「セリ様……」
「レディー……」
「お詫びの言葉ならお断りします。今までふたりに助けてもらったことのほうが、圧倒的に多いですもん。どうこう指図できるほどあたしが偉い人間かっていうと、そうでもないので!」
「マザーが何をおっしゃいます。……けれど、あなたらしいというか」
「ふふっ……ですね。では感謝の言葉を。ありがとうございます、セリ様」
晴れやかに言葉を紡ぐヴィオさんとリアンさんの微笑みは、花が咲き誇ったみたいだった。
うん、やっぱりふたりには、笑顔が似合うよ。
「まぁ、そういうことだから。もし何か手を貸してほしいことがあってオレたちをここに連れて来たなら、事情を教えてほしいんだよ、わらび」
「ビ、ビ……」
それまで黙りこくっていたわらびが、ジュリの語りかけに薄いブルーの身体を揺らめかせた……と思ったら。
「ビィ……ビィイ!」
「うわっ!? ちょっとわらび、前が見え……ないことはないけど、冷たい、すごく冷たいから、いったん離れようか? ね?」
「ビィイイ〜!」
「冷たっ! 冗談抜きに冷たっ!」
あたしの肩からダイブしたわらびが、べちゃあ、とジュリの顔面に張りついた。
その冷却作用はあたしも体感済みなので、ジュリもさぞ驚いたことだろう。
そして、ジュリの次は。
「…………」
「…………」
「どうぞ」
「ビ……」
差し出されたゼノの手のひらに、ちょん、と控えめに飛び乗った。
さすがのわらびも、真顔のゼノには色々と思うところがあったらしい。
「ちょっと待って、その差は何!?」
「お礼のつもりなんじゃないかな?」
「それにしたって、オレとゼノへの接し方が違くない!?」
「ぷにぷに、しています」
「ゼノからそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった!」
「でしょー? 癖になるよね」
「母さん? ゼノと一緒になってつつかないで?」
そうはいっても、ねぇ?
あたしにくっついて離れなかったわらびが、ジュリやゼノにも懐いたと来たら、微笑ましくなるのも当然でしょ。
「はぁ……毒気が抜かれる」
「私たちの心配も、取り越し苦労だったみたいね」
「ヴィオさん、リアンさん、それじゃあ……!」
「あなたが信じるそのスライムを、私たちも信じます」
「怖がらせてしまってごめんなさいね、わらびさん。困っていることがあるなら、手助けさせてもらえないかしら?」
「ビビッ……!」
文字通り飛び上がったわらびが、あたしの頭に乗っかり、小豆大の目を白黒させながらヴィオさんとリアンさんをガン見する。
「ビヨーーーン」
びっくりしていたのも少しの間で、ゼリー状の身体を伸ばしたわらびは、そのまま輪っかを形づくってご機嫌な鳴き声をもらした。
『オッケー!』ってこと? っはは! なにそれかわいいな!
「ビヨンッ、ビッ、ビッ」
ぽむっと地面に落っこちたわらび。そのまま軽快にバウンドしながら、どこかに向かい始めた。
「ついてこい、ってことか」
「行こうジュリ。みんなも、わらびの後に続こう!」
「えぇセリ、行きましょう」
心機一転、足並みをそろえて駆け出す。
森の中は相変わらず薄暗くて不気味だったけど、わらびの進む道では、気持ち悪いブタコウモリだとか木のモンスターに遭遇することは、一切なかった。
そのうちに、左右に分かれた場所にたどり着いたわらびがぴたりと動きを止める。
これまでの足取りを考えると、急に道がわからなくなったとかではないと思う。
申し訳なさそうにあたしたちを振り返るのには、何か別の理由があるはずだ。
「大丈夫だよ。わらびは、わらびのしたいようにして」
「ビィ……」
少しためらっていたわらびも、意を決したように前を向く。選んだのは、右の道だった。
見た限り、左側とも対して変わりない道。
そう見えていた景色が幻想であったことを、一歩足を踏み入れた瞬間に思い知る。
アアァア──…
どこからともなく響き渡った、甲高い何かの鳴き声。
「っ何!? きゃっ!!」
「セリ様!」
青々と茂っていた草は萎れ、ずぶり、と地面が沈む。
大きく体勢を崩したけど、ゼノが腕を引き寄せてくれたおかげで、転ぶことはなかった。
「お怪我がなくて、よかった」
「ありがと……もう、なんでいきなり地面が崩れるの? やたら肌寒いし……」
ぶるりと二の腕をさすったあたしは、恨めしげに空を仰ぎ、すべてを悟った。
ザァアアア──……
雨だ。雨雲は見当たらないのに、雨が降り注いでいるのだ。自然現象じゃない。となると。
「『嘆きの森』って、そういうこと? 冷え性持ちには辛いぞ……ねぇジュリ?」
雨降りの日に、街でホットミルクをご馳走してもらったエピソードを思い出す。
何気なく笑いかけたつもりだった。なのに。
「うっ……く……!」
「え……? ジュリ、どうしたの、ジュリ!」
全身の血の気が引く心地だった。雨に打たれるジュリが、ぬかるんだ地面に崩れ落ちる光景を目の当たりにすれば。
夢中で駆け寄る。座り込んだジュリの顔色は真っ青で、唇にもまったく赤みがない。
「寒いの? 熱は……っ、なにこれ!」
青藍の前髪をかき上げ、額に手を当てたところで、事の深刻さをようやく理解する。
冷たいのだ。氷のように。
「なんでジュリが……っえ、リアンさん、ヴィオさん!?」
この悪夢のような出来事は、ジュリだけに留まらなかった。
同じようにぐったりと脱力したリアンさんを自身の上着で包み込んでいたヴィオさんの顔色も、真っ青で。
「大丈夫ですか!? 何があったんですか!」
「わかり、ません……雨に打たれたとたん、突然……っく……しっかりしなさい、リアン……リアン……!」
ヴィオさんが懸命に呼びかけるも、返答はなく。リアンさんは完全に、意識を失っていた。
「この雨は、モンスターの仕業ね……それも、これまで出会ってきたものとは、まったく比べ物にはならないレベルの……」
「オリーヴ! オリーヴは、平気なの!?」
「少し、めまいがする程度よ………」
うそだ、冷や汗を浮かべてるくせに。
ふらりとおぼつかない足取りで歩を進めたオリーヴは、ヴィオさん、リアンさんのそばにしゃがみ込むと、ふたりを両腕で抱きしめた。
「セリ……あなたに、無理を承知でお願いをするわ。これを……」
その言葉と共に、オリーヴの周囲が光に包まれる。
やがて緑色の光の鱗粉をまき散らす蝶が現れ、ひらひらと、あたしの肩へ止まった。
「この蝶は……」
「パピヨン・メサージュよ。魔法で生み出した、伝書蝶。あなたまで侵食されないうちに、道を引き返して、空に放ってちょうだい……」
「それで……? そうしたら、どうなるの……?」
「強力な転移魔法がかけられているから、南の……マザー・イグニクスのもとまで、一瞬で飛んで行ってくれるわ。わたくしからのパピヨン・メサージュだと、すぐにわかってくれるはず……彼女は、武術に優れた勇ましい方だから、きっと駆けつけてくれるわ……」
あたしたちだけじゃ、どうにもならない。だから助けを呼ばなければいけない状況なのだと、オリーヴは言っている。
「なら……その間、オリーヴはどうするの?」
恐る恐る問う。ふわりと、ほころぶような笑みが返ってきた。
「ヴィオやリアンのように、闘いはできないけれど……わたくしの魔法は、守りに特化したものよ。この身に代えても、みなを守ります」
「そんな……!」
それは、オリーヴひとりに尋常ではない負担がかかるということ。
マザー・イグニクスが、いつ来てくれるかわからない。それまでに、もしものことがあったら。
「……かあ、さん」
「ジュリ……! しっかり、ジュリ!」
「にげ、て……かあ、さん」
寒くて、凍えて。
辛いだろう、苦しいだろう。
「まもって、あげられなくて、ごめん、ね……」
それなのに……あたしのことを、一番に想ってくれて。
「できるわけないでしょ!!」
ひとりだけ逃げるなんて、できっこない。
「聞こえますか、リアンさん! リアンさん!」
「……リアンは、私が……」
「無茶はダメです、ヴィオさん! んなばかなこと言ったら、次は引っぱたきますからね!?」
「……は……」
「あなただけでも……行きなさい。お願いよ、セリ……わかって。いい子だから……」
「オリーヴ……っ! だから、あたしは……っ!」
逃げない、見捨てないって、言ってるのに。
「っふ、くぅっ……!」
そんなあたしが、一番の役立たずだ。
「どうして……なんでよぉっ……!」
なんであたしは魔力が使えないの?
なんでみんなが苦しんでいるときに、何もしてあげられないの?
「ばかっ……あたしのばかばかばかっ! ぽんこつ! 役立たず!」
なんであたしは、いつもこうなんだろう。
前もそうだった。なんにもしてあげられなかった。
あぁ……また繰り返すの?
大切な人たちを、誰ひとり助けられないの?
──暁人みたいに。
「やだ……こんなのやだ、やだ、やだぁっ……!」
悪夢みたい、じゃない。
これは、悪夢だ。
冗談じゃない。やめてよ。
早く覚めてよ、あたしの前から消えて。
こんなの、信じないから……!
──とん。
半狂乱になって頭を掻きむしるあたしの肩に、ふれるものがある。
大きくて広い、男の人の手のひらだ。
「……ゼ、ノ」
凪いだこがねの双眸に映し出されると、吸い込まれるような心地だった。
ぴたりと動きを止め、呼吸の仕方すら忘れたあたしの身体を、しなやかな腕が引き寄せる。
「落ち着いて。諦めないで」
雨は止まない。けれども夜空の月のように静かなまなざしと、穏やかな声音は、はっきりとこの耳に届いた。
「まだ、終わっていません」
「ゼノ……」
「私がいます、セリ様」
「っ、ゼノ……ぜのぉっ!」
下手に励まされるより簡潔なフレーズが、すとんと胸に落ちる。
それでいて、意地でも離してやらないとでも言いたげな痛いくらい抱きしめてくる腕が、ムキになってるのを隠しきれてなくて、こどもみたいで、おかしくって。
「っはは、くるしいよ……ゼノはこんなときも、ゼノだなぁ」
「はい。私はセリ様の、ゼノです」
軽く受け流してくれればいいものを、大真面目な顔しちゃって。
こんなに雨に打たれているのに、じわじわと胸が、心が、あったかい。
ひとしきり泣いたら、すっきりした。
すん、と鼻を啜ってゼノの胸から顔を上げると、ひどく驚いたようなオリーヴが、あたしたちを凝視していた。
「ゼノ様は……なんとも、ないのですか?」
「えぇ。不具合は生じておりません」
「どういうこと……? ゼノ様が、ドールだから? それにセリにもまったく異変がないのは……何か、関係があるの……?」
ぶつぶつと独り言を繰り返すオリーヴは、それっきり、何かに取り憑かれたように考え込んでしまう。
「気を失うほど症状の深刻な人と、まったく異常のない人……この違いは何? 酷いのはジュリ様とリアン、次にヴィオ、わたくしはなんとか動けて、セリとゼノ様には、まったく異変がない……」
「強いて言うなら、魔術師組が酷い?」
「魔術師、組……?」
「あたしが勝手に、そう呼んでるだけだけど……そういえば、ヴィオさんも魔法を使ってた。これも関係あるかな……?」
「魔法……もしかして! そうだとするなら……あぁ、なんてこと!」
要らない口出しをしてしまったかもしれない。
だけどそう思ったのはあたしだけで、オリーヴは何かに気づいたようだった。
「それなら、わらびさんがセリに助けを求めたことにも説明がつくわ……!」
「オリーヴ? ごめん、よくわからないんだけど、あたしがどうしたの……?」
「セリ!」
「は、はいっ!」
肩をつかまれ、条件反射で返事をしてしまった。ペリドットの瞳が、やけに近い。
「無理だったのよ。あなたが魔力を使うなんて、最初からできっこなかった。だってそんなもの、なかったんだから」
「えっ……泣いてもいい? 泣いちゃうよ……?」
「違うの、聞いてセリ」
ずいと詰め寄ったオリーヴは、わけもわからずうろたえるあたしへ、決定的なひと言を放った。
「セリの体内に流れているのは、魔力じゃない──高純度の、神力よ」