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6 冷たきその理由

 それからベルティーナが目を覚ましたのは、夕暮れ時。 

 ベッドから出た時には、すっかり陽が傾いており、空は橙に色付き始めていた。

 ────しかし、この生活は本当に慣れるまでは大変そうね。

 そんな事を思いつつ、今現在ベルティーナはアンダードレス一枚で呆然と三人の侍女の後ろ姿を眺めていた。

『ベルティーナ様ぁ~何色がお好きなでしょうか!』

 同時に声を出したのは双子の侍女。イーリスとロートスだった。彼女達は獣の耳をピコピコと動かして、クローゼットの前でふわふわとした尻尾を揺らしている。方や人の世界から共に来た侍女、ハンナはドレッサーの前でおしろいにルージュなどの化粧品を一式準備していた。

 王女らしき扱いなど今までろくに受け来なかったのだから、やはり一日二日で慣れないものだった。ベルティーナは目頭を押さえて『紫色』とぽつりと答えた。

 そうして間もなく、二人の侍女が目を輝かせて一着のドレスを持ってきた。

 しかし、それを見るなりベルティーナは顔を引き攣らせた。

 紫──確かに紫ではあるが、それは黒と紫を貴重としたやや奇抜なコルセット式のバッスルドレスだった。否や、これをバッスルドレスと呼んで良いかも分からない。随分なアレンジがふんだんに施されたものだったのだから……。

 背中部分の布地が明らかに狭いだろう。それに、ドレスの裾を左右非対称に裁断され、クシュクシュとしたフリルを沢山あしらわれている。しかし……左右非対称の片方がやけに短い。これでは背と脚を大きく露出する事となる。否や、それ以上に目立つものはコルセット部分に施された蝶の翅飾りだろう。

 ……確かに綺麗だとは思うし、妖艶ながらも可愛らしいとも思う。だが、奇抜すぎやしないだろうか。ベルティーナは目を細めてそのドレスをジッと見据えた。

 昨日までの普段通りの装いといえば、くるぶしまで隠れる程の丈の長い地味なワンピースばかりだ。それを今日で、この露出は気が引ける。

「どーです? お気に召しません?」

 そう訊くのは双子の片割れのどちらか。

「どうですって……流石に破廉恥で奇抜じゃなくて?」

 ベルティーナは目を細めたまま言うと、もう片割れは「何を言うのですか!」とベルティーナの前に詰め寄った。

「ああん……もう! ベルティーナ様! この国ではこの形状のドレスってごく一般的なのです! それもこちらのドレスは一級品! この国屈指の凄腕お針子様が縫ってるのです! それにこのドレス! ミラン様が全部お選びになったもので!」

 あまりに真剣になって詰め寄るものだから、ベルティーナは一歩引いてしまう。

 しかし、ミランと…………。

 自分の婚約者が選んだものとなれば、いちいち拒否したりするのも良くないだろう。

 この国で上手くやって行く事がまずは第一の目標であるのだから……。

「……わ、分かったわ。それの着付けを頼むわ」

 流石に奇抜すぎるだろうとは思うが、拒む権利も無い。ベルティーナは渋々と合意に頷いた。

 そうして幾何か。身支度の整ったベルティーナは姿見の前で目を細めていた。

 ……いくら何でも奇抜でケバいだろう。そうは思うものだが、猫耳の侍女と人間の侍女は感嘆としてベルティーナの姿を見つめていた。

『は~とてつもなく妖艶で美しいです』

「とてもお綺麗ですね」

 そんな言葉を言われるが、ベルティーナは納得いかぬ様子で吐息を溢す。

 左右非対称の裾は、ベルティーナが思った以上に大胆な程に大きく脚を露出していたのだ。

 太股丈の黒地のレースストッキングをガータで留めているが、それでも素肌が大きく見えてしまい、少しばかり破廉恥に思う。しかし、驚いたのは頭部の装飾だ。こちらもドレスに付いた蝶の翅装飾と同じで随分と大ぶりなものだった。

 それに、髪を高く片側に結い上げた事もあって、背中だって本当に丸見えで……。

 ────似合う似合わないはさておき。流石にこれは如何なものかしらね。

 ベルティーナが溜息をついた矢先。姿見の中のハンナと目が合った。それに驚いたのだろう。ハンナはピクリと背を震わせる。

「ねぇ。あえて人間の貴女に訊くけど、内心では破廉恥だと思って笑ってないかしら?」

 棘を含ませ、淡々とした調子でベルティーナは訊くがハンナは昨日とはうって変わって怯む事も無く目を輝かせていた。

「とんでもございません! 妖しくも儚い雰囲気がとてつもなく美しいと思いますよ!」

 と、姿見越しに彼女は言う。

 彼女の光が躍る瞳を見る限り嘘ではないだろうと思った。それに含み笑いもしていないもので……自分の装いが変で無いと悟り、安堵したベルティーナは緩やかに振り返った。

「そう、ありがとう」

 そっけなくベルティーナは礼を述べる。すると、ハンナは心底嬉しそうに微笑んだ。


 ──双子の侍女の話によると、ミランは既に支度を済ませ部屋で待機しているらしい。

「ここは夫婦の部屋。この通路を抜ければミラン様の部屋に辿り着きますので」

 二つの部屋を繋ぐ通路のベールを持ち上げ、双子の片割れは笑みながら言う。

 しかし、ベルティーナからしてみれば昨晩、彼が訪ねて来た事もあり、存知の事だった。 

 ベルティーナは暗い通路を歩む事数秒。直ぐに向こう側のベールに辿り着く。

 それを持ち上げた先に広がっていた部屋は、自分に宛てられた部屋と同じ間取で、似たような調度品が設置された部屋だった。

 大きな違いと言えばカーペットの色くらいだろう。自分に宛てられた部屋は濃い紫だが、彼の部屋は、明朝見た彼の瞳を連想させる碧みを含む緑だった。

 無表情のまま。彼の部屋を眺望する事間もなく。「おはよう」と、声を掛けられて視線を移すと、ソファに座っていたらしいミランが立ち上がり、ベルティーナの方に歩み寄って来た。

 ────外も夕暮れ時なのに。

 彼が朝の挨拶をした事に少しばかり違和を覚えつつ、ベルティーナは会釈だけした。

「行こ。あまり遠くまでは行けないけど城の中と城の周りでも案内する」

 平坦な調子で言って、ミランはスッとベルティーナに手を差し出すが──

 「心遣い有り難いけれど、その……手なんて差し出さなくて結構よ」

 ベルティーナはやや戸惑いながら拒否した。

 化粧を施される際やドレスの着付けに触れられる際はもうやむおえないとは思ったが、これはまた違うだろう。やはり、他人に触れられる事に激しく抵抗を覚えてしまう。それも、魔性の者とは言え異性に違わないから尚更に。何か言われるだろうか……と、少しばかり身構えたが、彼は一切顔色を変えなかった。

 それどころか、彼はこちらに一切視線を向けもしない。

 怒らせたか……そう思ったものだが「行こう」と、平坦な調子で言って。彼は先導し、部屋の扉を開いた。

 ──昨晩、部屋を通される段階で分かってるだろうけど、俺達の部屋があるここは最上層階。近くには、俺の母親……まぁ、女王の私室もあるけど立ち入り禁止。それから中層階には、謁見の間がある。それで下層には使用人達や護衛達の詰め所や部屋があって……。

 黒の大理石の上に深紅のカーペットが伸びる廊下を歩みながら、ミランは各所の説明をしてくれた。

 この城は外からの見かけ通り、なかなかに広かった。それでも、各層への移動は階段だけではなく、昇降機が二機も設置されている事から行き来に苦労はないと思しい。

 昇降機に乗り込み今度は下層へ……。機内の壁に描かれた金の紋様にミランが手を翳すと昇降機は緩やかに下降を始めた。

 昨日も部屋に来た時にこの光景は見たものだが、なんとも不思議に思う。

「この昇降機は何で動いてるのかしら?」

 少しばかり興味を持って訊けば、彼は「魔力」とだけ答えた。

 しかしながら、淡々と話す自分が言うのも何だか、ミランは感情が欠けているように思えてしまった。

 女王や侍女達……他とは明かに彼は何か違うのだ。何を考えているかも全く分からないもので、表情に出ないのである。それに視線も殆ど合わせてくれやしない。

 必要以上の会話が無い方が気楽と思えるが、果たして上手くやって行く為にこれで良いだろうかと……少しばかりベルティーナが悩ましく思った。

 そうこう考えているうちに、下層まで辿り着き、昇降機の柵が開くとミランはベルティーナに先に出るように促す。

 女性を優先し、丁重に扱おうとする所作はとてつもなく紳士的に思うものだが、やはり何を考えているかは全く掴めない……と、そんな事を思いつつ、昇降機から降りた途端だった。

「……おやミラン?」

 朗らかに声をかけてきたのは、ミランとはまた違った形状の角を生やした者だった。

 自分と恐らく歳が変わらない程の少女だろうとベルティーナは思う。

 単純に背丈が自分と変わらない事や、顔立ちから憶測出来るだけの事だが……。

 短く揃えられた赤髪に漆黒のジレにシャツ……と、男物の衣類を纏ったその様はまさに男装令嬢とでもいった勇ましさ。しかし、桜色の唇に水紅色の長い睫と麗しく気品を持つ容姿から女性的な印象も強く感じる。その瞳の色と言えば、灰色に橙が混ざった神秘的なもので……。

 ────とても綺麗な人。

 ベルティーナは自分たちに近付いてくる彼女をじっと見つめた。

「あぁ、リーヌ。ちょっと案内中……」

 依然として彼は平坦とした調子で言うが、その表情は随分と綻んでいた。

 対する彼女も優しく笑み「ゆっくり見てくと良いよ」と、ミランの肩をポンと叩く。

 ミランの肩を叩く、白々とした彼女の右手──その薬指には、綺麗な金細工の指輪が妙に際立っていた。真ん中には大粒の翠玉らしき宝石が彩っており、その華奢な指によく映えているように思えた。

「そうだ、リーヌ。こっちはベル。昨日来たばっかの俺の婚約者……」

 ミランの声に我に返ったベルティーナは、慌てて彼女の顔に目をやって会釈した。

 すると、彼女は明るい面でベルティーナの方を向くと礼儀正しい一礼をして、綺麗に笑む。

「お初にお目にかかりますベル様……」

 未だ正しい名を知らないのだろう。ミランの付けた愛称を言って、かしずく彼女にベルティーナは瞬きをする。

「ええ……正しくはベルティーナよ」

「左様ですか」

「別に愛称で構わないわ。けれど、愛称で呼ばれる事なんて無かったものだから直ぐに反応出来るか分からないけれど」

「承知しました。ベル様が来られました事、心より歓迎致します」

 そうして彼女が跪き、ベルティーナの手を取ろうとした須臾しゆゆだった。直ぐにミランがリーヌとベルティーナの合間に割り入ったのである。

「リーヌ、それはやるな……!」

 突然荒々しく言ったミランの言葉にベルティーナは目を瞠った。

 心なしかその表情は悲しげで……。

 いったいどうしたのか……。と、思うが遮ったミランの指を見て直ぐ、ベルティーナは彼の行動全てを理解した。

 彼の装い細部など見ておらず気付きもしなかった事だが、彼の右手の薬指にリーヌがつけているものと全く同じ形状の指輪がある事に気付いてしまったのである。

 違う部分と言えば、中央に配置された宝石で……。それはリーヌのものとは対照的に紅玉らしき大きな宝石が嵌め込まれていた。

 この世界で、それが何を意味する事か分からないが、人間の世界で右手薬指の指輪は『婚約者或いは恋人の証』と本の中で読んだ事がある。

 更に、それを決定付けたのは指輪中央に配置された宝石もあるだろう。

 正確には碧翠だが、翠色は必然的にミランの瞳を彷彿する。方や赤はリーヌと名乗った彼女の髪色が結び付く。

 ミランが自分に平坦な態度しか見せぬ理由……つまり、彼がこの婚姻を望んでいないから。リーヌという恋人が居るから。と、事の全てが結び付き、達観したベルティーナは目を細めた。


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