親愛なるオリヴェイラ・ウィンローズ様
お久しぶりです、星凛です
元気にしていますか?
みんながウィンローズに帰ってから、
ひと月が経ちました
もうそんなになるのか、早いなぁ
あたしはといえば、
ジュリがよくお世話してくれたおかげで、
すっかり体力も戻りました
今はヴィオさんを見習って、
体力作り始めよっかなって思ってたり
そうそう、
こないだジュリがね、快気祝いに、
チキンの香草焼きを作ってくれたの
ローズマリーのいい香りがして、
すっごく美味しかった!
リアンさんがレシピを教えてくれたんだってね
よろしく伝えておいてね
まだ屋敷の外には出られないけど、
わらびが遊び相手になってくれてるから、
毎日楽しくやってます
エデンに来て、まだふた月も経ってない
はずなんだけど、
色んなことがあったんだなぁ
ウンディーネも故郷に戻れたかな
だといいな
それでね、オリーヴ、
昨日のことなんだけど、
森での一件があってからはじめて、
ひと月ぶりに、ゼノと会いました
* * *
ノックを3回。返事はない。
「失礼しまーす……」
なんとなく声をひそめて、ドアノブを回してみる。
鍵のかけられていない木製扉がキィ……と鳴いて、おっかなびっくり足を踏み入れるあたしを迎え入れた。
ひとり分のワークスペースを確保した、ナチュラルウッドの机と椅子。それから、クローゼットにシングルベッド。
それだけで少し手狭に感じるくらいの一室は、居住することを想定していない、ビジネスホテルのそれを思わせた。
未使用のまま、置かれただけの家具。
生活を豊かにするものが、返って生活感のない虚無空間を作り出すなんて、皮肉かな。
だからと言って、部屋の主がいないわけではない。
カーテンの引かれていない西向きの窓から射し込んだオレンジの陽が、壁にもたれかかった青年を照らす。そのまぶたは、固く閉ざされたまま。
「ゼノ……」
歩み寄っても、返事はない。
変わらない静寂が、そこにあるだけ。
ぐっと爪先に体重を集中させ、かかとを浮かせる。
そうして背の高い彼の首筋に、ようやくふれることができる。
「ゼノ、起きて」
口からこぼれた独り言じゃない。
今度はたしかな意味と意思を持って、名前を呼ぶ。
陶器のように白い肌が、発火したかのごとく熱を持った。
直後、ぐるんと視界がひっくり返って。
「──嗚呼」
大きく体勢を崩したはずなのに、床に頭を打ちつけることがなかったのは、あたしをきつく抱きすくめる腕があったから。
「やっと……お会いできました、セリ様」
彼はどんな表情をしているだろう。残念ながら、それを視覚的に捉えることはできないけれど。
「ずっと、お声が聞きたかった……私の、セリ様」
繰り返しあたしを呼ぶ声音はわずかに震え、こっちの胸まで掻き乱すような、熱い温度を帯びていた。
* * *
『嘆きの森』で意識を失ったあたしを抱え、オリーヴたちのもとへと戻ったゼノは、屋敷であたしの処置がなされたのを見届けると、どこへともなく姿を消した。
翌朝、目を覚ましたジュリによってゼノ自身の部屋にて発見されたが、いくら呼びかけようともまぶたを開くことはなかったのだという。
「セリと同じように、神力を消耗したからだわ。そしてあなたのために、ゼノ様はあなたのもとを離れたのよ」
意識を取り戻し、ゼノの所在を問うあたしに対するオリーヴの答えは、こうだった。
ドールは主の力を分け与えられることで、はじめて動くことができる。
通常ならある一定距離にいることで自動的に力を供給しているが、極度な枯渇時には、そのバランスが壊されてしまう。
つまりゼノは、神力を使い果たしたあたしからの無理な供給を未然に防ぐために、独り部屋に篭り、シャットダウンしたのだと。
──すぐにでも会いたい気持ちは、痛いほどわかるわ。
でもあなた自身の体力が回復するまで、ゼノ様と会ってはダメ。
この言葉を聞いたときは、泣いてしまった。
オリーヴに酷なことを言わせてしまったのと、自分が情けないのと、さびしいのとで、頭がぐちゃぐちゃになって。
でも、泣いてばかりいられないよね。
ゼノがあれだけ頑張ってくれたんだから、せめて目を覚ましたときは、笑って迎えてあげたかったんだ。
そしてあたしは、ようやく待ちわびた日を迎えることができた。
……と、感動の再会を果たしたところまではよかったんですよ。
「セリ様」
「は、はいっ!」
「どちらへ」
「しょ……食後のお散歩?」
「お供いたします」
わらびのお散歩も兼ねて夜の庭園を見に行こうものなら、ぬっと背後から現れ。
「おはようございます、セリ様」
「ふぁいっ!」
「今朝はどちらへ」
「た、体力作りで走り込みでもしようかなって!」
「お付き合いいたします」
はたまた屋敷の周りをひとっ走りしようと早朝に外へ出ようものなら、いかにも鍛錬してました風なシャツのみの軽装で、颯爽と前から駆け寄られ。
あのうゼノさん、もしかして目を覚ましてから、24時間体制であたしの警備でもしてます?
「大丈夫? ちゃんと休んでる……?」
「私は睡眠を必要としません」
「うーん、そうだけど、そうじゃなくてぇ……」
夕食までの暇を持て余して、何気なく屋敷の廊下を歩いているときも、隣には当然にゼノの姿。
良くも悪くもドール。生活習慣というか、そもそもの肉体構造の違いが、会話のズレを生んでしまう。
「私はセリ様の騎士です。セリ様のおそばにいて、セリ様をお守りするのは、当然のことです」
「ちょっと見ない間に、なにやら頑固になりましたね?」
元々寡黙なゼノだけど、たまに口を開いたかと思えば「私はセリ様の」「セリ様は私の」「セリ様」「セリ様」「セリ様」と──自分の名前でゲシュタルト崩壊を起こしそうなんですが。
「ねぇゼノ! 毎日おんなじことしてると、退屈しない?」
「特には」
「気分転換とかしてみたら世界が変わるんじゃないかな! ほら、趣味とか見つけたりして!」
「趣味、ですか」
「そうそう、趣味!」
「趣味……」
「やりたいこととか、好きなものとか!」
「そういったものは……あります」
「おっ、いいね! なにかな、なにかな〜?」
「セリ様です」
「なぁるほど! ってなんでやねんっ!」
ハリセンがあったら、お笑い芸人もびっくりな見事なツッコミを入れていたところだった。
趣味、セリ様って、それどういう意味。
至極真面目な顔が、目の前にある。しかもめちゃくちゃ顔がいい。
ハチャメチャに美形な青年が、控えめに言ってアウトな発言を真顔で炸裂させている。
うん……だから、それどういう心境?
「ごめん、あたしの質問が悪かった。無理に答えようとしなくていいんだからね?」
「……無理、とはなんですか。セリ様には、私が無理をしているように見えるのですか?」
「んん?」
流暢に受け応えていたゼノが低く唸って、普段は表情に乏しい顔が歪む。
「うそなんて、言ってないのに」
険しい色を滲ませたこがねが、ふいと背けられた。
あれ……これって。ゼノ、そっぽ向いてる…?
「ごめん」
「何に対する謝罪ですか」
「怒らせちゃったから」
「私がどうして怒っているのか、セリ様はおわかりですか」
「それは……」
もちろんなんて、わかったようなことは言えなかった。そんな無責任なことは、口が裂けても。
ゼノは好んで自己主張をしないだけで、感情がないわけじゃないんだ。あたしが決めつけることはできない。
「……セリ様は私に歩み寄ってくださるけれど、私が近づこうとすると、セリ様は逃げてしまうからです」
嘆息まじりの告白は、呆れているというより、寂しげで。
「あんなに愛情を注いでおいて、私の愛情は、受け取っていただけないんですか」
黄昏時の静寂に、そのひと言が、やけに響いた。
「あ……れ」
なんだろう、この既視感。
どこかで聞いた気がするなんて、とぼけたことを。
……なんでなのよ、今更。
同じ面影で、同じことを。
いつの間にか足は止まっていて、時間も止まったみたいだった。
見つめ合っていたのが、一瞬にも、永遠にも感じる。
「あっ、母さんみっけ! ごはんだよー!」
溌剌とした呼び声が、止まった時間を吹き飛ばす。
一度寝室のほうを見てきたんだろう。ちょうどあたしの後ろからやってきたジュリが、はたと気づいたように立ち止まった。
「ゼノも一緒だったんだね……ってあれ。どうしたの? なんかすごく、怖い顔してるけど……」
まずい、このままでは非常にまずい。
違うのジュリ、これはね、とあたふた開いた口も、横切る背中に遮られてしまう。
「ジュリ様、折り入ってお話があるのですが」
「え、オレに? どうかした……?」
物々しい空気をジュリも感じ取ったよう。ずいと詰め寄るゼノに、若干気圧され気味だ。
これは、あたしが干渉しちゃいけないやつ。
それだけは本能的に理解したので、そろり、そろりと、距離を取ってみる。
「うん? そうだよ、母さんは優しいから、いつも……えっ? ゼノも!? えぇっ、今夜!? それは急だな、えぇっと……」
ゼノの話を聞いたジュリの顔色が、赤くなったり青くなったりしてる。
薄暗い地下室を探検するときも、モンスターに襲いかかられたときも、ちっとも怖がっていなかったのに。
ジュリがあんなに絶望的な表情をするなんて、一体何が……
「そう、だよね……ゼノ頑張ったもんね。そういうことならオーケー、わかった! オレも我慢できるよ! わらびも任せて!」
「ありがとうございます、ジュリ様」
話がまとまったらしい。グッと親指を突き立てているジュリくん、すごく笑顔でだばだば涙流してるけどね。
笑いながら号泣している。待ってジュリ、何を言われたの……!?
状況がまったく把握できず、気が気でなくなってきたあたし。
そこへ、颯爽と踵を返したゼノが戻ってきた。
「ということで、ジュリ様のお許しもいただきました」
「あの……ごめん、なんのことかな……?」
「『ご褒美』、まだだったでしょう」
「はぅあッ……!」
訳のわからん声が出た。あかん、すっかり後回しにしていた。
忘れてたわけじゃないの、ほんとに忘れてたわけじゃないの!
と、言い訳を試みたところで、何も変わらず。
相も変わらず真顔なゼノさん、最後にひとつ、爆弾を落としましたとさ。
「今夜は私と、添い寝をしてくださいね、セリ様」