漆黒と紺青のグラデーションに散りばめられた、無数の星。
それが、何かに引き戻されるよう覚醒してから最初に目にしたもの。
こりゃあすごいな。なんだってあたしは、よく見知った真っ白なシーツの感触に埋もれて、満天の星のもとに放り出されているんだろう。
まぁ夢の中なら、こういう不可思議でへんてこな光景もおかしくないか。
よっこいせと上体を起こし、ぐるりと首を巡らせる。
これまた不思議なことに、地面が見えない。
見渡す限りの星空へ、クイーンサイズのベッドと共に、ぽつんと取り残されていた。
えぇ、そんなことある……? 半ば尻すぼみながら身体を90度回転させ、ベッドから投げ出した足を、そろ、そろり……と星空へ落とし込んでみる。
しかし予想に反して、ぺたり。ひやりと無機質な大理石のような感触が、むき出しの足底に伝わった。
あ、浮いてるわけじゃないんだ。足元が見えないだけで。
気怠くはあったけど、眠気はそこまででもなかった。夢だからかな。
なら、いつまでもベッドに居座る理由はない。喉渇いたし……その辺の感覚はリアルなわけね。
うーん、地味にやだな。そのうち目が覚めるかな。
特に宛てがあるわけでもなく、なんとなく腰を上げようとして、がくり。視界の瞬く星がブレた。
膝にまったく力が入らなくて、そのくせ立ち上がろうとして、両足がもつれたのだ。
えぇえ? と何が起きたのかも理解できないあたしがそのまま見えない床と華麗にキスを交わすのも、時間の問題だった。
「……いひゃい……」
脳と上半身は元気なのに、下半身がぽんこつだと、こういうことになる。
夢の中でもドジっ娘なのか。そんな属性要らない。
と誰にでもなく遺憾の意を脳内で主張していたあたしは、いや、気にするとこ違くね? とふいに冷静になり、考えを改めた。
なんたって、痛いんだから。ぶつけた鼻が。
そして気のせいでなければ、バタバタバタと、どこからか猛烈に爆走する足音が近づいてくるような。
──バァンッ!!
気のせいでなければ、目の錯覚でもなかった。しんと寝入った星空に、爆音が響き渡ったのだ。
具体的に言うなれば、それは力任せに開け放たれた、木製のドアのような。
はぁ、はぁ……と荒い呼吸の聞こえるほうへ視線を辿らせると、青藍の髪を振り乱した少年が、肩で息をしながらたたずんでいる姿に行き当たった。
瞬く星だけが頼りの漆黒の中、その光景が鮮明に視認できたのは、彼の周りに浮かんだ文字だか模様だかの帯が、くるくると宙を滑りながら、白く発光していたから。
「…………ジュリ?」
ほとんど無意識に名前を呼んだ次の瞬間、光に灯されたジュリの顔が、悲痛に歪む。
「何してるの!」
「え?」
怒られた……なんで?
何が逆鱗にふれたのかさっぱりわからない。
困惑しかできずにいると、ずんずんと大股で詰め寄ったジュリが、いまだ這いつくばっていたあたしの左腕をさらう。
「は?」と間抜けな声をもらしているうちに、細身の腕からは考えられない力で抱き上げてしまった。
「無理に起きちゃダメでしょ!」
「えっと……ジュリ?」
「ああもう、鼻が赤くなってる。怪我したらどうするつもりだったの!」
「いや、ちょっとつまずいただけだし……大丈夫だよ」
「いいや、母さんはわかってない、自分がどれだけ大変な状況にあるか、ぜんっぜんわかってない」
「えぇ? どこも痛くないのに……!?」
「いいから寝てて! まだ起きちゃダメ! オレがお世話するから!」
「えぇえ……!?」
そんな……22歳にして、介護される羽目になるなんて。
ほんとに大丈夫だから、普通に歩けるからと説得しても、ジュリは聞く耳を持たない。
手足をばたつかせるあたしも知らんぷりで、ボスッとベッドに強制送還した。
「ストップ、ジュリ! ちょっとお話しよ、」
う、と、肝心なところで語尾が消え入った。
なおも立ち上がろうとするあたしの肩をつかんだジュリが、ぐっと体重をかけてきたから。
……ギィイ。
ふたり分の体重を受け止めたスプリングが、軋む声を上げた。
ベッドヘッドに押しつけるように覆い被さってきたジュリは、見目相応な高校生の男の子程度の上背がある。
どちらかといえば華奢な身体つきだけど、あたしよりも断然背が高いし、骨格だってしっかりしてる。
「……ばか」
だから余計に、喉の奥から絞り出されたようなそのひと言がちぐはぐに思えるというか。
「3日だよ……なんで全然、目を覚ましてくれないの……ばかっ……かあさんの、ばかぁっ……!」
コップからあふれた水みたいにわぁっと抱きついてきたジュリのぐしゃぐしゃな泣き顔は、年相応に幼くて。
「みっか……うそあたし、3日も寝てたの!?」
「うそじゃ、ないもん……うぅ、ぅあああ!」
「ごごっ、ごめんジュリ! ごめっ……ぐぇえ!」
ここまで来れば、疑問を抱かずにはいられなかった。
転んだらしっかり痛いし、号泣するジュリに抱きしめられて、窒息しそうだし……
この夢、夢にしてはリアルすぎでは。
「うそ、ごめん、ほんとは、うれしいの……よかった……かあさんがぶじで、よかったよぉお……! うぁあ、わぁああん!」
火がついた赤ちゃんみたいに泣き出したと思ったら、わんわん泣きじゃくるジュリの周囲で、さっきの光る帯が、パッと弾けた。
すると、なんということだろう。
あたしたちを取り囲んでいた星空がすぅっ……と消え、見慣れた寝室の天井が姿を現したのだ。
なにこれ……どゆこと?
ポカンと開いた口が塞がらないあたしへ追い討ちをかけるように、新たな足音が聞こえて。
「セリ!」
「セリ様!」
「レディー! 目を覚まされたのですか!」
立て続けに呼ばれ、みんながみんなそろって切迫したように詰め寄ってくるもんだから、段々思い出してきたぞ。
「うん……それはまぁ、見ての通りですので」
とりあえず、説明もらえます?
* * *
「おそらが、きれいだなぁ……」
へへ……と薄ら笑いを漏らしながら、どこまでも青い大空を細く切り取る。
こんなにいい天気の日はお散歩日和。
……なんだけど、あたしの両足はお行儀よくそろえられたまま、パカラ、パカラ、と規則的な音に揺れる景色を眺めさせられていた。
なんとまぁ、コミカルな足音よ。
「ちょっと外に出たいな」と申し出た言葉も終わらないうちに、満場一致で即却下を食らった星凛さんが、どうにかこうにか奮闘して勝ち取ったお散歩タイム。
アホみたいに筋力が低下し、足が生まれたての子鹿みたくなるあたしをみんなが黙って外に出すわけもなく。
今はリアンさんが魔法で作ってくれたゴーレムに乗って、移動している。
小柄なあたしが、ちょっと腰を落とすだけで簡単に乗ることができる、ちいさな木馬のゴーレム。
前に森で見たものより馬々してなくて、カラフルな積み木で作られた、こどもの遊具みたいな子馬のゴーレムだ。
速度も人が歩くのと同じくらいだから、手綱を引かず、足を投げ出して横乗りしても、振り落とされる心配はない。
あたしね、なかなかにメルヘンな光景だと思うんだ。
先頭にジュリ、左右両脇にオリーヴとリアンさん、後方にヴィオさんと、四方をガッチリ厳重警備で固められていなければ。
「自覚はなくとも、神力を使いすぎた反動は相当なものだったわ。だから倒れたのよ、あなたは」
それは、オリーヴも同じだったはず。
たしかに神力を込めた子守歌を歌い続けた影響で、オリーヴの声は枯れてしまったらしい。
でもそれは一晩だけのことで、三日三晩眠り続けたあなたのほうが心配よ──と言われてしまえば、それ以上は何も返せなかった。
「目が覚めたら、すべて終わっていたんです。何もお力になれなくて、ごめんなさい……」
微笑みを絶やさないリアンさんが、はらはらと涙を流して謝っていた。
「……己の未熟さを、痛感いたしました」
ヴィオさんは、言葉少なに唇を噛みしめていて。
「だけどね、わたくしが一番言いたかったことは」
つられて俯くあたしの肩にふれ、そっとオリーヴが告げた言葉。
「怖かっただろうに、よく頑張ったわね。あなたはすごい子だわ、セリ」
──そんなこと、言われたら。
色々ダメに、決まってんじゃん。
休息を経て、体力を回復したみんな。
その中であたしだけが目を覚まさずにいたから、ジュリがかじりついて離れなかったのだそう。
『プラネタリア』──意識が戻ったときに目にした星空も、そんなジュリの星魔法によるもの。
疑似宇宙空間を作り出して、閉じ込めたものを絶対に外に出さない。
というと語弊があるけど、一時的に外界との繋がりを遮断して、『危険』からあたしを守っていたんだって。
そうやって過敏になるくらい、あたしが倒れてしまったことがトラウマだったんだろう。
ジュリたちには、本当に申し訳ないことをした。
ひとつずつ、ひとつずつ、あたしが知らない間に起きた出来事を、みんなの口から聞いて、飲み込んでゆく。
こうして、『嘆きの森』での事件から4日目。遂に、彼女と再会を果たす。
「──はじめまして。マザー・セントへレム」
晴天下の庭園にて。噴水の水が流れに反して巻き上がり、やがて美しい人魚の姿をした女性が現れる。
四大精霊がひとつ、水の精霊、ウンディーネ。