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第2話 消えない魂

カビ臭い地下牢には窓などない。

 ここに入れられてからどのくらい時間が経ったのだろうか。

 ありがたいことに足の感覚がなくなってきて痛みがマシになっている。

 このまま朽ちてゆくのだろうが、もう仕方ない。

 明日には自分で動くことも出来なくなる。二度と陽の光を見る事もない。ただ、生かされるだけの日々が始まるのだ。

 まだ若い自分にとってそれは永遠とも言える長い時間だろう。


 唯一救いがあるとしたら、いつか陛下の興味が失われて食事さえ与えられなくなり、ここで餓死することくらいだろうか。




 シャールは一日も早くその日が来るようにと神に祈った。





 ……ぼんやりとそんなことを考えていると、真っ暗な通路から何かを引きずるような微かな音が聞こえてきた。


(なんだろう)


 シャールは不自由な体制のまま顔だけを上げる。


 その音はゆっくりゆっくり近づいてきた。



「……シャール様」



(この声は……!)




「アルジャーノン?」


 騎士団長のアルジャーノンだ!


(よかった。無事だったんだ)



 どうにか体を起こし、鉄格子の側まで這うように進んだ。薄ぼんやりしたランプの灯りの中に精悍な顔が見える。


「シャール様、ご無事ですか」


「大丈夫。何もされてないよ」


 暗闇を味方にシャールは白い嘘をつく。


「アルジャーノンは?」


「大丈夫です」


「そう、良かった……アルジャーノン、巻き込んでしまってごめんなさい」


「そんなご心配は無用です。元より王家のために命を捧げる覚悟で騎士になりましたから」


 そうは言ってもこんな不名誉な形は望んでいなかっただろう。

 申し訳なさにアルジャーノンの顔を見ていられず、シャールは視線を下に落とした。


「……?!」


 その視線の先、アルジャーノンの右腕。

 いや、正確には右腕があったであろう場所。

 そこは無惨に袖ごと切り落とされ、いまだに真っ赤な血が滴っていた。



「アル……!!」

「大丈夫です。心配しないでください」


 アルジャーノンは微笑んだ。


 大丈夫なわけない。

 手当もされずほったらかしのその傷がどれほど痛むか。

 シャールは感覚を失った足が、再びジンジンと疼くのを感じた。


「アルジャーノン……ごめんなさい。貴方は騎士なのに」


 自分と関わってしまったばかりに剣を持つ大切な利き手を失ってしまうなんて。


 皇室に嫁いで以降、どんなにつらくても見せなかった涙が初めてシャールの頬を濡らした。


「シャール様、私は明日処刑されます。だからもうどちらにしても剣は握れないのです」


 ソードマスターとまで言われた騎士が、「だから問題ない」とでもいうように微笑む。


「なんで……?どうしてそんなことになったんだ」


(おかしい。なにもかも。何故こんな目に遭うんだ?なんの罪もない僕たちが)



 黙って泣き続けるシャールにアルジャーノンは小さな声で「シャール様」と呼びかけた。


「なに?」


「ミッドフォード公爵家の断罪が決まりました」


「え……公爵家が?だって養子とはいえルーカの実家なのに。ルーカが正式に皇后になればその子供達とも親戚関係になるはず……」


「ルーカ様のご希望です。幼いころ養子に入って以降、シャール様と公爵夫妻にいじめられていたと陛下に泣きつかれました。陛下はお怒りで本家筋の者を全員処刑しろと」


「まさか!」


(ルーカは何を言っているんだ!虐められた?誰に?わがまま放題で嘘ばかりついて僕と両親の仲を割き、悠々と自由に暮らしていたくせに!)


「父上……母上……」


 懐かしい名前を呼ぶ。


 ルーカのことでわだかまりを抱えたシャールは、皇后になってから一度も両親からの謁見要請に応じなかった。

 拗ねた子供のような態度をとってしまったことを心の中で詫びる。


(僕は二人を助けることも出来ず、復讐一つ出来ないまま、ここで朽ち果てて行くのか。

 無様な姿でかろうじて命だけはある人形になって……)



 ルーカとの出会いもセスとの結婚も、どんなに悔やんでももう遅い。

 時間は巻き戻ってはくれないのだから。




 絶望に打ちひしがれ鉄格子を握るシャールの手にアルジャーノンの手がそっと触れた。

 そしてその指を優しく解き、小さな瓶を握らせる。



「私からの最初で最後の贈り物です」


 シャールはそれを何も言わずに受け取った。

 これが何なのか、聞かずとも分かったから。


「私に出来る事はこれしかありませんでした。お許し下さい」


 そう言ったアルジャーノンの目から大粒の雫が溢れる。

 それは汚い床に落ちるのが勿体無いような神聖なものだった。



「ありがとうアルジャーノン」


 シャールは手の中の緑色の小瓶をギュッと握る。

 それは一筋の光も差さない地下牢でキラキラと揺らぐ、まさにたった一つの希望だった。


「シャール様、今までありがとうございました。貴方と過ごした時間は私の宝物です」


「アルジャーノン……」


 今生の別れのような言葉に身体が震える。


(いや、別れのようなじゃない、本当にお別れなんだ)


 もう彼の優しい落ち着いた声を聞くこともない。素晴らしい剣捌きを見ることも出来ない。


 だが、どうにかして彼の命だけでも助けることは出来ないだろうか。

 そんなことを考えていて、ふと違和感に気付く。

 先ほどまで聞こえていた彼の苦しそうな息遣いが聞こえなくなったのだ。


「……アルジャーノン?」


 今までこちらを見ていた彼は、鉄格子にもたれ、跪いたまま動かなくなっていた。


 半分開いたままのその目には、もう命の輝きはない。



「……どうして……」


 彼が辿ってきた道を見ると、夥しい量の血が川を渡る橋のように続いている。

 きっと最後の力を振り絞ってここまで来てくれたんだろう。


 シャールは敬意と感謝を込めて彼の瞼を自らの手でそっと閉ざした。

そして手の中にある緑の小瓶を見る。

 アルジャーノンが命懸けでシャールにくれた最後の救い。




 今ならまだアルジャーノンに追いつけるかもしれない。

 そう思うと怖くなかった。



 もし生まれ変わったなら。

 自分さえ我慢すればなんて、そんな生き方はしない。

 強くなって大事な人を守りたい。

 そして今度は本当に自分だけを愛してくれる人と幸せになりたい。



 そう、アルジャーノンのような人と……



 そんな夢を見ながら、シャールは瓶の蓋を開けて中身を一息に煽った。




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