社交界には滅多に出てこないバリアン男爵家だが、それでも財政難であるとかその原因が男爵の女遊びであると言う噂は流れている。
……あながちただの風評被害というわけでもないんだな。
シャールは美味しそうに焼き菓子を食べるダリアを切ない思いで見つめた。
……だが、
「……叔母さま……」
「どうかしたの?」
古いドレスは痩せてしまった身体には大きいようだ。腕を伸ばした拍子にずれて、その肩に大きな傷があるのが見えた。
まだ新しいそれはチラリと覗いただけでも複数あり、痛々しく色を変えている。
「……まさかとは思いますが、叔父上は叔母さまに暴力なんて振るってませんよね?」
「えっ」
慌てて首元を整えると怯えたような顔で自分の体を抱きしめ、シャールを見た。
「……どうしてそんなことを?」
「それは鞭の跡では?」
「違うの、私が悪いのよ」
やはりあのジジイ……
「何が悪いのかは分かりませんが、何があっても暴力を振るう理由にはなりません」
「シャール……」
美しい目に涙が溢れる。
けれどすぐにハンカチで拭い、困ったような泣き笑いを見せた。
「分かってるの。でも私は初めて会った時からあの人が好きなの。だからお兄様の反対にも耳を貸さず結婚したのよ」
「酷い目に遭わされても好きなんですか?」
「そうよ。ああ見えて本当は弱くてダメな人だから、私がいないとバリアン男爵家は没落してしまうわ」
(……ああ見えてって、ダメな人だってことはみんな知ってると思うけど。だから叔母さまが愛想つかして出て行っても誰も何も言わないだろう)
だが、シャールはそれを口に出せなかった。
彼女の姿が前生の自分に重なったからだ。
どんなに愛されなくても、自分が頑張らないと民は路頭に迷う。災害があれば直接出向き、会議で問題提起や予算の組み立てをして。
あの頃のシャールは本当に毎日寝る時間なんてなかった。
いつか、セスの気持ちが自分に戻ると信じて。
……けれどその間にセスはルーカと子供を作っていたのだ。
挙句のあの断罪劇だ。
シャールはぎゅっと目を閉じた。
「シャール、このことは兄さんには黙っていて」
「……分かりました。でも、本当につらい時は公爵邸に帰ってきてください」
「シャール……ありがとう」
……シャールから見ると、アルバトロスもダリアもとても完璧な大人に見えていた。
けれどそんなことはなかったのだ。
大人になっても、いや、むしろ大人になったからこそ悩み苦しみ耐えて必死に生きていた。
あの頃のシャールのように。
しばらくしてメイドがダリアを呼びに来た。
アルバトロスとトムズの『話し合い』が終わったようだ。
ダリアは十五の子供には普通しないような深い礼をして、顔が盛大に腫れ上がった夫を連れて帰って行った。
「シャール」
「なんですか?父上」
「怪我はなかったか?」
「はい」
「それならいい」
ぶっきらぼうな言い方だが、心配してくれているのが手に取るように分かり、シャールの顔は花のように綻んだ。
そうしているうちに気付けば婚約式の一週間前になっていた。
シャールはアルバトロスの執務室を訪ね、お願いをするべく、話を切り出す。
「婚約式に付けるアクセサリーをもう少し買い足してもいいですか?」
「珍しいなシャールがそんなことを言うなんて。構わないのでなんでも好きなものを選んで来なさい」
書類を手にしたまま、そう答えるアルバトロスにシャールはお礼を言う。
「いつ行くんだ?」
「明日にでも行きたいと思います」
「明日?明日はドレスが届く日じゃないのか?」
「あ、そうでした!どうしよう。でも明日じゃないともう行ける日がないんですよね……」
婚約式を前にしてシャールはいよいよ本格的なお妃教育が始まる。手始めの座学は公爵邸に教師を招いて行うことになっていた。
「行ってくればいい。ドレスは受けとっておく」
「ありがとうございます!……あの、こんなこと言うのあれなんですけど……。ルーカがそのドレスに余計なことしないように見張っててもらえますか」
「ああ、分かった」
シャールはほっと胸を撫で下ろす。
(これで準備は整った。問題は明日だ。気を引き締めていこう)
シャールは明日に備え、重い荷物を用意した。
翌日、シャールは護衛を連れて公爵家が懇意にしている宝石店に向かった。
色とりどりに揃えられた最高級の石を前にシャールは首を傾げる。
(どれも同じじゃない?)
目の前の石はどれもキラキラしていて色が違うだけの同じものに見えた。
ルーカがどうしてこんなものをありがたがるのかまるで分からない。
「いかがですか?シャール様に相応しい石をご用意いたしました。どれも他国から取り寄せた一級品です。」
店長がニコニコとお茶を淹れてくれる。
……分からない。宝石の価値なんてまるで分からないけど。
「気にいりません」
強い口調で彼女を見上げた。
「も……申し訳ございません。どのような物をお探しでしょうか。それに相応しい物を……」
「もう結構です。こんな物しか用意出来ない店には二度と来ません」
穏やかな雰囲気だったシャールが突然冷たく言い放ったことで店長は動転し、青ざめる。
「お待ちください、シャール様。少しお話を……」
「オーナーを呼んでください。その人と話がしたい」
「それが……オーナーはお客様の前には出ておらず……」
「会えないんですか?オーナーなのに自分の店に顔も出せないなんて余計に信用できません」
「そんな……」