胸ぐらを掴まれて持ち上げられ……てない??
シャールがそっとトムズを見上げると、その太い首すれすれに剣の切先が見える。
「ひぃ」
そして彼はシャールを突き飛ばし、腰が抜けたかのように床に座り込んだ。
それでも彼の首を狙う刃先はそのままの位置で正確に急所を捉え、鈍く光っていた。
「ち、父上……」
「あなた!だめよ!」
ドガッ!!
「ぐうっ!!」
リリーナの悲鳴で剣を鞘に収めたアルバトロスだが、逃げようとするトムズにすかさず蹴りを繰り出し、床の上で悶絶させている。
シャールは唖然とそれを見ていた。
(……父上はこんなに強かったんだ。僕は父上のことを本当に何も知らなかった)
剣捌きも体術も。
こんな姿、以前は一度も見たことがない。
しんと静まった部屋にトムズの苦しそうな呻き声だけが響いた。
それからどうなったかと言うと。
客間に場所を移して先ほどの続きが始まっている。
騒ぐルーカは使用人とリリーナが連れて行き、客間にいるのはアルバトロスとトムズ、そしてシャールだ。
(なんで僕まで)
正直居た堪れない。
先ほどからアルバトロスの前でずっと土下座しているトムズが痛々しくて見ていられないのだ。
最初の威勢どこに行った?と言うくらいで借りてきた猫でももう少し騒がしいと思う。
「……それで?結局何がしたかったんだ?」
「それはその……」
アルバトロスの質問にくぐもった声で返事をするトムズ。
……あの体型であの姿勢はつらいだろう。
顎の肉までたぷたぷと揺れて床に着きそうだ。
「デモンとアーリーがせっかく牢から出られたのに、親戚の家から出入り禁止されたと聞いて頭に血が上りました。お許しください」
「親戚の家じゃない」
「え?」
「公爵邸だ。この国に三つしかない家門の一つだ。お前の家族はどうも貴族の家格間への認識が甘いようだ」
「それは……」
「ダリアは我が妹だからまだしも、お前とは完全に他人だ。礼儀を弁えてもらおう」
「けれど!」
トムズは顔だけ上げてアルバトロスに訴える。
「シャールが皇后になれば公爵家を継ぐ者がおりません!そうなるとデモンかアーリー、もしくはルーカが婿を取って跡取りになるのではありませんか?!」
………………は?
何言ってんの?この人。
案の定、アルバトロスの額に青筋が立ち、今までにないほど目が冷たく光っている。
「そんなことまでお前に心配してもらう必要はない。親戚は他にもいる。『血の繋がった、優秀な』者がな」
「そんな!話が違います!」
「……ほう?誰とのなんの話かな?」
「それはっ!!」
失言したとばかりに慌てて再度頭を下げるがもう遅い。
「シャール、もういい。お前は部屋に戻れ」
「はい」
「ひぃ……お許しを!!」
シャールがドアを閉めた途端に、哀れな悲鳴が部屋の中から聞こえてきた。
(あーあ、自分で歩いて家まで帰れるかなあ)
そんなことを思いながら自分の部屋に向かって歩いていると、前から見覚えのある人影が近づいてきた。
「叔母様?!」
「シャール、久しぶりね」
アルバトロスの妹であり、シャールの叔母のダリアだ。
「はい!……叔父上を迎えに来られたんですか?」
「……まあ、そうね。どこにいるか分かる?」
「……今は父上と二人きりでお話しの最中です」
それだけでダリアは察したのか、複雑な顔で頷く。
「じゃあ終わるまでお茶に付き合ってくれる?」
「喜んで」
シャールはダリアを自室に案内した。
「あらあらダリア様のお顔を見られるなんて!」
マロルーが嬉しそうにお茶を用意して部屋に入ってきた。
ダリアが降嫁するまでマロルーは彼女付きの侍女だったのだ。
「ダリア様お痩せになりましたね。きちんとお食事は取っておられますか?」
「ええ、大丈夫よ」
「そうですか……」
確かにダリアは以前会った時より痩せていた。自慢だった黒髪も艶がなく、ドレスも流行りの物とは言い難い。
「シャール。この間からあなたにも迷惑をかけっぱなしで本当にごめんなさい」
「いえ、悪いのは叔母さまではありませんから」
「でも私の育て方が……」
「思うように育つのなら皆苦労しないと思います」
「まあ、うふふ。大人びたこと言うのね」
楽しそうに笑うダリアを見てシャールはホッとした。
「それにしても大きくなって……綺麗になったわねシャール。もう三年くらい会ってなかったわよね」
「そうですね。それくらいでしょうか」
シャールが産まれた時はすでに、ダリアは家にいなかった。
けれど里帰りのたびに可愛がってくれる彼女がとても好きだったし、アルバトロスによく似た顔で微笑まれるとドキドキもした。
それが、帰ってくる頻度が減り、しかも見るたびに痩せていく姿を見てシャールは心を痛めていたのだ。
(確かにあんな息子たちじゃな……ましてやルーカは不義の子だ。自分を裏切った男が連れて帰ってきた子供を見た時はどんな気持ちだっただろう)
穏やかで優しいダリア。
どうしてこの人からあんな奴らが産まれたのか理解できない。
「ダリア様のお好きなお菓子をご用意しましたよ」
「まあ、嬉しい。こんなもの食べるの何年ぶりかしら」
目の前に置かれたのはなんの変哲もないサブレだ。決して贅沢でもなんでもない。
マロルーもそれに気付いたのか、暗い顔を隠すようにお茶のお代わりを入れに行った。