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3 多忙な彼と世界の規則

 城下の街に降りるなり、二人は街の人間に取り囲まれた。

 流石にミランに関しては顔が割れているのだろう。「ミラン殿下」と彼を示す敬称は至る場所から響くだけには留まらず、食べ物屋台の商人達があれを食べていけ、これを食べていけと食べ物をあれこれと持ってくるものだから、ミランもベルティーナも両手がすっかり塞がってしまった。

 その中には先日食べ損ねたシュネーバルもある。

 袋に入れている最中も見たものだが、六つ入れていただろう。ベルティーナはシュネーバルが入った紙袋を持ち、これは帰って双子の猫侍女やハンナのお土産にもしたいとミランに告げると、彼はそれを了承してくれた。折角だから二つを何処かで食べて、残った四つは各々の侍女や近侍きんじの土産にしようと、こっそりと約束した。

 しかし、街に出ると「王子」として「番人」としてのミランの人望の厚さがよく理解出来た。

 未だ齢二十程と若い次期君主ではあるが、誰もが彼を慕っている様子はよく窺えるもので、皆ミランを見ると朗らかに声をかけていく。

 しかし驚いたのは、街の者達が先日拉致騒動の件を誰もが心配してくれてていた事だろう。

 荒くれた相手。それも、なかなかに強靱な相手だったからこそ、決闘での勝ち目が無い事を理解し、ベルティーナを助ける事が出来なかった事を深謝されたのである。

 力関係が法であり、それが全てあれば、あの時の見過ごす対応は仕方が無かったとベルティーナも納得する。だからこそ、介入せずに城に知らせ、ミランを呼んでくれたのだと……。

 だが、こうも謝られてしまうと、どう答えて良いかも分からずベルティーナは困窮した。 その様子に見かねたのだろうか……。

「いち早く伝えてくれた事を感謝する。何かあれば城に知らせてくれ」

 そう言って、ミランはベルティーナに着いてくるように言って、その場を後にした。


 街の通りを抜け、辿り着いた先は川辺の石橋だった。それを越えると、暗闇の中に丘陵一面の葡萄畑が明かりで照らされてぼんやりと浮かんで見えた。

 こう見ると、真夜中であれど明るいだろう。農作業をしているのだろうか。斜面に人が歩んでいる姿もよく見えた。

「それで何処に行くの?」

 行き先も分からず歩まされるのも少し如何なものかとは思う。ベルティーナは眉をひそめて聞けば、ミランは「もうすぐだ」と短く答えた。

 そうして歩む事幾何か。辿り着いた先は、葡萄畑の麓に佇む木工張りを施した古めかしい家屋だった。

 その家屋のドアをミランは何の躊躇いも無く叩扉こうひする。

 果たしてここに何用か……そう思い、ベルティーナが首を傾げて間もなく。家の中から足音が聞こえてきた。

 パッと扉を開けて姿を現したのは、目が覚める程に真っ白な髪色をした初老の女性だった。顔立ちはとても優しげなもので、ミランや女王、リーヌと同じく同じく角や鱗がある事から竜と思しい。

「あらあらまぁまぁ……ミランちゃん」

 とてつもなくほんわかとした喋り方だった。

「ミランちゃん……」

 しかし、あまりに衝撃的な呼び方だろう。思わずベルティーナが復唱すると、ミランがこめかみを押さえて首を横に振る。

「もう成人してるんだ。頼むその呼び方はもう止めてくれ、マルテさん……」

「まぁまぁ。だって私の可愛い妹、ヴァネッサの息子のミランちゃんだもの」

 ……ヴァネッサの。つまり女王の姉と。あまりの衝撃の告白にベルティーナは目を瞠って、ミランと初老の女性の双方を見る。

 確かに髪色や鱗の色が違えど、言われて見ればヴァネッサ女王と優しげな顔立ちはよく似ているだろう。だが、ベルティーナがあまりもジッと見過ぎたからだろうか。マルテと呼ばれる初老の女は直ぐに気付いたようで、小首を傾げてベルティーナの方を向いた。

「あらあら。物凄い美人さんを連れて。そちらが人間の王女様かしら?」

「ああ、俺の婚約者の」

 ──ベルティーナだ。と、ミランが告げきる前だった。

「ミラン兄ぃちゃんだー!」

「わーい! お菓子の匂いがするー!」

 途端に響き渡るのは、複数の子供の声と同時に家の中からドタドタと複数の足音が聞こえてきた。それから一拍も立たぬうち、未だ十歳にも満たなそうな子供達の群れが、ミランの名を叫び、わらわらと攻め寄せてきた。

 角や鱗を持つ竜に思し魚のエラのような特徴のある耳の者。兎と思しき、長い獣の耳を持つ者……と、その種も様々。その上、四・五歳と思しき幼子から十歳程度の少年少女と年齢層もバラバラで。そんな子供達にベルティーナとミランは瞬く間に囲われてしまう。

「ミラン兄ぃちゃん遊ぼうぜー!」

「とーっても良い匂いが沢山する! お菓子だお菓子だ!」

「わー! 綺麗なお姉さん! 凄い凄い! お姫様みたい! ドレス可愛いの!」

「ねぇねぇお姉さん抱っこして!」

 まるで、小鳥が一斉に囀っているかのよう。子供達が同時にドッと話しかけるものだから、ベルティーナはたちまち目眩を覚えてしまった。 

 イーリスとロートスも未だ子供の部類に入るだろうが、自分の侍女よりも彼らの方が見るからに幾分も幼いだろう。

当然ベルティーナは子供なんて相手にした事は無い。子供達が次々と発する自由気ままな言葉にベルティーナが困却し、こめかみを押さえと同時──

「おいおい……お前ら、一気に話しかけると困るじゃねーか。大人しく出来ねーと貰ってきた菓子をあげねーぞ」

 ミランが平坦な口調で言葉を挟むと子供達は皆ピタリと黙った後、元気よく返事した。

「そうですよ。お客様が来たらどうするか、教えましたよね? さぁどうするんです?」

 続けてマルテが言うと、子供達は「お行儀良くします!」と口々に言い、きびすを返してスタスタと部屋に入っていった。

「さぁさ。玄関で立ち話も如何なものかと思いますからね。少しばかり散らかっていますがどうぞ、お家に入って下さい」

 マルテはベルティーナに優しい笑みを向けて言うが、ミランは直ぐに首を横に振った。

「いいや。今は荷物を軽くするのを手伝って欲しくて来たようなもんだ。街を歩いて食い物を沢山貰ったからな。流石にこんなに食い切れないし要らない。多分菓子類ばかりだろうし。チビ共のおやつにしてやってくれ」

 そう言うなり、ミランは両手を塞いでいた紙袋マルテに手渡した。

「あらそうなの、残念ね。ミランちゃんは番人さんだもの。やっぱり忙しいのかしら」

「別に。今日は暇を取ったからそうでも無いが……まぁ、その折角だから二人で出掛けようって約束しただけで」

 ベルティーナの方を一瞥してミランは少しばかり照れくさそうに言う。それを見ていたマルテはパチリと手を合わせて「あらまぁ~」なんて、嬉しそうに笑みを溢した。

「そういう訳だ。本当に用事はこれだけで悪い。また暇が出来た時でも顔を出しに来るし、チビ共の相手もする」

「ええ。ミランちゃんならいつだって大歓迎よ。またいつでも待っているわ」

 マルテがニコリと嬉しそうに笑んだまま、ベルティーナの方に視線を移す。だが、ベルティーナを見た途端、マルテは途端に目を丸くして口元を覆った。

「やだわぁ……あまりに騒がしかった所為で私、王女様のお名前を伺ってなかったわ」

「ええ、ベルティーナよ」

 ──以後、お見知りおきを。と、ベルティーナはドレスの裾をつまんで会釈する。するとマルテは人の良さそうな笑みを浮かべてベルティーナを見つめた。

「そうなの、ベルちゃんなのね。ベルちゃんも是非一緒にいらっしゃい」

 ──ベル、ベル様。この愛称は流石にもう慣れてきたものだが、まるで可愛らしいものを呼ぶような「ちゃん」付けは初めてだ。

 呼ばれたベルティーナは唖然としてしまう。だが自分よりも圧倒的に年上、初老の女性に言われるとあまり嫌な気しないものでベルティーナは「ええ」と肯定し唇を綻ばせた。

「そういう訳だ。じゃあ、また近いうちにでも顔を出す」

 ミランは会釈し、ベルティーナの手を取り、その場を去った。


 葡萄畑の麓を通り過ぎ、菩提樹ぼだいじゆの生い茂る林道へ。果たしていったい何処に向かっているのか依然として分からぬまま。ベルティーナはミランの後をついて歩んでいた。

「さっきのお宅は……貴方の叔母様の家だったのね」

「ああ。そうだな」

「ナハトベルグでは王族の親族も王城に住んでいる訳ではないのね?」

 自分の住んでいたヴェルメブルグ城は、王族とその血縁者の殆どが皆あの王城に住んでいると聞いていた。それに、本の中で見る物語でも王族は血縁者を含め多くが王城で暮らしている。だから、そういうものだと思い込んでいたものだが……規律が違うように、この辺りの文化も違うのだろうか。ベルティーナは不思議に思って隣を歩むミランを一瞥する。

「そうだな。王城は基本的に現在の王の直系に当たる血縁者しか住んでいない。叔母は、王族ではなく一般民だ。だけど、俺の母親の手伝いで、ああして身寄りも無くなった子供達を引き取っている」

「身寄りも無い子……」

 ベルティーナは彼の言葉を復唱し、眉を寄せた。

 確かに種族はバラバラだっただろう。見るからに彼女の子供や孫ではないとは思った。

 尚、彼の叔母と知った時点で城の使用人の子供達という憶測も過ぎっていたものだが、見当違いだった。

「王城周辺を見る限り、一見穏やかそうに見えるナハトベルグだけどな……。実は、森林地帯で前触れも無い自然発火で山火事が発生する事があったり、大きな地震が起きたり、つむじ風が吹き荒れて家屋が倒壊する……なんて、色んな天災に見舞われる事がこの国であるんだ」

 ──今ではその頻度もかなり少なくなったものの、それでも時折森林火災やつむじ風等の天災は割と起きる。と、そんな言葉を添えてミランは言葉を続けた。

「つまり、叔母のマルテさんは、そういった災害に見舞われた地域の親を喪った子供達を保護して育てているんだ」

「そう……だったのね」

 天災の件も初めて聞いた事だった。だが、”王都は治安が良い”と双子の猫侍女達が言う本当の意味をベルティーナは改めて理解する。

 それは人ではなく、災害的な意味なのだと……。

「それで、王の直系血縁者しか王城に居ない理由だっけ。王を決める方法が多分人間とは全くもって違うっていう部分もあるだろうな……」

 ミランはベルティーナの質問を掘り返して静かに切り出した。

「多分ここは人間と同じだろうが、直系は王位継承権が当たり前みたいにある。だけど、次期王は即位式までの一年程は決闘の繁忙期なもんでな……」

「……え? どういう事なの」

 ミランの言葉がいまいち理解出来ず、ベルティーナは眉を寄せた。

「簡単に言えば、ナハトベルグの王に就く権利は割と誰にでもあるって事だ。次期王に決闘を申し込んで、それに勝てば誰だろうが王位継承権を剥奪出来る。そして最後、即位の儀で次期王は現在の王と戦う事となる」

 ──まず直系の次期王が負ければ、王城追放が決まってる時点でかなり手厳しいけどそういう掟。と、彼は苦笑いを浮かべた。

 言われた言葉にベルティーナの思考が追いつけなくなり完全に停止した。否や、言っている事は分かるが、流石にあれこれと過激過ぎるのだ。

 それでも、つい最近前例があっただろう。あのイノシシ牙の男が王位継承の話しをしていた気もするもので……。

「つまり結婚までに時間がかかるというのは……」

「そういう事。俺の決闘繁忙期って事。でも思ったより全く繁忙してないけどな」

 そりゃ番人の長に就く程の男だ。誰も勝ち目が無いと想像が容易い。ベルティーナはこめかみを揉んで情報を整理した。

 ……つまり、即位の儀という場で彼は自分の母親と戦うのだと。それで負ければ王城追放と。

「貴方、ヴァネッサ女王と戦うの?」

「ああそうだが」

「こう聞いたら失礼だけど、女王のご年齢はお幾つで……?」

「……五十程だな」

「……年齢や性別を考慮すると貴方、あまりに有利過ぎでしょう」

 きっぱりとベルティーナが言うと、ミランは即座に首を振った。

「王に就く程だ。俺の母親は強い。正直この国一番の俺の強敵だと言って過言で無い。ついでに言うと、俺の父親は母親に負かされた雄竜だ。一応現在三位。前代の翳の番人。まぁ俺が番人になったの割と最近で……父親を倒して踏襲したもんで……」

「貴方、父親とも戦っていたのね……」

「まぁな。一応は女王の夫だからこそ王城に居る権利もあるもんだが……どうにもこうにも意固地な父親でな。王城の外で一般人に混じって生活している」

 本気で頭が追いつきやしなかった。即位式と言ったら……本で描かれたような厳粛な場で祝典を行うものだと思っていたもので……。

「貴方、結構大変なのね……でも負けた場合は王城追放でしょう? そうなったらどうするの。私もだけど……」

 思ったままの言葉を投げかけると、ミランはまた苦笑いを溢した。

「……そうさせない為に、負ける訳にいかない。だから命を賭けてでも頑張るしか無いな? むしろ勝たなきゃ俺としても困る」

 ミランがそう言ってから間もなくだった。丁度菩提樹ぼだいじゆの林を抜け視界は鮮明になった。

 その眼下あった景色……瞳に映したベルティーナは返事さえ忘れて息を呑んだ。

 月明かりに照らされて映るのは、果てしなく遠くまで繋がる巨大な水溜まりだ。風に乗って、涙にもよく似た塩辛い匂いがほんのりとする。

「……これは、海?」

 ベルティーナは目を瞠ったまま、その圧巻の景色を望む。

「ああ……もしかして。じゃなくても……ベルは海を見るのは初めてか?」

 戸惑うようにミランに聞かれて、ベルティーナは直ぐに頷いた。

「ええ、本の中では知っているわ。途方も無く大きな塩辛い水たまりだって。でも翳りの国……ナハトベルグにあるなんて」

 呆然としたまま、ベルティーナがそんな言葉を出すと、隣に立つミランはクスクスと笑い声を溢した。

「何がおかしくて? 初めて見たのよ?」

 ──その程度の知識しか無くて当然じゃない。と、付け添えつつ睨んでやると、ミランは笑いながらも否定した。

「何だろうな? ベルってたまに言葉の選び方が可愛いなと思っただけ。これじゃあ、色んな場所を見せてやりたくもなる。浜に降りて間近で見よう」

 ──おいで。と、甘やかに言い添えて。一歩先に進んだミランはベルティーナに手を差し出した。


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