「どうしてだ?」
その言葉にアルバトロスは、意外そうな顔をしてシャールを見た。
「婚約式のネックレスは国宝です。例えどんなにねだられても関係のない者に見せるべきではありません」
アルバトロスは黙ってシャールの言葉を聞いていた。
そして頷いてにこりと彼に笑いかける。
「よく言った」
そう言われて頭を撫でられたシャールは突然のことに驚き、目を見開いた。
(笑った?笑ったよな?!)
厳しく寡黙な父の笑顔など、以前は見たこともなかった。もちろん頭を撫でられたことだってない。
それはルーカも同じだったようで、驚愕の表情でシャール達を見つめ、そして慌てて器用にポロポロと涙を流した。
「僕も家族じゃないの?関係ないなんて酷いよ。どうせ僕みたいな庶子は恥だと思ってるんでしょ?でもそんなのうちのお父様のせいじゃないか。僕には関係ないのに……」
「ルーカ!」
アーリーが慌てて駆け寄り小さなその体を抱きしめる。
「可哀想に。お前の責任じゃない。お前は何も悪くないよ」
そう言いながらルーカと同じように目には涙を溜めていた。
「伯父上!酷いです!ルーカはここでこんなに肩身の狭い思いをしてるのに!」
「アーリー」
「なっ、なんですか」
ルーカをその腕に抱いたまま、アーリーはその気迫に押されるように少し後ずさる。
「帰れと言ったはずだ。二度も言わせるな」
「くっ!!」
いい気味だとシャールは思った。
アーリーはルーカの世話を焼くとの名目でここに居座り、アルバトロスが留守がちなのを良いことにまるで主人かのように傍若無人に振る舞っていた。
それはシャールにだけではなく、侍女やメイド、庭師や料理人に至るまで。
(気に入らないとクビにするぞ!って怒鳴ってたもんな。そんな権限一つもないくせに)
「……分かりました伯父上。でも少しだけルーカとの別れを惜しんでもいいですか?たった一人の弟です。心配なのは分かってもらえますよね?」
惜しいのは、ルーカとの別れなのかこの家での泡沫の権力ごっこなのかは分からないが、ルーカを抱きしめたまま、涙ながらに訴える。
その様子にアルバトロスは軽く頷いた。
「早めに帰るんだぞ」
そしてそれだけ言うと踵を返して部屋を出て行った。
「おい!シャール!」
アルバトロスがいなくなった途端、鬼のような形相でアーリーはドスドスとシャールに向かって歩いて来る。
(やばい!)
身の危険を察知したシャールはひらりと身を翻して部屋を飛び出し、思い切りドアを閉めた。
「シャール!!」
鼻先で乱暴にドアを閉められたアーリーは怒り狂い、その怒鳴り声が廊下まで響いている。
(危なかったー。とりあえずしばらくは図書室にでも行ってよう。けどその前に父上にお礼を言わなきゃ)
シャールは急ぎアルバトロスの後を追った。
「父上!」
「……なんだ?」
シャールに呼び止められ、アルバトロスは歩みを止めて彼を待った。
ようやく追いついたシャールは丁寧に頭を下げて先ほどの礼を言う。
「構わない。お前は悪くなかったんだから」
「え?……はい」
(どうなってるんだろう)
昔から滅多に顔を合わせることもなく、問題を起こせばルーカと同様に罰を下され、こんな風に優しく接して貰ったことは無い。
同じ家にいても、寡黙な彼は難しい顔で書類仕事に没頭し、食事を共にすることもなかったのだから。
「あの、父上。一つ聞いても良いですか」
「なんだ」
「さっきどうして僕に罰を与えなかったんですか」
記憶が確かであればシャールだけが罰を免れたことはない。
いつも喧嘩両成敗と言わんばかりに同じ罰を受けていた。
「お前の言い分が正しかったからだ。何故そんなに疑問を持つ?」
「えっ……」
「罪のない者に罰は与えない。当然だ」
それだけ言うとアルバトロスは執務室に向かって去っていった。
(もしかして)
シャールは考えた。
(父上は特段に僕を嫌っていたわけではないのかもしれない)
思い出してみると、アルバトロスは必ず揉め事の理由をシャールに聞いた。そして罪の所在までも。
(僕はいつも自分も悪かったって言ってたな。何一つ悪くなくても)
シャールの胸にじわじわと温かいものが込み上げてきた。
(ずっと父上に嫌われてると思っていた。だから側に近寄ることも話をすることも避けて出来るだけ視界に入らないように小さくなって生きてたんだ。だけどそれじゃ分からなくて当たり前だ)
過去に戻ってから皇后にならずにすむ事だけを考えていた。
でも、それ以外のこともいい方向に変えられるならそれに越したことはない。
(自分の人生をもっとちゃんと考えよう。そして過去より更にいい生き方をしたい)
そう思いながら図書室向かって歩いていると、向こうから護衛を引き連れた派手な格好の人物が近づいて来た。
「シャール!」
「あっ!」
思わず声が出る。
(なんでここに……?)
目の前にいたのは、自分を不幸のどん底に叩き込んだ一番会いたくない相手。
皇太子セスだった。
「先触れをいただければきちんとお迎えする支度を整えましたのに。初めてのお越しにもかかわらず至らぬ点が多いことが悔やまれます」
「構わない。シャールの顔が見たかったからお忍びだ」
セスは青い目を細めて微笑んだ。
(嫌味だよ!分かれよ!)
シャールは腹の奥で毒づく。
五歳の頃から年に数回、アルバトロスに連れられて顔合わせの為に登城し、謁見を行って来た。
その日はお茶を飲んだり庭を散歩したりと、皇太子との交流が図られたが、こんな時期に彼が自ら公爵邸を訪れたことなどなかった。
周りから将来の伴侶だと言われ続けたせいか、子供の頃のシャールはセスのことが好きだった。
(こんな事があれば確実に記憶にあるはずなんだけど)
そもそも皇太子がお忍びなどと言って、少人数の護衛のみで城から出ることが前代未聞だ。
きちんと陛下の許可は取っているのだろうか。
「シャール、公爵家の庭は薔薇が美しいと聞いた。案内してくれるか?」
「……はい、喜んで」
「どうした?元気がないな?驚かせ過ぎてしまったか?」
「……いえ、お気遣いありがとうございます」
シャールは複雑な気持ちだった。
過去に戻り、あの断罪劇がまだ現実には行われていないと言っても、自分にとってはつい先程の記憶だ。
既にセスには恨みと憎しみしかない。
しかも彼が即位して……正しくはルーカを側に置くようになってからは、悪政が続いて市井からも歴代きっての愚王と評されていた。
当時のシャールは、その尻拭いと陛下の代理仕事に寝る間も無く立ち働いていたのだ。
あんな目に遭うなどとは夢にも思わずに……
「どうした?」
「あ、いえ。参りましょう」
(そうだ、この世界ではまだ何も起こっていない。今後の策を練る為にも態度を変えないようにしないと)
シャールは立ち上がると顔に綺麗な作り笑いを貼り付けてセスを庭へと案内した。