するより割がいいのではないですか?」
「……それを信じるほど世間知らずではないのですが」
シャールは膝の上で拳を握る。
確かに今現在、この言葉を信じろと言うのはかなり無理がある。
シャールは大きく息を吐いてクランをまっすぐに見据えた。
「信じる信じないはあなたに任せます。今までもそうやって生きて来たのでしょう?」
平民が宝石店を立ち上げるなんて余程のことがないと無理だ。それを成し遂げた彼は、自分の直感や見る目に自信を持っている。
しばらく黙ってシャールを見ていたクランはふっと薄く笑って頷いた。
「シャール様は不思議な方だ。まるで未来が見えているかのように」
シャールはすました顔でただ黙っている。
「……分かりました。シャール様の言う通りにします」
「ありがとう。では今回の依頼金をお渡しします」
シャールはマントの中に隠し持っていた鞄から、金貨の入った袋を出す。そして袋を逆さまにして目の前のテーブルに全部出して見せた。
「……多すぎます」
ずっと積み立てられてきたシャールの割り当て金だ。派手なことを好まないお陰で今まで使い道もなくずっと据え置かれていただけの死に金。
彼を味方につけられるならこんなもの惜しくはない。
「貴方はこれからその能力でもっと稼ぐようになります。それこそ国をも動かすくらいに。先行投資です、貴方への」
ぽかんとシャールを見ていたクランの耳がじわじわと赤くなっていった。
「か、買い被りすぎです。それなら残りのお金でシャール様にぴったりの宝石を選ばせてください」
「よろしくお願いします」
「それと、敬語はおやめください。たかが宝石店のオーナーに敬語を使う貴族はいません」
「そうですか?じゃあこれからもよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
頭を下げるその様子に、僅かだが彼が心を許した様子が垣間見え、シャールは安堵のため息をついた。