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第2話

 そのくだんの生徒会長は、眉根を寄せて机上の書類をせっせと崩しているところだった。

 時期によって波がある生徒会の仕事だが、今はまさに大詰めだ。いつもなら温和な表情を保っている彼ですら、目の前の山には渋い顔を隠せないでいる。


 しかし、これは好機だった。私はそっと背後に回り込み、隙だらけの彼の制服を思い切りめくり上げた。

 一拍遅れて、生徒会室に素っ頓狂な悲鳴が響く。


「うわあああ!?」


 室内で作業をしていた役員たちが、一斉に手を止めた。

 その辺の女子生徒より白くてきめ細やかな皮膚が目の前に広がっている。が、目的のものは見当たらなかった。私は舌打ちをして手を下ろした。


「ちょっ……、三澄みすみさん!? さすがに痴漢で訴えるよ!?」


 生徒会室には私と会長、そして数人の女子役員がいた。彼女たちはそろって顔を赤らめ、私たち二人をちらちらと見やる。


「か……、会長の、ハダカ……」

「……会長と副会長って、やっぱりそういう関係だったんだ……」

「違います!」


 会長は服の乱れを直しながら、端正な顔を険しくした。


「遊んでいる場合じゃないよ。次の会議まで、もう時間がないんだから」


 そう言われて、私以外の役員はみな、顔を引き締めて手元の資料に視線を戻した。


 我ら生徒会の目下の仕事は、各部の後期予算の調整である。

 どの部にとっても予算の獲得は重要事項だ。雀の涙ほどの予算しか与えられていない弱小部はもちろん、優秀な成績を収めている強豪部にとっても、部費の増減は一大事である。


 実際、先日の予算会議は予想以上に紛糾し、物別れに終わってしまった。各部の主張は一方通行で、妥協案など出てくる気配すら感じられなかった。そのため、次回は必ず決着が着くよう、役員達で手分けして根回しをすることになったのである。ここにいない他の役員たちは、直接各部へ交渉に行っているはずだった。


 だが私は、先ほどから別の資料を探して室内を徘徊している。会長の言葉は、主に、いや、完全に私一人に向けて放たれたものだろう。


「私は、遊んでいるわけではありませんが」

「でも、バスケ部の予算交渉について考えているわけではないだろう?」


 バスケ部は、部長である鈴城すずしろ先輩の人気が高い、地区大会で何度も入賞している強豪部だ。予算の引き下げ交渉は難航を極めると予想され、それ故に、会長は私にそこを担当させたがっている。


「何度も申し上げますが、私の割り当て分は先週終わりました。それに、バスケ部はじゃんけんで海野うみのが担当に決まったはずです。今更くつがえされても困ります」

「そうだけど、あいつは話し合いが苦手だろう。この間も、一触即発みたいな雰囲気になっちゃって、話し合いは一歩も進んでいないらしいんだ」

「――で、あれば、そこは責任者である生・徒・会・長の出番では?」

「僕は、君に頼んでるんだよ、副・会・長」


 一触即発の状態は今もである。


「副」を強調して嫌みったらしくほほえんだ会長をにらみつけた。天使のようだと評される笑顔が、私には空々しい作りものにしか見えない。


 お願いという名の命令だが、私は言いなりになるつもりはなかった。第一、ここは会長に泥をかぶってもらわねば、私の計画がつぶれてしまう。

 無視して応接用のテーブルをひっくり返していると、会長は意味ありげな流し目を寄越してきた。


「わかってると思うけど、バスケ部の部長は鈴城先輩だよ。憧れの君にお近づきになれるチャンスなんじゃない?」


 私はいったん動きを止めて、大きく息を吸う。


「……なんのことかわかりませんが、バスケ部を説得できるのは会長だけだと思います。何しろ、あなたはあの演劇部を黙らせたんですから」


 演劇部もバスケ部に負けず劣らず人気のある部活であり、部員数だけでいえば、圧倒的なトップを誇る。定期的に公演も行っているため、衣装や舞台設営にかかる金額は半端でなく、部費の獲得に命を懸けているといっても過言ではない。

 だから、私としてもどうやって説得したのか疑問だったのだが、


「そうそう! 聞きたかったんですよ、会長!」

「なんで納得してくれたんですか?」


 私の代わりに役員達が目を輝かせて会長に詰め寄ってくれた。

 すると、珍しいことに、ああ言えばこういう性質の会長が一瞬押し黙った。それから、ごまかすときのうさんくさい笑みを顔に貼り付ける。


「さあ……、僕にもわからないな。でも、基本的にはみんなと同じだと思うよ。今回の政策の趣旨を丁寧に説明したら、最終的には誠意をくみ取ってくれたというか」

「えー、それだけですか?」

「なんか、特別なコツとか話術とかあるのかと思ったのに」


 みな、がっかりして肩を落とす。その中の一人が、フォローのつもりなのか説明を付け加えた。


「うーん……、そういえば、演劇部って前から会長に熱烈アピールしてましたよね。ゲストとして公演に出て欲しいって。だから、会長に頼まれたら断れないのかも」


 考察してくれた彼女には悪いが、いくら会長ファンが演劇部に多かろうと、そんな簡単に了承するはずがない。

 腹黒な会長のことだ。きっと、何か裏取引を用いたのだろう。その証拠をつかんでおけば、後で何かに使えるかもしれない――。


 会長はその後、急に演劇部の話が聞こえなくなったようで、手元の資料に没頭していたが、役員達のおしゃべりは続いていた。


「演劇部といえば、副会長も誘われたって聞きましたよ! 氷のような美人の役なんて、副会長にぴったりですね! 冬の公演、出るんならぜひ見に――って、そういえば、さっきから何してるんですか?」


 怪訝そうな顔をされたので、私は冷蔵庫の扉を閉めて立ち上がった。


「先日、先生方から何か協力を頼まれたでしょう。その資料はどこにあるのかと思いまして」


 実際に書類を渡されていたのは、会長だ。だから、彼が隠しそうな所を探し回っているのだ。


「え? 副会長、聞いてないんですか?」


 役員の一人が、きょとんとして周囲を見渡す。

 私もつられて見回して気がついた。肝心のバスケ部担当の海野はもちろん、他の男子が全員いないのはあまりにも不自然だ。


「あっちとこっちは完全分業でしょう。あっちのグループは今日から現地集合で――」


 そのとき突然、会長がバタンと大きな音を立ててファイルを閉じた。不穏な空気が漂い、生徒会室が水を打ったように静まりかえる。

 私は鋭い視線を生徒会長へ向け、ゆっくりと歩を進めた。彼は気づかぬふりをしているのか、こちらを一瞥もしない。


「……会長……」


 地を這うような声が生徒会室に響く。しかし、憎たらしいことに、会長の笑顔は崩れない。


「私は、最低限の義務は果たしたはずです。他に業務があるのなら、そちらに移らせてください」

「いや、まだ終わってないよ。三澄さんにはバスケ部と、あと二、三カ所追加で担当してもらいたくて――」

「生・徒・会・長?」

「……内緒にしていたのは悪いけど、適材適所って言葉があるでしょ? あっちは女性向けの仕事じゃないんだ。今回くらいは大人しく――」

「――あの秘密、ばらしますよ」

「――秘密なんてないけど、外で話そうか」


 笑みを浮かべたまま、会長は廊下へ私をいざなった。


 生徒会室から距離を取り、二人だけになったのを確かめてから、私は口火を切った。本当は無傷で手に入れたかった情報だが、背に腹は代えられないので仕方がない。会長を脅すために蓄えていたカードを一枚切る。

 大した秘密ではなかったので大まかなことしか聞き出せなかったが、概要だけでもわかれば十分だ。会長の引き留める声を背に、私は急いで学校を後にした。


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