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1 自覚した感情

 夜が深まる頃、ベルティーナは城の中を全力で駆け回っていた。

「やーいやーい! お姫様ののろま!」

 ──悔しかったら捕まえて! なんて続け様に戯けた調子で言うのは、先日の森林火災で重傷を負っていた幼い子供だった。

 双子の侍女と同じような猫の耳にふわふわの尻尾。少しばかり目が釣り上がっており、いかにもやんちゃそうな風貌の少年だった。

 その周りには角を持つ子供に、翼を持つ子供と姿形も違う数人の子供達がおり、追いかけるベルティーナを見て何やらわいわいと騒いでいた。

「お待ちなさい!」

 それを追いかけるベルティーナは、お仕着せのエプロンドレスの裾を摘まみ更に走り込んだ。

 ──あの森林火災から二週間近くが経とうとしている。ベルティーナの治癒のお陰もあってか、重傷者達はものの二週間程で殆どが完治した。

 魔性の者達の身体は頑丈だ。それでいて快復も早い。

 だが通常、重度ともなれば痛みが引くまでに二ヶ月近くの時間はかかるそうで、治癒でここまで回復が早い事に誰もが皆驚いていた。

 傷口を清潔に保ち、じゅくじゅくとした箇所には蜂蜜を軟膏代わりに塗ると随分と原初的な方法ではあるが……これが恐ろしい程に効いてしまったのだ。

 皆回復に向かっている事は心底良かったと思えるが……かなりの範囲を焼失した為、収容された負傷者の殆どが現在帰る家を失ってしまった。結果、復興迄は城の空き部屋で過ごすようにと女王が定めたが、ベルティーナは今現在非常に困窮していた。

 毎日のように負傷者の面倒を見ていた事から、すっかり皆と顔馴染みになったものだが……運ばれてきた子供達に翻弄される日々を送っていたのである。

 やはり、人間が珍しいのだろう。自分達より身体能力が劣るものだと見抜いた途端にこの有様である。幸いにも治癒こそしっかりと受けてくれるものだが……想像を絶する程に子供というものは元気が良すぎたのだ。

 昨日は髪飾りを奪われた。そして今日はスカートの中に潜り込まれ……気がつけば追いかけっこになっていた。

 無礼にも程がある。そうは思うが、こんな小さな子供を相手にベルティーナは本気で怒る気にはなれやしなかった。

「……本当に逃げ足が早くて困るわ」

 ぜいぜいと息を切らして立ち止まったベルティーナは壁にもたれかかって額を覆う。

 すると、子供達はピタリと止まって、心配そうな面に変えてベルティーナに近付いて来た。

「え、大丈夫……? お姫様」

「ちょっとーあんたが無理させるからお姫様がバテちゃったじゃない!」

 心配気に声を掛ける猫耳の少年に対し、角の生えた少女は彼の頬を抓って怒る。

「いで……ね、本当に大丈夫?」

「……少し胸が苦しいわ。私、心臓が弱いのよ」

「え、え……どうしよう。ごめんなさい。からかったして」

 そう言って、少年はベルティーナに近付いた途端だった。ベルティーナは彼をぎゅうと抱き寄せニタリと唇に笑みを乗せる。

「馬鹿ね……そんな訳ないじゃない。はい、捕まえたわ」

「あ! 嘘ついたー狡い!」

 ──嘘つき! なんて、腕の中の少年はジタバタと暴れてぶーぶーと文句を垂れるが、ベルティーナはそれでも容赦なく更に腕の力を強めた。

「狡い? いいえ。私は頭を使っただけよ? さぁみんな、お遊びはこれで終わり。さっさと部屋に戻りなさい」

 少しばかり厳しい顔をして一人一人の顔を見て言うと、少し怖じ気づいたのか皆、素直に頷いた。

 そうして子供達を宛てられた部屋まで送り届けていた最中の事だった。リネンをたんまりと両手に持ったハンナに遭遇したのである。

「ちょっと、凄い量ね……」

「ええ。ちょうど取り替えを全部してきたので。これは全部洗濯するもので……」

「持ちましょうか? 転んで怪我人でも増えたら私の気が持たないわ」

 呆れた調子でベルティーナが彼女の腕の中のリネンを奪おうとする。だが、ハンナはひょいとそれを避けて少しばかり悪戯気に笑った。

「……全く、貴女まで私をからかうというの?」

 ──子供じゃあるまいし。なんて舌打ちを一つ入れて付け添えると、彼女はクスクスと笑いを溢した。

「いえいえ。主に自分の仕事を奪われるのは腑に落ちないだけですよ。畑仕事もして手当に回って……挙げ句の果てには子供の面倒まで見て。どう考えてもベルティーナ様は、あれから働き過ぎですし。私がこの洗濯を置いたら、直ぐさま部屋戻って休んで欲しいくらいですもの」

 少しばかり心配気に言われてしまい、ベルティーナは素直に頷いた。

 確かに、起きてから今の今まで動きっぱなしだった。丁度サロンを歩んでいれば壁掛け時計が目に映り、針を見ればもうあと二時間もすれば空が白み出す頃だと悟る。

「しかし……ベルティーナ様って子供達に大人気ですね」

 ──傷を早く治せるから、物凄い能力を持っているんだ! なんて、言われてましたよ。なんて、ハンナが続け様に笑いながら言うものだから、ベルティーナは呆れて破顔した。

「きっと、私が人間で物珍しいだけよ?」

 きっぱりと言えば、ハンナは直ぐに首を横に振るう。

「いいえ、多分……これは人間云々以前の事だと思いますけど」

「……と、言うと?」

 ベルティーナが眉をひそめて訊けばハンナは「怒らないで下さいね」なんて前置きを入れた。

「そうですねぇ……とても活発な”元”悪戯っ子の視点で言うと、ベルティーナ様って弄り甲斐が物凄いありますからね」

「確かに貴女ってそんなかんじがするわね。とてもお転婆そう。でも私に弄る要素なんて何処にあって?」

 さっぱりとした口調でベルティーナが訊くと、ハンナは唸って熟考する。

「……何でしょう。ベルティーナ様って短気で直ぐ挑発に乗りそうじゃないですか? それに頭が良くていかにも真面目そう。だから笑顔が見てみたくなっちゃうもんですよ」

 ハンナの答えにベルティーナはたちまち唇を曲げた。

 まぁ……確かに心当たりは大いにあるだろう。それに真面目と言えば真面目だろうか。なるほど。と、納得しつつあるが、ベルティーナは目を細めてハンナを見据える。

「でも笑顔が見たいからって、それって全く逆効果じゃないかしらね?」

「そりゃ相手は子供ですし。だからこそ幼稚な手段しか浮かばないんですよ。それと、からかうのって好きだからこそやるんですよ? 特に男の子ってそういうもんですから」

「好きだから……」

 ベルティーナは目を細めたまま復唱した。

「あら。ベルティーナ様お気づきじゃないです? 重傷だったあの猫耳の男の子。ベルティーナ様にかなりべったりじゃないですか。もう好きで好きで仕方ないから気を引きたい~ってどう見ても目に見えて分かるじゃないですか」

 ──あれは確実に女として惚れ込んでますよ。なんて、ハンナがふざけて言うものだから、ベルティーナは更に唇を拉げた。

 あんな小さな子が自分に? そんな事は思った事も無い。だが、気を引きたいからこそ、からかう点は身に覚えがある。他の件で心当たりがありすぎたのだ。

 それを連想出来る人物はただ一人だけ……。

「何、キスされたいの?」「一緒のベッドで寝たい」と……今まで言われたミランの言葉と彼の顔を思い起こしてしまい、ベルティーナの頬はぽっ赤く染まった。

 思えばあの後、森林火災の後始末の仕事に追われている所為で二週間近くミランに会ってもいない。

 一応部屋は隣り合っているのだから、明け方に物音が聞こえる事から戻って来た事は分かっているが、それでも彼は自分の所に来なかった。

 きっと疲れているのだろうとは思うし、自分も自分でやる事が山積みのようにあった。

 だからこそ、自分も彼に会いに行くような真似はしなかったものだが……。 

「元気かしらね……最近部屋にも来てくれないんですもの。疲れてるのは分かってるけど」

 ──少しだけ寂しいじゃない。なんてぼんやりとしていて、思わず口に出してしまったがもう時は既に遅かった。

 慌ててベルティーナがパッとハンナの方を向くと、彼女は目を丸くしてベルティーナの方をジッと見つめていたのだ。

「あ、その……違っ!」

 ベルティーナは慌てて弁解するが、ハンナは直ぐにニヤリと唇に弧を描く。

「あらら……悪戯っ子の話から、ミラン王子の事でも思い出しちゃったんですか?」

「べ、別に違うわよ!」

 ピシャリと反論するが、顔面が熱い事から顔が紅潮しているのだと自覚出来る。しかもあの発言だ。それに適合する人物など一人しか居ないもので……図星も良い所過ぎる。もうこれ以上は言っても仕方ないだろう。と、悟ったベルティーナは大きな溜息を溢してジトリとハンナを睨み据えた。

「……今のは聞かなかった事にして頂戴。貴女の言う通り私も多分疲れてるのよ」

「そうですね。だから私がこれを置いてきたら直ぐに部屋に戻りましょう? それよりベルティーナ様、顔真っ赤ですよ?」

 ──どうしたんです? なんてわざとらしく続け様に言われるものだから、ベルティーナは煙たげに目を細めた。

「……煩いわね、分かってるわよ」

「顔真っ赤にされて、ベラドンナじゃなくてイチゴみたい。ベルティーナ様、今とっても可愛いですよ?」

「もう! 初めはうじうじして私に怯えて泣いてた癖に、本当に貴女ってばよく言うようになったわよね!」

 不機嫌に鼻を鳴らしてベルティーナがツンと顔を背けるが、それでも彼女は悪戯気に笑んでいた。

「さて、私はこれを置いて来るので……ベルティーナ様、少しばかり待っていてくださいね」

 そう言って、ハンナは直ぐにリネン室に消えていった。

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