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5 彼の望み

 ──その後、ミランの膝の上でシュネーバルを食べた後に二人は城へ戻った。

 初めて食べたシュネーバルは双子の猫侍女が言ったように、頬が溢れ落ちそうな程に甘美な味が口いっぱいに広がり、とても美味しく思えた。

 しかし、明かりも無い海だったからこそ、自分のドレスの状態なんて気付きもしなかった。

 左右非対称に裁断された裾だ。片方は長いもので、彼の膝の上にいようが裾に砂が付着していた事から、”いったい何処で何をしていたのか”と、ハンナに怪しまれたのであった。

 だが、宣言通りにミランは特にやましい事などして来なかった。

 強いて言うなら、シュネーバルにまぶされた粉砂糖が口元に付着していたらしく指で拭われそれを舐められた程度で……。

 それを見て、ベルティーナは少しばかり恥やしたが大袈裟な程に反応するのを止めた。

 何故かと言えば……大袈裟な程に反応してしまうと、更にちょっかいをかけてくるという性質を射貫いたからだろう。しかし、こうして二人で出掛けて、未だ曾て無い程に会話をして改めて理解した知った事だが、初めとの印象は大違いだったとベルティーナは思う。

 確かに、ややぶっきらぼうで何を考えているか分からない部分はあるものだが……その髄はとてつもなく素直に思えた。

 ────彼が私の婚約者。あと数ヶ月もすれば。

 現在の自分が彼に対して愛情があるかどうかはさておき、婚姻に対しては依然として抵抗が全く無かった。だが、思う。寧ろ拉致騒動以来、好意はある方だとは思う。

 ぼんやりと湯船でそんな事を考えつつ、ベルティーナは目を瞑った。

 それから入浴を済ませたベルティーナが部屋に戻ると、同じように入浴を済ませたのか簡素な服を召したミランがソファに座っていた。

 外はもう明るいもので、燦々とした日差しが窓から溢れ落ちている。

 しかし、今日は一緒に出掛けたばかりで、また会うのも不思議な気がして仕方ない。とはいえ、眠る前に共に過ごす事が日課なもので、彼が部屋に居たとしてもさほど違和は感じなかった。

「今日くらいは自分の部屋で早めに休めば良いのに」

 思ったままを言うと、ミランは少しばかり残念な顔をした。

「俺が一緒に居たいだけだが迷惑か? ベルはもう眠いか?」

「別に眠くも無いし迷惑と思わないけれど」

 当たり前のようにミランの隣に腰かけて、ベルティーナはほぅと一つ息をつく。

 テーブルの上には湯気立つポットと二つのカップ。侍女達が入浴中に用意してくれたのだろう。カップを二つ置いているという時点できっと、今日もミランが来る事を察していたのか妙に準備万端に思えてしまい、ベルティーナは吐息を吐きつつ二つのカップのお茶を注ぐ。

「……それでさ。俺、寝る前に一つお前に頼みたい事があって来たんだが」

「何よ、少し畏まって。どんな頼み事かしら?」

 自分のカップにもお茶を淹れながらも答えつつ、彼を一瞥した途端だった。

「そろそろベルと寝たい」

 言われた言葉にベルティーナは目を瞠って硬直した。

 瞬く間に「お茶溢れるぞ……」なんて、指摘されて、ベルティーナは我に返り顔面を赤々と紅潮させた。

 寝たいと。つまり、一緒の床に……?

「いい臭い」だなんて言う相手だ。何をされるか分かったものじゃない。ベルティーナは真っ赤になって、ぱくぱくと唇を動かせば彼は途端に噴き出すように笑い出した。

「……冗談だけど」

 きっぱりとミランが言って安堵するものだが、冗談だと分かるとふつふつと腹が立つもので、ベルティーナは冷めた目でミランを一瞥しつつ、お茶を並々注いだカップを手渡した。

 そうして二人黙って、お茶を飲み始めた訳だが……。

 その後、会話は皆無だった。何せ、変な事を言われたばかりだ。本当にそうされないと思えてしまう部分もあるもので、余計な刺激を与えるべきではないとベルティーナは黙ってお茶を啜り続けた。

 だが、それでもいい加減にこの静寂の間が気味悪かった。

 つい最近まで逆に気楽とは思えていたものだが、あれだけ話をしていたのだ。流石に居心地が悪く思えてしまうもので、ベルティーナはカップを置くとミランの方を一瞥する。

「……で、貴方は態々わざわざふざけた冗談言う為に来たの?」

「いや、全く違う頼みはあってな。別に大した事でも無いが……」

 そこまで言うと、ミランは言い淀み、口を噤んだ。

「何よ。ハッキリ言わないとかえって気持ち悪いわ。存知かも知れないけど、私少し短気だと思うの。イライラする前に言って頂戴」

「……いい加減に俺も名前で呼ばれたいと思っただけ」

 極めて優しい口調。それも目を見て言われたものだから、ベルティーナの頬に熱が登った。

 なんだ、そんな事か……と、安堵したものだが、それはそれで照れ臭い。

「分かったわ、ミラン王子」

 ぽつりとベルティーナが言うと「やり直し、名前だけで」と直ぐに指摘が入る。

「分かったわよミラン」

 投げやりになって言って間もなく。少しばかり彼が身を動かした。その途端──額に柔らかなものが触れた気がして、ベルティーナは目を瞠る。

「それでいい。頼みはそれだけ。じゃあ、おやすみ」

 そう言って間もなく。彼は立ち上がり、夫婦の部屋を繋ぐ通路へと向かって行った。

 ソファに座ったまま。ベルティーナは放心していた。

 あれは、間違いなく額に唇を落とされたのだろうと……。頬がやけに熱く、ベルティーナは彼の唇が触れたであろう額に触れ唇を噛む。

 途端に胸の紋様がジンと熱くなった。それは自分が何か満たされたという何よりもの証で……。

 それを自覚すると酷く恥ずかしく感じてしまい、ベルティーナは逃げるようにベッドに潜り込んだ。

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