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第17話

 住宅街にある小さな公園の中には誰もおらず、しんと静まり返っていた。

 周囲は夕闇の青色に溶け込んでしまい、たった一つある街灯がベンチの側で皓々こうこうと光っている。先輩は私をベンチに座らせると、ハンカチを濡らすために水道へ向かった。


 明らかに先輩は怒っていた。最低限のセリフしか口にしないし、目を合わせようとしない。

 それだけのことをしたのだとわかっている。万引きは単独ではなく集団で行われる場合もあるし、反撃される可能性もあるから、その現場を見つけても決して一人では声をかけないのがセオリーだ。人目があったとはいえ、亜樹先輩がいなければ、この程度のケガでは済まなかっただろう。


 反省はしているが、あの場で説教を受けるにはいかなかった。

 別にうやむやにしようとしたわけではなく、この件が大事おおごとになりフェミニストの会長に知れたら、私ではなく先輩が怒りを買ってしまう可能性が高いからだ。私を助けたのに怒られるのでは、さすがに先輩に申し訳ないと思った。


 しかし、そのせいで私を叱責するタイミングを奪うことになってしまった。先輩としては、女の顔に傷をつけた相手を厳しく追及できなかったことにも、腹が立っているようだった。

 とにかく、心配をかけてしまった自覚はあるので、素直に謝罪を口にする。


「申し訳ございませんでした。軽率な行動でした」

「…………」


 先輩は私の前に立ちながら、斜め下から視線を動かさない。


「別に……、謝ってもらう必要はないけど」

「いえ。ご迷惑をおかけしましたので」

「…………」


 深々と頭を下げると、散々ためらった後にようやく、すねたような口調でつぶやいた。


「迷惑じゃないけど……心配、しました」

「はい。すみません」


 先輩は言いたいことが百くらいあるような困った顔で、髪をかき上げた。やがて、体中の空気を全てはき出すような溜息をついた。


「……先輩?」

「いや、なんでもない。……俺ってホント、弱いなって思っただけ……」


 亜樹先輩は苦笑すると、首を横に振り、いつもの声音に戻って尋ねてきた。


「それで? ……何で、あんなことをしたの? 危ないってわかってたんだよね?」

「……功を焦ったといいますか、血気にはやったといいますか……。いえ、違いますね。自分の至らなさを痛感して、やけになっていただけです」


 あの一瞬、本気で自分に絶望した。もう、何をしても無駄だと思ってしまった。そうして自暴自棄になった。

 いつもならば、もっと冷静に状況を分析して、最善の方法を考えたはずなのに。


「……三澄さんでも、落ち込むんだ?」


 先輩は不思議そうに首をかしげる。


「当然でしょう。ただでさえあんな人が側にいるんですから」


 私を副会長に任命した理由。それは、私が会長を嫌っているからだと彼は言った。

 正確な意図はわからない。が、考えられるのは、自分を戒めるため。あるいは、様々な意見を集めるためか。

 私なら、ライバルは自分の周りから排除したい。できるだけ遠ざけておきたい。自分を否定されるのは嫌だし、指示に刃向かうばかりの人間が側にいたら、邪魔で仕方がないからだ。


 副会長を指名されて以来、何度も辞任しようとして、そのたびに会長に止められた。嫌がらせなのだと思っていた。勝者の余裕を見せつけて、私をあざ笑っているのだと。

 そうであれば、精神レベルが同じだと安心できた。だから私も敵意を返せたのだ。


 それなのに、会長から不当な評価をされたと思ったら、裏切られた気分になった。私がどれだけ嫌ったとしても、会長は好悪こうおの情で判断を鈍らせたりはしないと思い込んでいたのだ。

 彼には完璧を求め、そうでないことに安心し、見下す。私は、彼にも自分にも甘えていた。


 ――これもまた、会長と自分の差。

 自分は小物だ。小物で、平凡だ。度量の小ささを、思い知らされた。


「……でも、生徒会長になるのは、諦めないんだよね?」

「…………」


 私はその言葉の意味を計りかね、しばし考えた。しかし結局、思ったままのことを口にする。


「私は、会長になれる器ではないのかもしれません。会長のことはまだしも、役員のみんなのことも、信用していなかったのだと気づかされました」


 きっと、私に一番足りなかったのはそれだった。私は自分にしか興味がなくて、周りをよく見ていなかった。だから、簡単なことにも気づけなかった。

 自分で自分は見られないのに。他人を通してしか見えない自分もいるのに。


 けれど……。


 一度下を向き、自分の意思を確認する。殴られたからというとしゃくだが、おかげで頭を冷やすことができた。


「……ですが私は、向いているから、会長に立候補したわけではありません。会長――一城生徒会長になりたいわけでもなく、私は私で、やりたいことがあるからそうしたんです。自分よりもっと向いている人がいるからと、そこで止まっていたら、何もできませんから」


 そしてやっぱり、会長は天敵なのだ。自分を省みた後でも、そこは全然変わらない。


「……やっぱり、三澄さんは強いね」

「……え?」


 しばらくしてから、ぽつりと、先輩がつぶやいた。

 私は首を傾げる。

 なぜ、そんな感想が出てくるのだろう。今まさに、そうではないところを目撃したはずなのに。


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