「シャール!もうお前の顔を見るのはうんざりだ」
「陛下?」
独立記念日を祝う祝宴の真っ最中。
シャールはこの国の皇后として、挨拶に訪れる
まさにそのタイミングでの国王セスの言葉に、客はもちろん、周りの貴族たちも何事かと驚き、会場は水を打ったように静まり返った。
「お前は宮廷騎士の騎士団長と不貞を働いたらしいな」
「……なんですって?」
シャールは美しく整えられた眉を顰める。
騎士団長といえばこの国の三大貴族であるジュベール侯爵家の次男アルジャーノンだが、言葉を交わしたのはこの建国祭の準備をした時くらいだ……
しかも団長と準備を進めよと指示したのは他ならぬ陛下ではなかったか?
「陛下、誤解があるようです。夜に改めて……」
とんだ濡れ衣とはいえ、こんなところでする話ではない。
シャールは小声でセスに提言した。
けれど、それを言い訳と勘違いしたセスは更に大声を張り上げる。
「とぼけるな!誤魔化そうとしても無駄だ。二人で抱き合っているところをルーカが見たと言っている」
「ルーカが?」
シャールはその名前を聞いた途端、陰鬱な思いに襲われる。
ルーカ・ミッドフォード。
一つ年下の従兄弟である彼は、幼い頃からシャールと共にミッドフォード公爵邸で育ってきた。
元は傍系であるバリアン男爵家の末息子だったが、奇跡的にシャールと同じく特別な印を戴いて生まれてきたため、生後間も無く本家に養子として迎えられのだ。
彼は昔から何でも人の物を欲しがり、傲慢で手がつけられなかったが、シャールが皇室に嫁いでからはやけに馴れ馴れしく擦り寄るようになった。
そして宮廷に頻繁に遊びに来てはシャールの服や宝石をねだり、持ち帰っていた。
そんな彼が、皇后宮ではなく国王の住まう城で目撃されるようになったのは、それからいくらも経たないうちだった。
庭園や王族しか入れない温室でセスと二人、
「陛下、ルーカの言葉を信じるのですか?」
この様子であれば近々、ルーカを側室にとの話が出るかもしれないと覚悟はしていたが、こんな濡れ衣を着せてくるなら話は別だ。
シャールは震える拳に力を入れ、宝石のような緑眼でキッと陛下を見上げた。
「お前のような傷ものが偉そうに私のルーカを嘘つき呼ばわりするのか!」
「!!」
シャールは怒りで目の前が真っ暗になった。
確かにシャールの体には傷がある。
肩から背中にかけてざっくりと切られたもので、今でもその傷跡は生々しく、肩の開いた服は着られない。
「陛下!お言葉が過ぎます!この傷は陛下を守るために……!」
「うるさい!お前はいつもそうだ。そうやって私に罪悪感を感じさせる。他の相手に目移りするのも仕方がないだろう?」
セスは、冷たい目でそう言い放つと、いつの間にか隣に寄り添っていた可愛らしい顔の男を抱き寄せた。
「ルーカ……お前……」
ルーカはシャールに見せつけるように大きく胸元まで開いたパンツドレスを着て、惜しげもなく傷ひとつない素肌を晒している。
そしてその胸にはシャールと同じ、四葉のアザ。
彼は満足そうに笑ってシャールを見下ろしていた。
「シャール、本日をもって貴様を廃后とする!そしてこのルーカを新しい皇后とする。皆の者、よく聞け!ルーカは私の子を身籠もっている。万が一にも国母に害をなす者がいれば即刻処刑だ!」
高らかな宣言に場内は一気に蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
廃后?子供?陛下との間に?
「子供も産めぬ皇后など何の役にも立たぬ。目障りだ!部屋に閉じ込めておけ。沙汰は追って下す」
シャールは驚きで立っていられず、その場にくずおれた。
セスはそんなシャールをチラリと見やり、忌々しそうに舌打ちをする。
指示された周りの兵士達は、戸惑いながらも座り込んでいるシャールの腕を取り、退室を促す。
抗う力もなくされるがままの彼は、そのまま自室に軟禁された。
この世界には生まれた時から才覚に恵まれたほんの一握りの人間がいる。
アルファと呼ばれるその種は並外れた頭脳と飛び抜けた身体能力、そして素晴らしい統治力を持ち、そのほとんどが王族として生まれ国を治める。
そんなアルファの種を受け継ぐのがシャールやルーカのような、胸に特別な印を戴いたオメガと呼ばれる人々だ。
男性体であるにもかかわらず、彼らは子供を産むことができる。
そして生まれた子供は八割の確率でアルファであり、彼らは国を発展させてゆくのだ。
だが希少なアルファに対してもオメガの数はさらに少ない。
国内の貴族たちは己の家門にオメガが生まれることを何よりも切望していた。
それはミッドフォード公爵家も同じで、生まれたばかりのシャールの胸にオメガの印~四葉の形のアザ~が認められた時は大変な騒ぎで、家を上げての盛大なお披露目を行ったほどだ。
なにせ公爵家にとって三百年ぶりに生まれオメガだ。
当時、他の家紋にオメガの子供はおらず、必然的に生まれた時からこの国の皇后になることが決まっていた。
それなのに……
シャールはどうして自分がこんな目に遭うのか、まるでわからなかった。
悪事を働いた事もなければ人を貶めたり欲をかいた覚えもない。
ただひたすらに生まれた時から婚約者であったセスに尽くし、命すら捧げる思いで寄り添った。
その結果がこれだ。
婚姻してまだほんの一年。
そもそも子供ができない事だって、陛下が作ろうとしないからに他ならない。
背中の傷を見るとそんな気にならないなどと、婚姻を結んだ当初からシャールの寝室に来たのはほんの数回。
それも何故かオメガの発情期を避けるように来るせいで結局一度も子供を授からなかった。
……それなのにルーカの所には通っていたんだ。
「ルーカの要領の良さには慣れてたけどまさかここまでとは」
だが、このまま断罪される訳にはいかない。
せめてセスには真実を知って貰わなければ。
そう考えながら落ち着かない時間を過ごしていると、ノックも無くドアが開け放たれ、ルーカが騎士を引き連れて姿を現した。
「ルーカ!!」
今一番見たくない顔、けれど一番話し合わなくてはならない相手がそこに立っている。
「何してるの?ここは皇后が使う部屋なんだけど」
シャールを見下ろすルーカはタチの悪い笑みを顔に貼り付けている。
その目にはやっと欲しかったおもちゃが手に入った喜びが溢れていた。
「誰がここに連れて来たの?地下牢に繋いでって言ったでしょ?」
ルーカの言葉に、兵士の一人が肩をピクリの震わせた。
「おまえなの?……早くこいつを殺して」
ルーカが後ろに立っていた騎士にそう命じた。
騎士はなんと戸惑いもなくその場で兵士を切り捨てる。
「!!!」
シャールは驚きのあまり叫びそうになる口を慌てて手で塞いだ。
「まったく、シャールって本当に使用人に大事にされてるよね。そういうところもムカつくんだよね」
「ルーカ!なんてことを!!」
切られた兵士に駆け寄るが、彼は既に事切れていた。
「こいつを地下牢に連れて行って!」
ルーカが高らかに命ずると騎士たちが一斉にシャールを取り囲み、その身体を羽交締めにした。
そしてそのまま、地下に連行したかと思うと虫が這いずる牢獄に押し込んだ。
更に壁に作り付けられた鎖で彼の細い脚を頑丈に繋ぐという徹底ぶりだ。
皇后としてこの国で生きてきたシャールは、あっというまに咎人になった。
「これからどうするんだ」
騎士が去ったあと、護衛を命じられた兵士たちがヒソヒソと話をしている。囁くような声だが全てが石造りの地下では反響して嫌でもシャールの耳に入って来る。
「両足を折って閉じ込めておけとのご命令だ」
「両足を?それはいくらなんでも酷い。二度と歩けなくなるではないか」
「そして嫌がっても食事は欠かさず食べさせ、死なせてはならんとおっしゃられた。生きて罪を償わせろと」
「あの優しい方に対してそんな非道な真似ができるか!皇后陛下は俺の家族が重い病になったとき、医者を寄越してくれたんだ」
「俺も以前、珍しいお菓子をうちの子にといただいた!」
「でもさっきジャンが斬り殺されたのを見ただろ!同じ目に遭いたいのか?!」
「今こそ恩に報いる時だろ!死ぬなら皇后陛下のために死にたい!」
兵士たちは口々に兵士長に訴えかけている。
その時、大仰な足音を立てて騎士団の副団長であるニックが牢までやって来た。
「何を騒いでいる!」
ニックは大柄な見かけに似つかわしくない、みすぼらしい顎髭を撫でながら不機嫌そうに声を荒げる。
「は!それが皆、皇后陛下がお気の毒だと……」
ぼんやりした意識で兵士長の声を聞いていたシャールは、驚き慌てて体を起こした。
(あんなことを言ったら皆に罰が下される!)
「やめなさい!わたしは大丈夫だ。だから皆は持ち場に戻って!命令だ!」
シャールは出せる精一杯の声でそう言った。
後ろ髪を引かれるように兵士が一人、また一人と地下牢を後にする。
そんなシャールを面白そうに眺めながら、ニックが牢に近寄った。
「まだまだ人を気遣えるとは余裕ですね。これからもっと苦しい目に遭うことになりますよ。王という立派な伴侶がいるにも関わらず、騎士団長と関係を持っていた罪でね」
「そんな覚えはない」
シャールが毅然と答えるも、男の下卑た笑いは変わらない。
おそらく冤罪だと知っているのだ。
「そうか、お前もルーカの仲間なんだな」
周りから固めてゆくルーカらしい。
あの狡賢さで実家でも皆がどれほど痛い目に遭ったか。
「私は王命に従うのみですよ」
ニックはそう言うと、牢の鍵を開けて中に入ってきた。
シャールは足に付けられた短い鎖を、ギリギリまで延ばして奥へと逃げるが、ニックは彼を突き飛ばして仰向けにさせ、腹の上に足の方を向いて馬乗りになった。
「なにするんだ!やめろ!」
シャールが暴れたところでニックのような大男には敵わない。まさしく赤子の手をひねるように、シャールの細い足を掴み、膝をあらぬ方向に折り曲げた。
堅いものが折れる嫌な音が石造りの牢全体に響き、とんでもない激痛に全身から汗が吹き出す。
「声も出さないなんて強情ですね廃后。ではもう一本も折りましょう。明日は両腕です。これでどこにも逃げられませんね」
ゾッとする笑みに、なすすべもなく飲み込まれるシャールは、まるで人形のように無力だった。
「ニック様!陛下がお呼びです!」
地下牢の外から誰かが叫んだ。
「チッ!いいところで」
ニックは急いで手を止め、足早に牢を出て行く。
もちろん牢に厳重な鍵をかけることを忘れずに。
遠ざかる忌まわしい足音を聞きながらシャールは大きく息を吐いた。
助かった……けれど明日には本当に腕も折られてしまうだろう。
冤罪だと知って罪を問う相手に、裁判も無実の証明も無意味だ。
騎士団長とのことは単なる言いがかりに過ぎないけれど、国王が黒だと言えば純白でさえ黒になるのだ。
シャールは痛みに歯を食いしばりながら、巻き添えになったアルジャーノン騎士団長のことを考えた。
彼は無事だろうか。
とても
こんなことで罪に問われて輝かしい未来が
どうせならあの優しさも全部芝居で、今頃陛下たちと一緒になって自分を笑ってくれていたらいいのにと、シャールは思った。