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*31* 木漏れ陽にかかる七色

 どうやらあたしは、もうひとつ勘違いをしていたらしい。


 この身に宿っていたのは魔力ではなく、神力。

 そして神力は代償を伴うために、セフィロトの許しを得なければ、使うことができない。

 だから、力を貸してほしいと呼びかけた。

 返事はなかったけれど──……


 でもそれは、大きな勘違いだった。

 セフィロトは、無視していたんじゃない。たしかに許可していた。

 今日呼びかけるよりも、もっとずっと前……たぶんあたしがエデンへやってきた、その日には。


「……身体が、あついっ!」


 血液が全身を駆け巡り、沸騰しているみたいだ。

 思えば、いつもこうだった。元の世界でセフィロトに祈ったときも、気を失った。

 街で暴走したジュリを止めた翌日も、熱を出した。

 それこそ、代償。


 これまでにあたしは、自覚していなかっただけで、無意識のうちに神力を使っていたんだ。

 使えないんじゃない。できないと思い込んでいただけ。

 それを、彼が証明してくれた。


「ゼノ!」


 ドールは、供給がある限り動き続ける。だから。


「あたしの力をあげる」


 やり方は、理解していた。

 激しい雨の中、ウンディーネと対峙するゼノへ両手をかざす。

 とたん手のひらが熱を持ち、周囲の空気が細かに振動する。


 急速に集束する、白い光。

 これが、神力。

 呼応するかのごとく、ゼノの身体が、彼の持つ剣が、にわかにまばゆい光へと包まれる。


「あたしのことだけ、考えて」


 ふ……と、雨音の奥から、笑い声が聞こえた気がした。


「なら──私だけを、見つめていて」


 やられた、と。

 いっそ清々しいくらいの、意趣返しだ。


 悔しいから、張り切ってプレゼントを贈ることにする。返品はできませんので。

 さぁ、たっぷりと受け取りなさい。


 高まる熱。

 白く染まる視界に、身を翻す青年だけが、鮮やかに焼きついていた。


 剣とは、誰かを傷つけることで、誰かを守るもの。その覚悟を持たない者が、騎士を名乗ることはできない。

 では、あたしのために、彼は誰かを傷つけているのか。

 答えは、ノーだ。


「シャアアアアッ!!」


 怒涛の斬撃を受け、のた打ち回りながら絶叫するウンディーネ。

 ゼノの剣は、たしかに彼女を捉えている。けれど水によって構成された身体は、綺麗なまま。


 オリーヴが言っていた。

 神力は、愛する者を守る力だと。

 それはつまり、善を守り、悪のみを絶つ力。


 隠れようったって、無駄なんだから。


「ゼノ! 首、それから両手首に、尾びれ! 4ヶ所に、悪趣味な鎖が繋がれてる!」


 邪悪に反発する神力は、ウンディーネを雁字搦めにしていた禍々しい力をほどき、その全貌をあらわにさせる。


「視えました」


 ヒュンッ。

 体勢を低くしたゼノが身をよじり、目にも止まらぬ一閃を繰り出す。

 亀裂の入った硝子が、砕け散るような音。

 やがて、どす黒いオーラを放つ鎖が跡形もなく崩れ去る光景を、目の当たりにした。



  *  *  *



 急激に鳴りを潜める雨音。消えゆく波。静寂。

 たっぷりの沈黙を挟んで、ふと呼吸の方法を思い出した。


「やったの……?」


 見つめる先で、剣を下ろし、向き直るゼノ。

 地面に横たわるウンディーネへ向けられる星空の瞳は、凪いだ夜そのもの。


「鎖は消えました。ほかに私たち以外の魔力反応はありませんね。影は残さず、ということなのか──」


「でかしたゼノ! ついでに着地任せた!」


「──おっと!」


 さすがゼノ。周囲に気を配っていた不意を突かれても、華麗な反射神経と身のこなしで受け止めてくれた。

 覚悟していた衝撃は、ほとんどなかった。すとんって、本当にそんな感じ。

 どういう力のいなし方をしたら、そうなるんだろう。

 すごいすごい、パチパチパチ。満面の笑みで拍手する頭上に、嘆息がこぼれた。


「高い木から、飛び降りてはいけません……」


「それじゃあ、木登りをさせてはいけません」


「以後気をつけます。お加減はいかがですか、セリ様」


「平気平気。一番頑張ったのはゼノでしょ。これくらいどうってことないって」


 はじめて自分の意思で神力を使ったけど、ちょっと気怠い程度だ。

 なので赤ちゃんよろしく抱っこされなくても二本足で立てることを、言外に訴えてみた。

 ゼノは少しの思案を経て、泥濘の少ない地面へ、そっと下ろしてくれた。


 息を吸って、吐く。そんな当たり前のことが、当然にできることの素晴らしさ。

 どこまでも薄暗く、水中にいるかのように息苦しかった森には、一筋の光が射し込んでいた。

 見上げた木漏れ陽の合間に、七色が架かっている。 

 キラキラと反射する光の粒が、まぶしいったら。

 絶え間なく降り注いであたしたちを祝福する、紙吹雪みたい。


 帰ろっか。みんなのところに。

 でも焦っちゃダメ。その前に。


「手荒なことしちゃって、ごめんなさいね。大丈夫ですか? ウンディーネさん……」


 怪我はさせていないから、その辺は大丈夫なはず。

 ただ相当な魔力を消費しているみたいだったから、動けるかどうか。

 あたしだって、倒れたひとを放置するほど非常識じゃない。


 お家、近いかな。とりあえず……川とか湖とか、水のありそうなところでいいかな?

 送るついでにもし目を覚ましてくれたら、帰り道を教えてくれると嬉しいです。なんちゃって。


 ほけほけとひとりで笑いながら、陸に打ち上げられた人魚のような──というか、そのまんまなウンディーネの、透明で華奢な肩にふれる。


 ひんやり、していたと思う。

 なんでそこ曖昧なのって感じだけど、仕方ないじゃん。

 冷たい感触はあった。でもそれが、どこか遠くにあるみたいに鈍かったんだから。


「……あ……れ……?」


 なんだろ、急に視界が、ぐにゃって。


 なにが、おきたんだろ。


 たしかにそう呟いたはずなのに、あたし自身の喉から発された声なのに、くぐもって、よく聞こえない。


 あたしは今、立ってる? 座ってる?

 天と地もわからない。

 ふわふわと浮いたような心地の中、とく……とく……と、胸を叩く規則的な感触が、やけに遅く感じる。


「──セリ様ッ!!」


 呼ばれたような、気がした。

 なぁに、とたったひと言口にすることもできなくて。

 曖昧で真っ白な世界が、ただただ、一面に広がっていた。

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