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6 城下の賑わい

「折角、お庭をもーっと好きに使って良いと言われたのです! どうせなら城下に新しい苗や苗木などを見に行きませんか?」

 と、目を輝かせた双子の猫侍女に提案されたのは、つい先程。休憩の最中だった。

 あまりに唐突の提案だ。だが、時より双子の猫侍女とハンナが二人づつ交代で席を外す事から、そこでこの外出を目論んだのだと安易に悟れたし、先程から妙に心配をされていた事から彼女達なりの気遣いの計らいだろうとベルティーナは思った。

 別に拒否するような事でも無いとは思う。だが、勝手に城を出て良いものかと悩ましく思う。その旨を伝えてみたところ、双子の猫侍女達は『心配しなくて大丈夫ですよぉ~』なんて随分と気の抜けた返事をした。

 何やら、ナハトベルグの街は治安も良いそうで……妙な心配は無用だろうとの事。

「それにイーリス達は生まれも育ちも生粋のナハトベルグっ子。つまりはかなりの都会っ子なんです!」

「そうです! 都会っ子だからこそ街には詳しいです! ロートス達に任せて下さい!」

 それも、胸を叩いて自信満々に言われたものだから、ベルティーナは彼女達に従った。

 ──まるでヴェルメブルグの生き写し。斜面さえあれば葡萄畑だらけなこの地を都会と言うかは全くもって不明ではあるが……。と、そんな事を思いつつ、ベルティーナは僅かに後ろを振り返り、背後に聳える城を一瞥した。

「本当に大丈夫なのかしら」

「大丈夫ですよ。少し市場に行くだけですもん。城は目と鼻の先。街まで直ぐですよ?」

「でも私、お金は持っていないわよ?」

 そもそも、この国に通貨が存在するのかも知らぬままだ。ベルティーナが眉を訊けば、彼女達は「ふふーん」と、強気な表情を見せた。

「それはご心配なく! イーリス達は幾らかお賃金の金貨を持ってますもん!」

「それにですねぇ……苗ってお野菜や切り花を買うより安価なんです。だからベル様は吟味してロートス達に欲しい苗を言ってくださいませ! 大船に乗ったつもりで!」

 それはもう胸を叩いて威風堂々と言われた。しかしその数拍後「お城に返ったら経費で落としたいのでベル様の権力ちょっと借りたいです~」なんて、甘えるように言われるものだから、ベルティーナは思わず苦笑いを浮かべてしまった。

「……そう分かったわ。でも肝心な部分を聞き忘れたけど、私は未だ人間よ。この国の人達が城に人間が来ている事は存じていて?」

 森を焼いただの、人に対して恨みがある人だって居るでしょうに……。と、そんな疑問を続け様に訊けば、彼女達は顔を見合わせた後に首を横に振るう。

「平気ですよ。城下の皆もいずれ同胞となる〝呪われたお姫様〟が来ている事は知っているとは思うのです。それに、王城じゃ皆さんベル様が来た事を歓迎していたじゃないですか?」

「それに、ベル様って事実、人の臭いがしますけど……魔性の者の臭いも少し混ざってます。だから、多分同族判定されると思いますよ? それに今のベル様、私たちと同じお仕着せじゃないですか。人の国のお姫様には見えないと思いますよ?」

 そう言われて、ベルティーナは納得した。

 思えば確かに、王城で邪険な態度を取る人など一人も居なかっただろう。あれこれと考えすぎだろうか……そう、思い正しベルティーナはもう余計な事を考えるのを止めた。


 ──香ばしく肉の焼ける匂いに、蜂蜜のような甘い匂い。それから、ハーブの匂い……と、城下の市場には様々な匂いが入り交じっていた。

 それに物凄い人通りだ。

 広い道には馬車が走り、通路にも多くの魔性の者達が行き交っていた。

 角の生えた者、翅の生えた者、獣の耳が生えた者、鱗を持つ者……と、多種多様。城では見た事も無い容姿の者達も幾らか歩んでいた。

 それも、翅の生えた小さな妖精まで飛び交っているもので……ベルティーナは物珍しく思えて目で追ってしまった。

 つい数日前まで、一人きりの生活だ。こんなに大勢の人が……否や、魔性の者達が溢れかえる程歩いているのを見るのだって初めてで、街の賑やかさにベルティーナは幾度も目をしばたたく。

「さぁて、着きました。じゃあ、苗屋にいきましょ!」

 はぐれないように。と、双子の片割れに手を繋がれ、ベルティーナは雑踏の中に歩み出した。

 やはり双子の言う通り、誰もがベルティーナの事を誰も特に気に留めない様子だった。希に人だと気付いたのか、立ち止まり彼女を見る者も居るが、それは決まって獣のような特徴を持つ者達だけ。それでも邪険な雰囲気は感じられないことから安全だと分かる。

 そうして、雑踏を歩む事幾何か。双子の言う苗屋に辿り着いた。

 軒先には、ハーブの苗が沢山並んでいる他に南瓜や人参など野菜の苗まである。そもそも”店”に来た事自体が初めてだが、品揃えが良いだろうとは思った。それも、ヴェルメブルク城の庭園で見た事も無いハーブが沢山並んでいるのだ。

 そうして吟味する事幾何か。抗炎症作用のあるエキナセア、鼻風邪に効くエルダーフラワー、消化機能を高めるフェンネル……と、めぼしい苗を幾らか買い込んで、三人は王城へときびすを返した矢先だった。

「そうだベル様! 折角外に出たんですから、もう少し寄り道しませんか?」

 途端に双子の片割れが切り出した事に、ベルティーナは眉をひそめた。

「王城でハンナが待ってるわ。それに私、そんなに出歩いて本当に良くて?」

「大丈夫ですよ! ハンナはベル様よりもっとお姉さんですよね?」

 稚い言い方ではあるが、年上と言いたいのだろう。本人から詳しい年齢さえ聞いてもいないが明らかにそうだろうと思う。

 それに頷けば、二人は「ですよねぇー」なんて声を揃えた後にニコニコと笑む。

「ハンナはベル様よりお姉さん。だから十三歳の私達よりも、もっとずっとお姉さんですもん、大丈夫ですよ。それにベル様、人の世界じゃ今までずーっと庭に閉じ込められてきたってハンナから聞いてます。そんなの可哀想だもの……侍女としてはこっちの世界ではもっと綺麗な景色とかお外を見せたいもの!」

 目を爛々と輝かせたもう片割れに、腕を引っ張られてベルティーナは額を押さえた。

 ──しかし、本当に良いのだろうか。だが、ここまで気遣われるならば、応えた方が良い気さえしてきた。ベルティーナは、暫し考えた後、合意に頷いた。


 その後、ベルティーナは双子の猫侍女とナハトベルグ城下の市場を散策していた。

 冬でも無いのにグリューワインの屋台。それから聖者を崇める日でもないのに菓子屋ではシュトーレンが売られていたり……色々不可思議な点がある。

 しかし、酒場で良い気分で酔いしれる男達が飲むものが麦酒やワイン。それから腸詰め肉やラビオリを食べる等、伝え聞いたヴェルメブルクの酒場と変わらぬ光景が広がっていた。

「ここは裏にある異界とは言うけど……食べ物は全く同じね」

 思えば、城で普段食べる食事だって自分が今まで食べてきたようなものとそう変わらない。違うと言えば、今までよりも幾分も豪華……と、いうくらいだろうか。

 そんな事を考えつつ、市場の景色を横目に歩んでいれば、双子の片割れが「それは当たり前ですよ~」なんて間延びて答えた。

「だって、私達祖先は元々人の住まう世界に住んでいたんですもの。その時の食の風習は残っています。それに特に美味しい食事は今だって表の世界からどんどんと取り入れてるのです」

「それからそれから、魔性の者達の中には夕刻に人に化けてあちらの世界に遊びに行って、流行を調査する……なんて、お仕事をしている人だって居るくらいですから!」

 双子の猫侍女達は嬉々として語る言葉にベルティーナは少しばかり驚くものの、直ぐに納得した。

 人間の世界でも、人間と魔性の者は同じ世界に住まい共存していたと伝わるのだから。

 しかし、魔性の者といえば、妖しき悪しき者……という印象から野蛮な印象が強かったものだ。こう言っては失礼だが、実際に翳りに国──ナハトベルクに来るまでは、二世紀も三世紀も遡る程に原始的で野蛮な生活を送っているものだと思い込んで居たもので……。

 だが、まさかここまで文明が発達しているなど思うまい。

 魔力で動く昇降機がある時点で下手をすれば、こちらの方が文明が勝っているようにさえ窺える節さえある程だ。

 ベルティーナは黒砂岩作り街を横目にそんな事を思いつつ歩んでいた矢先だった。

 双子の侍女の片割れが途端に「あっ!」と何か思い立ったように、立ち止まる。

「そうだそうだベル様! おやつを食べませんか? 城下に降りたら、コレを食べなきゃ帰れない! ってくらいのイーリス達のオススメがあるんです!」

「シュネーバルっていうお菓子みたいなパンで!」

 依然として双子は嬉々として語るが、ベルティーナはその菓子の名を聞いて眉をひそめた。

 ──”雪の玉”を意味するシュネーバル。確か賢女から伝え聞いたか、本で読んだか記憶は定かあでは無いが、明らかに聞き覚えがあった。

 確か、ヴェルメブルクよりももっと南下した国の名産で……。

「ええと……確か、粉糖をたっぷりまぶした球状のパンではなくて?」

 うろ覚えの知識でベルティーナが言えば、『正解ですー!』なんて双子は戯けて笑う。

「とは言っても、私はシュネーバルは食べた事は無いわ。美味しいのかしら?」

『ええ、それはも~ほっぺたが溢れそうな程に!』

 双子は同時に言葉を発し、頬に手を当ててうっとりとして答えた。しかし、ハッと我に返って「これも経費で落とせるようにお城に返ったらベル様の権力お願いします~」なんて懇願するように言うものだから、ベルティーナは思わず笑いそうになってしまった。

 その途端だった──また紋様のある部分がジンと熱くなった。

 しかしやはりそれは一瞬で。ベルティーナが目を見開き胸を押さえると、双子は耳をピクリと震わせた。

「ベル様……どうしたのです?」

 心配気に片割れに訊かれて、ベルティーナはすぐに首を横に振った。

「なんでしょうね……私、胸に紋様があるのだけど、少し嬉しいって思うとそこが焼けるように熱くなるのよ」

 素直に打ち明けるとイーリスとロートスは顔を見合わせた後に、可愛らしい笑みをベルティーナに向けた。

「ベル様にお仕えする事になって、女王様から聞きましたけど……ベル様の呪いは呪い無しのハンナとは少し違うみたいで、足りぬ何かが満たされていく事で穏やかに浸食するらしいですよね。つまり、それだけベル様が今幸せならイーリスは本当に嬉しいです。だけどベル様、無理だけはダメですよ?」

「ですです。ロートスもベル様が嬉しいと何だか嬉しいです。だけど無理は厳禁ですっ! シュネーバル、ハンナの分も買うだけ買って、早くお城に帰りましょ!」

 稚い双子に言われるからこそ、ベルティーナは少しばかり恥ずかしくなってしまった。それも二人して、自分の腕を引っ張って言うものだから。

 しかし、胸の紋様が熱くなったのは、ほんの一瞬だけ。別にその後と言えば、苦しいさなど全く無いもので異常など無い。ベルティーナが「大丈夫」と毅然とした口調で返すと、二人はまた愛らしい笑顔を浮かべる。

「じゃあ、シュネーバルだけ買ったらお城に帰りましょう!」

 そう言ってロートスが前も見ずに一歩進んだ途端だった……。

「きゃん!」

 前も見ないで歩んだロートスは街行く歩行者にぶつかってしまった。

 当たった者は、イノシシのような強靱な牙を生やした大男だった。男はもっさりとした髭を蓄えており、少し離れていても酒臭いもので、その周りには柄の悪そうな男達の姿があった。

「わわ……ごめんなさい。ロートスがしっかり前を見なかったばっかりに」

 ロートスがヘコリと頭を垂れて謝るが、イノシシ牙の男はニタリと厭らしい笑みを浮かべて彼女を見下ろした。

「おー痛てぇ痛てぇ、勢い良くぶつかったものだから肋骨が折れたかもしれねぇな」

 ────どう見たって、少しぶつかっただけよね。それもこんなに屈強そうな見てくれで。そんな訳ないじゃない……。

 そう思いつつベルティーナが目を細めると、男達は寄って集ってベルティーナ達を囲った。

「あーあー親方を怒らせちまった。さぁ、どう落とし前を付けてくれるのか?」

 酒臭い息を吐き出して、男達はジリジリとベルティーナ達に詰め寄って来た。

「あの、本当にごめんなさい……」

 今にも泣きそうになって、ロートスが詫びるが、イノシシ牙の男は面を険しいものに変えて、ギロリとロートスを睨み据えた。

「ひっ……ごめんなさ」

「ふざけるな、謝って許されると思ってるのか。この雌猫が。相応の詫びをして愉しませるのが雌じゃねぇのか!」

 辛辣に吐くと同時、男は丸太のように太い腕を振り上げる。ロートスは萎縮して肩を竦めた。

 流石にこれは不快に思って、ベルティーナは咄嗟にロートスを守るように抱き寄せた。

「おやめなさい。男が寄って集って幼い娘に暴力を? 恥ずかしくなくて?」

 全く感情の篭もらない冷たい声色で言い放つと、男は振り上げた腕をスッと下ろす。

「なんだお前。まるで人間みてぇな奇っ怪な姿だな……」

「ええ、人間ですもの」

 ──それが何か? と、毅然として告げると、男は目を丸くしてベルティーナを凝視する。だがその一拍後には、男は舌なめずりをして卑しい笑いをククと溢した。

「何が可笑しいのかしら。まるで見張り塔ベルグフリートみたいに、いかにも頑強そうな男なのに小娘が当たって砕けるとでも? 随分脆いものね」

 鼻でせせら笑って言ってやれば、男は更にニヤニヤと笑む。

見張り塔ベルグフリートみたいと……これは嬉しい褒め言葉だなぁ。お前みたいに強気な女は好きだなぁ。それにお前、人間だからか? 何だか堪んねぇ程に臭うな」

 男はベルティーナに顔を近づけてフゴフゴと鼻を鳴らす。そしてまた「臭せぇ」と言って嗤った。

 ───は……? 臭いですって? 

 ベルティーナは不機嫌そうに眉間に深く皺を寄せて、真っ正面から男を睨み据えた。

「生憎だけど、毎日入浴してるわ。臭いの根源は貴方でなくて?」

 突っ撥ねるように言ってやれば、男はゲラゲラと溌剌とした笑い声を上げる。

「そういえば、親方ぁ……最近ナハトベルク城に呪われた人間の姫様が輿入れに来ただとかそんな噂を聞きましたが、まさかこいつじゃ」

 傍らに立つヒョロリとした男がニヤニヤとした笑みを浮かべて言うと、イノシシ牙の男は頤に手を当ててジッと吟味するようにベルティーナを見据えた。

「ええ、いかにも」

 突っ撥ねるようにベルティーナが言い放った途端だった。イノシシ牙の男はベルティーナの腕を掴み、グイと顔を近付ける。

「ほぉ……あのいけ好かねぇ蜥蜴王子の婚約者か? こりゃまた面白れぇ」

 先程からこの男は面白い面白いと言うが、ベルティーナは不快で仕方なかった。早くこの状況を脱出したくて仕方ない。

 誰かこの酔っ払いを止めて欲しいとは思うものだが……周囲を見れば、あんなにあった人の群れがすっかりと薄いものになっていた。それどころか、皆こちらを見ないように足早に去って行くのである。

 困っているのに助けもしない。誰も視線も合わそうともしない。どうすれば良いものか……ベルティーナは困窮して眉根を寄せた。

「さぁて人間の姫様よ。どうするんだぁ? その雌猫共は城の使用人だろ? この二匹かあんた一人が俺らに付いて来いって言ったらどっちを選ぶ」

「どっちも嫌よ。馬鹿じゃないの」

 きっぱりと告げるや否や──捕まれていた腕の力が更に強まった。それはもう腕の骨が砕けそうな程に。

 激痛にベルティーナが歯を食いしばると、男は顔を真っ赤にしてたちまち激昂した。

「口の利き方がなってないな。どうするんだ? 早く選べ!」

 凄みを含んだ声色で言われるが、ベルティーナは怯むこともなく、イノシシ牙の男を睨み据える。

「私が行くわ……」

 ──だから、この子を許しなさい。と、震え上がるロートスに視線をやって言うと、ようやく腕を締め付ける力は弱まり、男は頷いた。

「えー勿体ねぇよ親方。この雌猫共もかなり可愛いじゃねーですか。連れてきやしょーぜ」

 外野の男達はブーブーと文句を垂れて、たちまちイーリスとロートスを捕縛した。

「ああ、そうだなー確かに言われてみりゃそうだ。雌は多い方がで楽しめるからなぁ」

「ちょっと、話が違うじゃない!」

 ベルティーナはたちまち目を釣り上げて憤激する。だが、イノシシ牙の男は微塵も怯む事もなく、卑しい視線でベルティーナ達を見据えた。

「人間は知らねぇのか? 魔性の者ってもんはよぉ……狡猾じゃねぇとやってられねぇもんなんだよ?」

 ヒックと、酒臭いしゃっくりを吹き付けて。イノシシ牙の男は、品性の欠落した笑いを浮かべた。

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