ところが、音楽室は使用中だった。重厚な防音の扉には鍵がかかっており、中に入ることができない。
「――ああ、そういえば、今日はあの日だったかも」
「え?」
「こっち」
律はくるりと身を翻すと、吸い込まれるように隣の教室に入っていった。今は無人のようだが、花音はなんだか焦ってしまう。
「ちょ、いいの!? ここ、律のクラスじゃないよね?」
「大丈夫。ちょうど移動教室でいないみたいだから」
そう言って、細い指で頭上を指し示す。黒板の真上の位置に、黒くて大きなモニターが備え付けられている。その両側の天井の隅にはそれぞれ大きなスピーカーがついていて、どれも花音の学校にある物とは格が違って見えた。
「なんか、校内放送レベルの使い道じゃなさそうな物があるんだけど……」
「今日は有名なピアニストが特別講師として来る日だったと思う。そういうときは、他の授業の生徒も自由に見ていいことになってるんだ」
律がリモコンでスイッチを入れる。画面に音楽室の様子が映ったとたん、大音量でピアノの調べが流れてきた。
「わ、あっ……!?」
圧倒的とも思える音の奔流が教室中を
堂々としたグランドピアノの前に座っているのはたった一人。どう指を動かせばこんな息つく間もないような旋律を奏でられるのか。
知らず知らずのうちに花音は息を止めていた。すでに終盤だったようで、曲はほどなく終わってしまったが、花音の耳の中では同じ旋律が繰り返し繰り返し流れていた。
「――す……、すごいすごーい! なんかわかんないけどすごい迫力! モニターごしなのに!」
余韻が消え、静まりかえった教室に、興奮した花音の拍手の音が響き渡る。
「数ヶ月に一度の頻度で、プロの演奏家を呼んで授業をするんだ。僕は出たことないからよくわからないけど」
「え、プロを、ただの音楽の授業に!? どんだけ金持ち学校なの、ここ!」
「設立した人がすごくお金持ちだったとは聞いたことあるけど。……確か……、何だったかな、変な名前の外国人」
花音は思わず吹き出した。
「なにそれ。律、設立者の名前、覚えてないんだ?」
「そんなの覚えてる人、いるの?」
律は少しむっとしたようだ。それもまたおかしくて、花音は必死で笑いをこらえる。
「ごめんごめん。だって律、何でも知ってそうなのに、身近なところで無頓着だから!」
「…………」
「……はっ! ご、ごめん、あたし……、馬鹿にしたわけじゃないんだけど!」
無言になった律に慌てて謝ると、彼は首を横に振った。
「そうじゃない。ただ、僕は何も知らないから。さっきの二つは、たまたま教えてくれた人がいただけで。……そう、たまたま……」
律はまた無言になる。花音が不思議に思って話しかけようとしたとき、モニターの中のピアニストが一礼し、音楽室から出て行くのが見えた。律がさっと廊下に視線を走らせる。
「そろそろ授業が終わる。隠れないと……」
「え、でも、さっきの暗号だと、次は音楽室に行かなきゃいけないんでしょ? 休憩時間がチャンスなんじゃない?」
「次のクラスとの入れ替えでそんな暇ないよ。昼休みまで待った方がいい」
話し合っている間に、チャイムが鳴って、廊下が一気に騒がしくなった。二人で顔を見合わせて、慌ててモニターとスピーカーのスイッチを切る。