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第11話

 室内で作業している律を眺めているのも楽しかった。ほどなくして、外に出てきた律に笑いかける。


「ところでさ、律って生物係かなにかなの? こっちの庭も律が世話してるんでしょ?」

「頼まれてるのは庭だけ。あとは、個人的な趣味、かな」

「え?」


 花畑から外れていた一匹の蝶が、律の目の前を横切って群れの中へと戻っていく。


「……もともとは、何にも興味がなかったんだ。だけどあるとき、変な人が現れて、『何にも興味が持てないなら、花を育ててみないか』って。そのときもアサギマダラがこんな風に飛んでいて、僕は虫の方に興味を持っちゃったけど」

「変な人って……」

「初対面の時、永遠の十九歳だと言っていた」

「何そのあほな人」

「だから、変な人なんだって」


 ――どうだ、少年! 花とは美しいものだろう!


 日本語を流暢りゅうちょうに操る、変わった名前のアメリカ人だった。

 彼は学校関係者だと主張し、便宜を図ってやるから花畑を管理してくれないかと打診してきた。結局、律が興味を持ったのは蝶の方だったのだが、彼の目的は一応達成されたからか、律はこの準備室を与えられた。


「その時の花は、アサギマダラがもっと好きな花にほとんど植え替えちゃったけど」


 それでも彼は笑って許してくれたらしい。打ち込めるものが見つかって良かったな、と。


「ふうん。いい人に会えたんだね」


 やっぱりこの学校に関わる人は変わり者が多いらしい。けれど、律の表情がどことなく柔らかくなったのが嬉しくてそう言うと、律はびっくりしたように振り向いた。


「花音は、本当にそう思う?」

「え? なんで?」

「僕が虫に興味を持ったこと、よく思っていない人の方が多いから」

「ああ……」


 彼女たちの言葉を、律も彼なりに気にしているのだろう。無表情だから傷ついていないというわけではない。


「あたしはそういうのないからさ、夢中になれるものが見つかるっていいなって思うよ。むしろ律の残念なところっていうなら、無愛想とかぶっきらぼうとか授業をサボるとかそっちの方かなってあたしは……、あっ、ごめんなさい!」


 律の冷たい目に射貫かれて、花音は反射的に謝った。


「花音て、ときどき無神経なこと言うよね……」

「わーっ、わかってる、ごめん! 友達からもたまに呆れられるんだよね! 気をつけてはいるんだけど、でも、口が勝手に……! ほんとごめん!」


 花音が必死に謝ると、律が表情をなごませて「ふふ」と声を漏らした。


「いいよ。なんか……、あんたは、わかりやすくて嫌な感じがしない」

「え……」


 律が笑ったところを見るのは初めてだった。言葉の一部にひっかかりを覚えながらも思わずまじまじと見つめていると、花音の腹の音が大きく鳴った。顔を真っ赤にして音の原因を押さえ込む。


「花音……。さっき、図書室で何か食べてた……」


 が、律の耳にもしっかり届いてしまったようだ。


「あ、あれは朝ご飯だったの! この学校、こんな山の中にあるんだもん、町中から来るの大変だったんだから!」


 花音は開き直ると、準備室に引き返して室内を調べ始めた。律が首をかしげてその行動を見守る。


「ここって、食堂があるんだよね? 暗号ないかなー、暗号! 食堂! 食堂に行きたいなー!」

「そんな都合よくあるわけないよ……」


 律は呆れながら花音の様子を観察していたが、やがて時計を確認して言った。


「そんなに行きたいなら、試しに行ってみる? 時間外だから、作ってもらえるかわからないけど」

「えっ、いいの!? やった! 律、ありがとう!」

「はいはい……」


 飛び上がって喜ぶと、律が苦笑した。たとえ苦笑でも、律が笑顔になるとなぜか花音も嬉しくなる。


(律、あんまり笑わないからなあ)


 いつも無表情――というか、やる気がなさそうな表情をしている。

 だからかもしれない。たまにそれが崩れると、宝石のかけらでも見つけたような気持ちになるのは。


「あっ、もしかして、食堂も超・豪華なんじゃない?」


 花音の学校には食堂自体がなかったので、知らず知らずのうちにテンションが上がる。


「食堂自体は普通だと思うけど……。でも、料理長は、イタリアで修業してきたとか聞いた」

「なにそれ! やっぱねたましいけど楽しみだわ! イタリア! ポルチーニ!」


 きのこの名前を叫んで走りかけた花音の首根っこを、律が手を伸ばしてつかんだ。花音が「ぐえっ」と声を出して止まる。


「り、律はあたしよりちょっとばかし背が小さいんだから、そこつかまれると首がしま――っ、いたいいたいいたい!」

「…………廊下は走ると危ないから」

「ハイ……ゴメンナサイ」


 首根っこつかむのも危ないと思う。とは口に出さず、律に連行されるようにして食堂に向かった花音は、メニューを見たとたんに元気を取り戻した。


「わあっ……、なにこれ、和風イタリアンてやつ!? ううっ……やばい。選べない……!」

「というか……僕たちしかいないからすごく目立つ……」


 授業中なのだから当然だが、食堂には花音たちしかいない。一番奥の壁際にいても、目立つものは目立つのだ。


「まあいいじゃん。律は目立つの慣れてるんでしょ?」

「慣れてるわけじゃ……、ていうか、見つかったら困るのは花音でしょ」


 律の懸念けねんは無視して、花音は三つしかないメニューから日替わりパスタセットを注文する。食堂の準備をしていたアルバイトらしき青年は、律の姿を見て、注意するのを諦めたようだった。


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