覚醒の感覚は、3度目だ。
けれど今回は、名を呼ばれ、ぐんと腕を引かれるようなそれではない。
気づいたときには、あたたかい陽のもとにいた。そんな感覚。
五感が、鈍い。身体が倦怠感に包まれて、手足を動かすのが億劫だ。
ただ不思議と、不快ではない。むしろ心地よい。
眠っていたのだろうか、私は。
ほぼ答えの出ている自問をするなんて、やはり私はおかしい。
「……おはようございます、セリ様」
可笑しくなりながら、目前のぬくもりにふれる。
穏やかな呼吸を邪魔しないよう、声は潜めて。
けれども一度ほどけてしまった感情は、どうしようもない。
「セリ様……セリ様」
いけないとは思いつつも、手を伸ばしてしまう。
「私の……愛しい、セリ様」
今このときだけは、貴女は私だけのもの。
「……ん……」
私がこんなに浅ましい男だとは知らずに、貴女は無防備にも、吐息をもらす。
その唇がやわらかいことを、知らない私ではない。
亜麻色の髪を梳き、白い頬ヘふれる。
罪悪感だとかいうものは、どこかへ放り投げてしまった。
今の私は、さながら甘い蜜に誘われた蝶──などと、あぁ可笑しい。
「……んっ」
やわらかい感触がたのしくて、繰り返しついばんでしまう。
拒む声がないのをいいことに、唇を吸う浅ましさが止められない。
そのうちに、しっとりと濡れてきた桃色があまりにも悩ましげな芳香を放つから、食まずにはいられなかった。
「……はぁ、んん……」
「セリ様……」
「んっ……ふ」
「あまい、です」
「ふぁ……んっ」
「もっと、ほしいです、セリ様」
「んんっ……」
覆った唇を、やわやわと甘噛む。
「……っん、はぅ」
「は……セリ様」
「ふぁあ、」
「私だけの、セリさま……」
「んぅっ、んんっ……」
「かわいらしい……かわいい」
飽くことなく口づけて、息を継ぐ合間に頬を撫でる。
ねぇ……セリ様。
キスとは、どうしてこんなにも、気持ちいいものなのですか。
はじめて貴女に口づけた日から、この感覚が忘れられないんです。
もっとほしい。
くぐもる吐息を、すべて食べてしまいたくなる。
この行為が力の供給手段に留まらないことは、誰よりも私自身が理解していた。
「……お慕いしています。貴女を敬愛し……ほかの誰でもない貴女に、恋焦がれています、セリ様」
ジュリ様ばかりに構わないで。
ヴィオ様ばかり見つめないで。
いっそ、叫んでしまいたかった。
それが親愛の情だとしても、私には耐えがたいものなんです。
私だけを、見て。
わがままを言って困らせて、それで心優しい貴女が絆されてくれるなら、どんなによかっただろう。
だけど貴女は、困ったように微笑んで、それからこう言うのだろう。
──ごめんね、と。
人間だとかドールだとか、そんなことは関係ない。
何より貴女自身が、『それ』を拒んでいる。
ねぇ……セリ様。
私は、貴女のドールですから。
それくらいの心の波は、わかってしまうんです。
「……いけませんね。緩んでしまいます。やっぱり省エネルギーモードは、必須ですね」
頬を伝うものを袖で拭いながら、薄笑う。
力の消耗を極力抑えるために、生体活動において、影響の少ない機能に抑制がかかる。
だから戦闘に特化したドールの多くは無愛想なんですよと、そんな些末は、わざわざ知らなくてもいいことです。
「愛しています。心から……愛しています」
それならせめて、ひとときの夢を。
貴女を悲しませてしまわぬように、このときだけは、ただのがらくたでいさせてください。
貴女が目覚めたそのときは、立派な騎士であれるように。
貴女をこの手でお守りすることこそ、私が私たる意味だから。
眠るセリ様の前髪を梳いて、あらわになった額へ口づける。
幸福感に胸が満たされて、おのずと頬が緩んだ。
「──ッ!?」
その直後だった。
割れるような頭痛に、突如として見舞われたのは。
とっさに呻き声を押し殺し、シーツへ片肘をつく。
「……なん、だ……これは」
神力の循環に異常をきたしたわけではない。
外傷によるものでもない。
不具合は一切感知できない。
それなのに……何故か無性に、胸がざわめく。
「つ……ぅ」
……離れなければ。
何らかの原因で神力を消費して、セリ様に負担をかけてしまうことになる前に。
鈍器で殴打されたかのように軋む頭を抱え、ベッドを抜け出す。
──……えし……て……
反射的に身構える。
けれど未明の寝室には、薄暗い静寂が流れるだけ。
私と、セリ様。
ほかに魔力反応はない。ここには間違いなく私たちしかいない、はずなのに。
──かえし……て。
また聞こえた。今度はより鮮明に。
比例して、頭の疼痛は増悪していた。
たまらずよろめき、手をついた先。
そこに……いた。
姿見の向こうで、漆黒の瞳から涙をこぼす、『私』が。
いや、違う。
──返して。僕の星凛を、返して。
『彼』は私ではない。
同じ容姿の、まったくの別人だ。
「貴方は、一体──」
誰何の声に、答えはない。
──星凛を返して。僕の星凛を、返してよ。
ともすれば、姿が視認できるだけで、こちらの声は届いていないのかもしれない。
そのことを裏づけるように、『彼』はただひたすらに、虚ろな漆黒から涙を流すのみだった。
第1章「嘆きの森編」 完