──聞いて、セリ。
ジュリ様が生まれながらに類まれなる魔力を持っていたのは、あなたが高純度の神力を持つことと、密接な関係があるわ。
こどもの魔力は、マザーから受け継がれるもの。ジュリ様にも、その法則が適用されたはずよ。
だけどあなたがその身に宿していたのは、魔力ではなく、神力。
神力は、セフィロトに愛されたマザーにしか与えられないわ。
マザーの第一子といえど、使うことは決して許されないの。
ゆえに、ジュリ様は天才的ともいえる魔力を得た。
本来受け継がれるはずだったあなたの神力が、オーナメントにその生命を宿す過程で、魔力に変換されたの。
神の力が元になっているのよ、杖も詠唱もなく魔法を使うことができるのも、考えてみれば、まったくおかしくはないことだったんだわ。
そして、ゼノ様。
ドールである彼は、セリの高純度の神力を直接注がれているわ。
セリと同じく、邪悪なる力に対する高い抵抗力を示していることが証拠。
それだけじゃない。このことは、ゼノ様の原動力となっているのが、
信じられないわ。でも現にそれが許されているの。ほかでもない、セフィロトに。
セリ、ゼノ様。
あなた方なら、悲しみに支配されたこの森を、泣き止ませることができるかもしれない。
ですから、お願いします。
わたくしたちの代わりに、断ち切って。
「──今です、おゆきなさい、ふたりとも!」
この先に待ち受けているものは何か。
そんなの、わからない。
でも陽だまりのもとから飛び出すことに、ためらいはなかった。
「約束するわ。みんなはわたくしが守ると。ヴィオも、リアンも、あなたの大切なジュリ様も、そしてあなたたちも、絶対に傷つけさせないんだから」
背中を後押す声が、腕を引く力強い手が、あたしにはあるから。
「ありがとう、オリーヴ。みんなをよろしくね!」
返事の代わりに、ふわりと、薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。
「この声が枯れたとしても、歌い続けましょう──わたくしは、いつでもあなたたちのそばに在るわ」
振り返ることは、もうなかった。
「行きましょう、セリ様」
「うん、行こう」
身体を包む清廉な力をしかと感じながら、泥濘んだ地面を蹴る。
進もう、前へ。
* * *
別れ際、オリーヴはこうも言っていた。
わらびさんに、ついて行って。
きっと道を教えてくれるはずだから、と。
「はぁっ、はぁっ……はぁっ!」
ヴィオさんの補助魔法は、とっくに効果が切れている。でもそれが何だって話だ。
ジュリたちが感じた苦しみに比べたら、こんなもの。
わらびに導かれるまま、森の奥へ奥へと、がむしゃらに突き進む。
「セリ様」
「大丈夫っ、運動音痴だって、諦めなきゃそのうちゴールにたどり着くっ! うぉお根性ぉおッ!」
先導するゼノが時折振り返り、気を配ってくれるけど、甘えている場合じゃない。
そんな暇があるなら、少しでも前へ、前へ。
「ていうかゼノ、あたしさ、気づいちゃったの、苦しいの通り越すと、気持ちよくなってくるッ!」
「そうですか。それはよかった」
「別にあたしがドMだとかじゃないよッ!?」
「はい、わかってます」
高校時代、マラソン選手だった陸上部の友だちが、「走り続けていると、心拍数や血圧が安定して、楽になる」って言ってた。セカンドウインド、だっけ。
当時は物好きだなぁなんて、彼女の話を受け流していたけど、実際に経験したとなれば、かつての自分をぶん殴りたくすらなってきた。
激しい雨は、勢いを緩めることなく打ちつけてくる。でも。
「オリーヴの歌声が、聞こえる……」
不思議だ。走り始めて、少なくとも十数分は経っている。
オリーヴたちを残してきた場所からはかなり離れているはずなのに、子守歌のように優しい旋律は、ずっとそばにあるように消えることがないんだ。
「私にも聞こえます。マザーの……セフィロトの加護とは、こんなにも心地よいものなのですね」
「うん、土砂降りの中を走っても全然濡れないし、寒くない」
きっとオリーヴの言っていた邪悪なる力を、神力が弾き返してくれているおかげだろう。
「あのさゼノ、いざっていうとき、全部ひとりで解決しちゃいそうだから、先に言っとく」
「はい、何でしょうか」
「あたしたちに喧嘩売ってきたばかちんを見つけたら、一発殴らせてね」
こがねの瞳がわずかに見開かれ、振り返る。
色々言われる前に、先手を打つことにする。
「ダメって言うのはダメ。ていうか、ゼノも今更、おしとやかなあたしとか求めてないでしょ?」
「……セリ様」
「あたしはお姫様じゃないの。ごく普通のOLだった、ただの星凛なの。命懸けで守りますとか抜かしたら、その整ったお顔にデコピンかまして、猫っ毛ぐっしゃぐしゃに掻き回してやるからね」
これは、予防線だ。
あたしが、罪悪感に苛まれないための。
役立たずだって後悔するのは、もうごめんだ。
黙り込んだゼノは、何を思っているだろう。
また突拍子もないことをとか、無茶なことをとか、呆れているのかもしれない。
「それがセリ様のお望みなら、私は、叶えて差し上げるだけです」
「……うんっ?」
あたしがいなくなったときは、物凄い形相になって追いかけてきたゼノだ。
反論を覚悟していただけに、続く言葉は肩透かしをストレートで食らわせるものだった。
「私がお慕いしているのは、マザーではなく、セリ様ですから」
なんてこった、これは予想外。
「ゼノさんたら、いつからそんな、おべっかを使うように……?」
「冗談は言いません。私は私の役目を果たします。ですので、頑張りますので、上手くできたらご褒美を求めます」
「うそっ、ゼノがわがままを言うなんて!? ご褒美って何? あたしにできること!?」
「できることです。今は教えません」
「秘密にされると怖いな!? やだっ、何させる気!? 教えてよゼノ〜!」
「教えません」
ちょっと待って、ちょっと待って。
これが普通の人間なら、好きな食べ物とか、趣味とか、そういうのから大体の予想はできる。
でもゼノは食事をしないし、娯楽に精を出すような性分でもない。趣味嗜好なんて、知るはずもない。
つまり、どの方向から、どんな速度で、どんな球が来るのか、まったく予測不能。
こんな、はなから受け止めさせる気のない鬼畜なキャッチボールある? ミット放り投げてもいい?
はっ……もしかしてゼノ、Sだったの!? あたしMじゃないって言ったじゃん! やめてよ!
「ビビィッ……!」
「うぉおっと!? どうしたわらび! 急に立ち止まって、踏んづけちゃうとこだったぞ!?」
餡が飛び出たらどうすんの!? と声を荒らげるあたしの前に、ゼノが立ちふさがる。
え、ちょ、急にどしたん、前がまったく見えん。チビだから? チビなあたしが悪いの?
「これだから長身イケメンは……ゼノさーん?」
ゼノが突然こんなことをする理由なんて、少し考えればわかる。
ただ、自慢じゃないけどあたしはアホなので、緊張感もなく広い背からそろーっと顔を出して、やっとすべてを理解した。
「なっ……に、あれ……!」
たどり着いたそこでは、滝のような豪雨が降り注いでいる。
空が見えないほど木の生い茂った真っ暗な空間でも、蠢く『何か』がいることに気づいたのは、ソレが発光していたから。
「アァアアア──!」
いつだったか耳にした、甲高い悲鳴。
その声の主は、紛れもなく、目前に現れたソレに違いなかった。
青みがかった、透明な肌。
その身体つきは華奢で、胸にはふくらみがある。
そして、ひらめく尾びれ。
狂ったように宙を泳ぎ回る、一見して女性のような姿をしたソレは。
「あれも、モンスターなの? 人魚みたいだけど……」
「いえ、モンスターではありません」
即答だった。淡々とした口調とは裏腹に、見上げたゼノのこがねの双眸は、食い入るように『彼女』を見つめている。
「まさか、こんなことが……」
「なに、どうしたの? どういうことなの?」
少なからず、ゼノも動揺していた。
それほどのことが、目の前で起こっている。
堪らず腕を引けば、一度まぶたを閉じたゼノがひとつ呼吸を経て、再びこがねにあたしを映した。
「実はエデンにおいて、モンスターでも、人間でも、ドールでもない存在があります」
「えぇっ……!?」
「『彼ら』は人間以上に優れた魔力を持ち、マザーの次に、セフィロトに近い存在と言えるでしょう」
なんだろう……続きを聞くのが、怖い気がする。
だからって、時が止まってくれるわけもなく。
「水の肌に、美しい女性の姿をした人魚──あちらにいらっしゃるのは、四大精霊──そのうち水を司る、ウンディーネです」
せいれい。
告げられた言葉を、脳内で繰り返す。
つっかえたみたいに上手く理解できないのは、劇的にあたしの知能が低下したわけじゃなくて。
頭が痛くなってきた。
……待って。精霊って、あんなに禍々しいもんだっけ?