「おっとっと」
意気揚々と千鳥足をふむパンプスが、アスファルトではないなにかを蹴っ飛ばす。
あたしはショルダーバッグを定位置にもどして、足もとに転がる物体に気づいた。
「え? なにこの黒い玉、ウケる! アッハハハハ!」
ひろい上げたそれは、野球ボール大。
弾力のある手ざわりで、ガラス玉みたいな表面に愉快な女を映し込んでいる。
こちとら、箸が転げただけで抱腹絶倒するような酔っ払いなんだ。道端に未確認物体が落ちてりゃ、爆笑もするわな。
「あー、おっかしー……んん?」
にじむ視界で、暗闇の向こうからぽう、と浮かび上がる光景に気づく。
自分がありんこに思えるほど、立派な樹だ。見上げすぎてひっくり返りそう。
イルミネーションを灯したわけでもないのに淡く輝いて見えるのは、どうしてだろう。
「そっか、今夜は七夕だぁ」
夜空に架かった、銀色のミルキーウェイ。
ダメだなぁ。足もとばっかり見て生きてるから、空がどんな色をしているのかもわからなくなってた。
自然と足をふみ出していたあたしは、右手を伸ばす。
なんとなく、若葉と枝とのすきまに黒い玉を飾りつけてみた。
「七夕っていうより、クリスマス?」
ツリーを彩る宝石にしては、素朴な色合いだけど。
あぁでも、つやつやとした漆黒の色は、星がまたたく夜空みたいにきれい。
──神さま、あのね。
こつん。
あたしは黒い玉を手のひらでつつみ込んで、おでこにふれあわせる。
それからのことは、覚えてない。
* * *
「…………はっ?」
頭が痛い。きっと、花金だからって調子に乗ったせいだけじゃない。
「だれが、だれの、なんですって……?」
ワンチャン空耳かも。
すべての希望を託して声を絞り出せば、目の前の少年が、シャイニングスマイルを炸裂させた。
「あなたが、オレの、お母さんです」
……どっかに、バナナの皮落ちてたりしない?
それで運悪く足を滑らせた上に頭を強く打ちつけて、気づいたらベッド上。
なぁんだ、夢かぁ! ってオチなんだきっと。そうだ、そうに違いない、そうだと言ってくれ。
そんなわけ、なかった。
「夢じゃないのぉおおお!?」
たしかにベッド上。けれども見知らぬ部屋ときた。
セルフで壁に打ちつけたおでこが、痛くて痛くてしょうがなかった。
* * *
あたしは
きわめて高確率で読みを聞かれ、地味に画数の多い名前をそこそこ気にしてる、なんの変哲もない22歳のOLだ。
心身ともに疲れ果てながらも、やっとの思いで残業という名の魔物を討ち取り、祝杯をあげた翌日。目を覚ましたら、だよ。
「あなたはオレの母さんで、この世界を救う、『マザー』なんだよ」
なんか突然、世界を託された。
これ、なんてテレビ番組のドッキリだろう。あたしみたいな
天蓋つきのベッドで、宇宙をかいま見る。
ここはエデン。神の加護をいただく楽園。
緑豊かな大地には、
そして世界樹に宿った聖なる力を唯一あやつることのできる女性を、
「マザーがセフィロトに祈りを捧げる。このエデンで、オレたちはそうやって生まれるんだ」
「え……人間が、樹から生まれるの……?」
「そう。そしてこどもを生むことができるのは、セフィロトに選ばれたマザーだけ」
ベッド脇の椅子から立ち上がり、カーテンを広げて朝陽をむかえ入れた少年が、ふり返りざまにはにかむ。
「だからあなたは、オレの母さんなんだよ、セリ」
鮮やかな青藍の髪。中性的で端正な顔立ち。
目にするもの、耳にするものすべてが、おとぎ話みたい。
それなのに、オニキスをはめ込んだような瞳に映し出されて、無性に感情を駆り立てられる。
「あ……」
あたし知ってる。星のまたたく夜空みたいな、この漆黒の色を。
「──『ジュリ』」
うわ言のようにつぶやいたのは、あたし?
「こどもに名前を授けることができるのは、そのマザーだけ。──最高の贈りものを、ありがとう!」
戸惑うあたしの手を握ったのは、弾けるような笑顔を見せた、少年だった。
「マジで?」