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*29* 前へ

 ──聞いて、セリ。


 ジュリ様が生まれながらに類まれなる魔力を持っていたのは、あなたが高純度の神力を持つことと、密接な関係があるわ。

 こどもの魔力は、マザーから受け継がれるもの。ジュリ様にも、その法則が適用されたはずよ。


 だけどあなたがその身に宿していたのは、魔力ではなく、神力。

 神力は、セフィロトに愛されたマザーにしか与えられないわ。

 マザーの第一子といえど、使うことは決して許されないの。


 ゆえに、ジュリ様は天才的ともいえる魔力を得た。

 本来受け継がれるはずだったあなたの神力が、オーナメントにその生命を宿す過程で、魔力に変換されたの。


 神の力が元になっているのよ、杖も詠唱もなく魔法を使うことができるのも、考えてみれば、まったくおかしくはないことだったんだわ。


 そして、ゼノ様。

 ドールである彼は、セリの高純度の神力を直接注がれているわ。

 セリと同じく、邪悪なる力に対する高い抵抗力を示していることが証拠。


 それだけじゃない。このことは、ゼノ様の原動力となっているのが、セリの神力そのもの・・・・・・・・・であることとも同義。

 信じられないわ。でも現にそれが許されているの。ほかでもない、セフィロトに。


 セリ、ゼノ様。

 あなた方なら、悲しみに支配されたこの森を、泣き止ませることができるかもしれない。

 ですから、お願いします。


 わたくしたちの代わりに、断ち切って。


「──今です、おゆきなさい、ふたりとも!」


 この先に待ち受けているものは何か。

 そんなの、わからない。

 でも陽だまりのもとから飛び出すことに、ためらいはなかった。


「約束するわ。みんなはわたくしが守ると。ヴィオも、リアンも、あなたの大切なジュリ様も、そしてあなたたちも、絶対に傷つけさせないんだから」


 背中を後押す声が、腕を引く力強い手が、あたしにはあるから。


「ありがとう、オリーヴ。みんなをよろしくね!」


 返事の代わりに、ふわりと、薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。


「この声が枯れたとしても、歌い続けましょう──わたくしは、いつでもあなたたちのそばに在るわ」


 振り返ることは、もうなかった。


「行きましょう、セリ様」


「うん、行こう」


 身体を包む清廉な力をしかと感じながら、泥濘んだ地面を蹴る。

 進もう、前へ。



  *  *  *



 別れ際、オリーヴはこうも言っていた。


 わらびさんに、ついて行って。

 きっと道を教えてくれるはずだから、と。


「はぁっ、はぁっ……はぁっ!」


 ヴィオさんの補助魔法は、とっくに効果が切れている。でもそれが何だって話だ。

 ジュリたちが感じた苦しみに比べたら、こんなもの。


 わらびに導かれるまま、森の奥へ奥へと、がむしゃらに突き進む。


「セリ様」


「大丈夫っ、運動音痴だって、諦めなきゃそのうちゴールにたどり着くっ! うぉお根性ぉおッ!」


 先導するゼノが時折振り返り、気を配ってくれるけど、甘えている場合じゃない。

 そんな暇があるなら、少しでも前へ、前へ。


「ていうかゼノ、あたしさ、気づいちゃったの、苦しいの通り越すと、気持ちよくなってくるッ!」


「そうですか。それはよかった」


「別にあたしがドMだとかじゃないよッ!?」


「はい、わかってます」


 高校時代、マラソン選手だった陸上部の友だちが、「走り続けていると、心拍数や血圧が安定して、楽になる」って言ってた。セカンドウインド、だっけ。

 当時は物好きだなぁなんて、彼女の話を受け流していたけど、実際に経験したとなれば、かつての自分をぶん殴りたくすらなってきた。

 激しい雨は、勢いを緩めることなく打ちつけてくる。でも。


「オリーヴの歌声が、聞こえる……」


 不思議だ。走り始めて、少なくとも十数分は経っている。

 オリーヴたちを残してきた場所からはかなり離れているはずなのに、子守歌のように優しい旋律は、ずっとそばにあるように消えることがないんだ。


「私にも聞こえます。マザーの……セフィロトの加護とは、こんなにも心地よいものなのですね」


「うん、土砂降りの中を走っても全然濡れないし、寒くない」


 きっとオリーヴの言っていた邪悪なる力を、神力が弾き返してくれているおかげだろう。


「あのさゼノ、いざっていうとき、全部ひとりで解決しちゃいそうだから、先に言っとく」


「はい、何でしょうか」


「あたしたちに喧嘩売ってきたばかちんを見つけたら、一発殴らせてね」


 こがねの瞳がわずかに見開かれ、振り返る。

 色々言われる前に、先手を打つことにする。


「ダメって言うのはダメ。ていうか、ゼノも今更、おしとやかなあたしとか求めてないでしょ?」


「……セリ様」


「あたしはお姫様じゃないの。ごく普通のOLだった、ただの星凛なの。命懸けで守りますとか抜かしたら、その整ったお顔にデコピンかまして、猫っ毛ぐっしゃぐしゃに掻き回してやるからね」


 これは、予防線だ。

 あたしが、罪悪感に苛まれないための。

 役立たずだって後悔するのは、もうごめんだ。


 黙り込んだゼノは、何を思っているだろう。

 また突拍子もないことをとか、無茶なことをとか、呆れているのかもしれない。


「それがセリ様のお望みなら、私は、叶えて差し上げるだけです」


「……うんっ?」


 あたしがいなくなったときは、物凄い形相になって追いかけてきたゼノだ。

 反論を覚悟していただけに、続く言葉は肩透かしをストレートで食らわせるものだった。


「私がお慕いしているのは、マザーではなく、セリ様ですから」


 なんてこった、これは予想外。


「ゼノさんたら、いつからそんな、おべっかを使うように……?」


「冗談は言いません。私は私の役目を果たします。ですので、頑張りますので、上手くできたらご褒美を求めます」


「うそっ、ゼノがわがままを言うなんて!? ご褒美って何? あたしにできること!?」


「できることです。今は教えません」


「秘密にされると怖いな!? やだっ、何させる気!? 教えてよゼノ〜!」


「教えません」


 ちょっと待って、ちょっと待って。

 これが普通の人間なら、好きな食べ物とか、趣味とか、そういうのから大体の予想はできる。

 でもゼノは食事をしないし、娯楽に精を出すような性分でもない。趣味嗜好なんて、知るはずもない。


 つまり、どの方向から、どんな速度で、どんな球が来るのか、まったく予測不能。

 こんな、はなから受け止めさせる気のない鬼畜なキャッチボールある? ミット放り投げてもいい?

 はっ……もしかしてゼノ、Sだったの!? あたしMじゃないって言ったじゃん! やめてよ!


「ビビィッ……!」


「うぉおっと!? どうしたわらび! 急に立ち止まって、踏んづけちゃうとこだったぞ!?」


 餡が飛び出たらどうすんの!? と声を荒らげるあたしの前に、ゼノが立ちふさがる。

 え、ちょ、急にどしたん、前がまったく見えん。チビだから? チビなあたしが悪いの?


「これだから長身イケメンは……ゼノさーん?」


 ゼノが突然こんなことをする理由なんて、少し考えればわかる。

 ただ、自慢じゃないけどあたしはアホなので、緊張感もなく広い背からそろーっと顔を出して、やっとすべてを理解した。


「なっ……に、あれ……!」


 たどり着いたそこでは、滝のような豪雨が降り注いでいる。

 空が見えないほど木の生い茂った真っ暗な空間でも、蠢く『何か』がいることに気づいたのは、ソレが発光していたから。


「アァアアア──!」


 いつだったか耳にした、甲高い悲鳴。

 その声の主は、紛れもなく、目前に現れたソレに違いなかった。


 青みがかった、透明な肌。

 その身体つきは華奢で、胸にはふくらみがある。

 そして、ひらめく尾びれ。

 狂ったように宙を泳ぎ回る、一見して女性のような姿をしたソレは。


「あれも、モンスターなの? 人魚みたいだけど……」


「いえ、モンスターではありません」


 即答だった。淡々とした口調とは裏腹に、見上げたゼノのこがねの双眸は、食い入るように『彼女』を見つめている。


「まさか、こんなことが……」


「なに、どうしたの? どういうことなの?」


 少なからず、ゼノも動揺していた。

 それほどのことが、目の前で起こっている。

 堪らず腕を引けば、一度まぶたを閉じたゼノがひとつ呼吸を経て、再びこがねにあたしを映した。


「実はエデンにおいて、モンスターでも、人間でも、ドールでもない存在があります」


「えぇっ……!?」


「『彼ら』は人間以上に優れた魔力を持ち、マザーの次に、セフィロトに近い存在と言えるでしょう」


 なんだろう……続きを聞くのが、怖い気がする。

 だからって、時が止まってくれるわけもなく。


「水の肌に、美しい女性の姿をした人魚──あちらにいらっしゃるのは、四大精霊──そのうち水を司る、ウンディーネです」


 せいれい。


 告げられた言葉を、脳内で繰り返す。

 つっかえたみたいに上手く理解できないのは、劇的にあたしの知能が低下したわけじゃなくて。


 頭が痛くなってきた。

 ……待って。精霊って、あんなに禍々しいもんだっけ?

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