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5 寡黙な婚約者

 ……それから、双子の猫の少女達に案内され、ベルティーナは一つの部屋に通された。

 そこは、漆黒と紫を基調とした部屋。天蓋付きのベッドの他に、棚やソファなど最低限の調度品が設置されてあった。

 色使いは暗ぼったいが、ベルティーナは直ぐにこの部屋が気に入った。単純に、部屋を基調とする紫が自分が一番好きな色という事もあるだろう。

「お気に召しました?」なんて双子の少女達にキャイキャイと問われて、ベルティーナは素直に頷く。 

 ……どうやら、この少女達がベルティーナの侍女らしい。

 彼女たちは「姉のイーリス」「妹のロートス」と自らを名乗ったが、顔も声も装いだって何もかも同じ。全くもって判別が付かなかった。

 しかし、このかしましさには流石に目眩を覚えてしまい、ベルティーナはここでも誰の手も借りず一人で入浴を済ませた。

 そうして入浴を終え、部屋に戻るとそこには誰も居なかった。テーブルの上を見るとハンナからの置き手紙があり、綺麗な書体で「お休みなさいませ」綴られていた。

 その隣には、湯気の立つ暖かい飲み物が添えてあり、ベルティーナはソファに座してカップに手を伸ばした。

 ハーブティーだろうか。スンと鼻を鳴らすと林檎によく似た甘い芳香が漂っている事から、カモミールティーだと分かる。

 カモミールは安眠や鎮静効果がある。随分と気を利かせてくれたものだと、ベルティーナがお茶を啜った途端──部屋の奥でガサリと物音がした。

 何事か……と思い、慌ててベルティーナが振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。

 服装は首元に灰色の毛皮のついた黒のコート。襟も無い簡素なシャツを下に着込み、黒の長靴を履いていた。毛皮のついた装いから少しばかり荒々しい印象を感じてしまう。

 ──艶やかな濡羽色の髪に深い森を彷彿させるビリジアンの瞳。その面は精悍で……。自分とは頭一つ以上も違うと思しい程にとてつもなく長身な青年だった。

 女王同様に彼の目元や手の甲には鱗らしきものが散らばっており、更に似た点は巻き角だ。だが、それは女王の角よりも幾分も逞しく大きなものだった。しかし、違った部分は一つある。彼の臀部には硬そうな鱗に覆われた尾があったのだ。

 丁度、朝日が昇り始めた頃──その巻き角や鱗はまるで黒曜石のように妖しい青い光を反射していた。きっと、彼が翳の女王の息子で王子……自分の婚約者だとベルティーナはひと目見て直ぐに理解した。何せ、顔立ちが全く違うにしても、同じ色と形状をした角と鱗を持つ部分が女王と似すぎていたからだ。

 女王を見た時も思ったが、元は何の生き物だろうと思う。鱗がある事から爬虫類のように思うが、角を持つ時点で疑問符が浮かぶもので、さっぱりと分からない。

「何用かしら……」

 まず、どこから入ってきたかが気になるが、ベルティーナは動じぬよう全く感情の篭もらない声で彼に訊く。

「今日来るって聞いてたし。未だ起きているかなって見に来ただけ。俺もさっき帰って来たばかりだけど……」

 その声は低く掠れたものだった。

 しかし、あまり感情が読み取れない単調過ぎるもので、ベルティーナは心の中で驚嘆した。

 少しばかり強面と言っても良い程に精悍なこの顔だ。その上、毛皮のついた衣類を纏い、図体が大きな様から、乱雑な性質かと思ったものだが……彼は極めて落ち着いていたのだ。

 更に言ってしまうと、ここは寝室だ。少しばかり野蛮そうなこの容姿だからこそ、いきなり浅ましい事をされる事だって杞憂したものだが、この話し口調から察するに別にそういったつもりは無いだろうと憶測が立つ。

「就寝前の淑女の部屋に? 貴方どうやって入ってきたの?」

 ──そもそも何者? と、あえて訊いてやると、彼はベルティーナに歩み寄り部屋の奥を指し示した。

「ここ夫婦の部屋だからな。そこを抜けると俺の部屋と隣りあってる。まぁ、俺。あんたの婚約者だけども……」

 彼の示した先に、視線をやると黒と紫の布が混ざったフリルのようなベールがあった。

 この部屋に通されて即座に入浴した。だから、ろくに部屋の間取りなんて見なかったが、そこが通路になっていたとは……。

「そう……。私はベルティーナと申すわ。貴方、名前は? 」

 変わらず、淡々とした口調でベルティーナが訊く。すると──

「ミラン」

 と、名乗るだけ名乗って、彼は黙ってしまった。

 なんとも掴み所が無いと率直に思った。否や、会話さえ続かなそうである。

 ベルティーナは彼に構わずハーブティーを啜り始めた途端だった。

「……なぁ」

 ミランと名乗った彼はベルティーナを一瞥もせずに会話を切り出した。何を切り出すのか……と思うや否や、彼は僅かに唇を綻ばせた。

「……あんたの事、ベルって呼んでいい? あと……俺の事、覚えてる?」

「え……?」

 ベルティーナはカップから口を離し、直ぐに眉根に皺を寄せた。

生憎あいにくだけど……私に魔性の者の知り合いは居ないわ。記憶違いじゃなくて? そもそも人と魔性の者に関わりなんて無いでしょう? 名前に関しては、貴方の好きに呼べば良いけれど」

 ──愛称なんて付けられた事も無いから、直ぐに反応出来るか分からないけれど。と、毅然としてベルティーナが続け様に言う。だが、彼は返答もしなかった。

 彼の表情はどこか乏しいもので、何だか自分を見ているような気分にさえなってしまう。

 しかし、自分はまだ視線を向ける。だが、彼は殆ど向けやしないのだ。ベルティーナは少しばかり居心地悪さを覚えて、一つ咳払いを入れた。

「……話は以上かしら?」

 そう訊くと、ミランは無言のまま頷いてきびすを返す。だが、途端に何かを思い出したのか、彼は急に立ち止まり、ベルティーナを一瞥した。

「ゆっくり休んで。明日は俺、暇を貰ってるから色々と案内出来ると思う」

 それだけ言うと、彼はベールを捲って自分の部屋へ戻っていった。

 ……角や鱗や尾があろうが、顔は悪くない。しかし、掴みようもなく非常に扱い辛そうな婚約者だとベルティーナは率直に思った。だが、強弁を取るような強引で乱暴な性質だったり、ひたすらにやかましい相手でなかった事だけ良かったとは思う。

 ──ヴェルメブルクへの報復の為、この世界で上手い事やっていかなくては……。

 そんな事を思いつつ、ベルティーナはカモミールティーを全て飲み干した。

 しかし「俺の事、覚えている?」とは……。

 自分からすれば全く見ず知らず。それなのに彼は知ってるかのように言った事が少し気がかりだった。

 一頻りベルティーナは思考を巡らせてみるが、やはり分からない。それに、いい加減に眠気で頭がぼんやりとするもので……立ち上がったベルティーナはベッドの中に潜り込んだ。



 一つ寝返りを打って、薄く瞼を開くと見知らぬ天井だった。

 ……そうだ。自分は翳りの国に来たのだ。

 それを直ぐに思い出したベルティーナはむくりと身体を起こし上げた。

 天蓋のベールの隙間からは、絹糸のように細い光が漏れている。もう昼間だろう。だが、静謐に包まれ物音一つも聞こえて来なかった。

 ベルティーナは天蓋のベールをめくる。

 部屋の端に設置された柱時計に目を向けると、正午前を示していた。

 ────流石に寝過ぎたわね。

 そう思ったが、直ぐにベルティーナは首を横に振った。

 翳りの国は人の世界とは違い、昼夜真逆の生活。と、確か女王は言っていただろう。つまり、ここでは真夜中に当たる頃合いか……。

 それを思い出し、ベルティーナは再びベールを閉じてベッドの中に戻った。

 今の今までと言えば、日の出と共に起きて直ぐに薬草畑の手入れをしていた。あまりに規則正しい早朝型生活だ。まず、この国に慣れるには生活時間帯をガラリと変えるところから始めなくてはいけないだろう。本当の真逆……と、思うと少し不安に思い彼女は吐息を溢す。 

 しかし、一度目を覚ましてしまうとなかなか眠くはならなかった。

 ────いっそ起きていようかしら。

 早速諦めて、ベルティーナが身体を起こし上げた途端だった。キィと、部屋の扉が開く音が聞こえて、彼女は直ぐに天蓋のベールを開けた。

「……あっ」

 驚いた声を上げたのは、愛らしい少女のもの。そこにあった姿にベルティーナは目を丸く開く。

 ──夏の夜空のような藍の髪に星の光のような白銀ぎんの瞳。ピンと尖った猫の耳にふわふわの尻尾。自分に宛てられた侍女の片割れだった。 

 城に来た時の姿といえば、お仕着せのエプロンドレスを纏い、髪の房を二つに分けてふんわりと結っていたものだが、今の彼女は髪を下ろし濃紺のナイトドレスを纏っていた。

 イーリスとロートスと名乗った事は覚えているが、流石に未だ見分けなんてつきもしない。

 はて……どちらだか……。と、ベルティーナが目を細めると、彼女は慌てた様子で手をバタつかせた。

「ごめんなさい! お手洗いに起きたついでにカップを回収しておこうって……その」

 ──起こしちゃいました? なんて怯えながら訊かれ、ベルティーナは直ぐに首を横に振る。

 自分が起こしたわけでは無いと知ってホッとしたのだろう。彼女は、獣の耳をくたりと下げて心底安堵した表情をみせた。

 ピコピコと動く耳に、ふわふわの尻尾。やはり何度見たって可愛らしい生き物だと思ってしまう。ベルティーナはジッと彼女を見据えてしまうが、その視線に射貫かれた彼女は少しばかり居心地悪そうな仕草をした。

「あのぅ、ロートスは何か変ですか?」

 一人称が名だからこそ、これでどちらかが明確になった。

 確か妹の方だったような……と思いつつ、ベルティーナは首を横に振るう。

「いいえ、全く。愛らしい耳と尾を持っていると思って見ていただけよ」

 触ってみたい願望は黙っておき……ベルティーナが素直に告げると、ロートスは驚いたのか頬を赤らめ目を丸く瞠る。 

「……で、カップの回収に来たのではなくて?」

 彼女の用件を指摘すると、ロートスは我に返り、丁寧な所作でカップを取った。

「ベルティーナ様。もしかして眠れないのです?」

「ええ。人の世界では今が起きて活動している時間ですもの。当然よ」

「わぁすごい。お昼に起きてるってすごい……」

 何を当たり前の事を言っているのだろうか。と、思うものの、夜行性の者からすれば日中に動き回っている事が不思議に思えるのだろうか。

 だが、それを言ったら、こちらだってそう思う。ベルティーナは一つ吐息を溢して、やれやれと首を横に振った。

「確かに貴女達からしてみれば、人はおかしな生き方をしてるでしょうね。呪われてるとは言え、私は人と変わらないわ。しかし、困ったわね。貴女達の起床時間は何時くらいで?」

「ロートス達は、日没前の午後四時前には必ず起きますけど。でも、ベルティーナ様はゆっくり休んで結構ですので。何より、睡眠はきちんと取らないと夜に響きます」

 咎めるように言われてしまい、ベルティーナは煙たそうに顔をしかめた。

 ましてや、こんなに小さくふわふわな生き物に……。きつく突っ撥ねるような切り返しをしてやりたいところだが、おかしい事にそういった気になれやしない。

 だが、確かに彼女の言う事も一理あるだろう。これからはずっとこの国に居続ける事となる。早急に慣らす方が自分の身の為だとは思った。

 ……いずれ、あの腐れた国に報復を与えるのだ。しっかりとした計画を建てる為にも倒れてなんかいられないだろう。

 親指の爪を噛んで思考を巡らせるベルティーナが妙に思ったのだろうか。ロートスは小首を不思議そうにベルティーナを見つめた。

「どうしたのです?」

「いいえ別に何も……まぁ、眠るように努めるわ」

「じゃあ眠れないベルティーナ様の為にもう一杯、お飲み物を淹れてきますね。良い香りのお茶はいっぱいあります! さっきのカモミール以外にもラベンダーやマリーゴールドなどなどお花のお茶は沢山あるんですから!」

 何が良いか、何が好きか……と聞かれるが、ハーブティーはどれも嫌いではない。任せると言えば、ロートスはへこりと頭を垂れた後、部屋を出て行った。

 そうして間もなく、彼女はカップから溢れんばかりにカモミールミルクを淹れて来てくれた。

 林檎に似た甘い香りとミルクの香り。それに混じって甘い蜂蜜の香りも混ざっている。

 寝起きで少しばかり喉も渇いていたから丁度良かった。ベルティーナは直ぐにカップに口を付け啜った途端だった。

「どうです? 良い香りで美味しいです?」

 彼女がひっつく程に近付き、目をキラキラと輝かせて言うものだから、ベルティーナは僅かに身を引いた。

 ……途方も無く可愛いと思う。こんなに可愛い生き物は未だかつて見た事も無い。しかし、どう対応して良いか分からず、ベルティーナは彼女から直ぐに視線を逸らした。

「え、えぇ……とても美味しいわ」

「本当です、よかったー!」

 それはもう両手を上げて言うものだから、あまりに可愛い。

 だが、本気でどう反応したら良いか分からず、ベルティーナは居心地が悪く思えて一つ咳払いを入れて仕切り直した。

「まして安眠や鎮静の効能があるカモミールを選んでくれたのはとてもありがたいわ」

 ベルティーナはそっけなく言うが、彼女はまたも嬉しそうにニッコリと笑む。しかし、直ぐに不思議に思ったのか「効能?」と疑問符を浮かべながら彼女は小首を傾げた。

「あら? この国ではあまり一般的でないのかしら。ハーブティーは色や香りを楽しむだけではなくて、各々に様々な効能があるのよ。人の世界では薬として用いられる程、それに煎じて飲むだけではなく……」

 淡々とベルティーナが話すが、ロートスは更に目をキラキラと輝かせた。

「すごい、すごい! ベルティーナ様って色んな事を知ってるんですねす! 本当に、本当にお姫様なんですか!」

 無表情は崩さないままではあるが……言われた言葉に、ベルティーナは心の中でポカンとした。自分の言った事は、さも常識的な事だと思ったものだが……。

「ええ……一応はそうだけど。入浴も一人でさせてくれた点で、同行した人の侍女から聞いてなくて? ヴェルメブルクでは私は王女の扱いなんて全くされて来なかったもの。庭園暮らしの生活を送っていたから、薬草学だけはそれなりの知識は持っているわ」

 皮肉な事実を述べて、ベルティーナは残りのカモミールミルクを全て飲み干した。

 ナプキンで口元を拭い、コトリとカップを置くと、ロートスは直ぐにそれを取るが、相変わらずに目を輝かせている。

「ベルティーナ様のお話もっといっぱい聞かせて欲しいです!」

 そう言って、ロートスが詰め寄るものだから、ベルティーナはまた少しばかり退いた。

 やはりこの距離感は慣れない。それに、恐れられずに自分にこうも興味を持たれるなど不思議に思えてしまう。だが、それがほんの少しだけ嬉しく思えてしまい、ベルティーナは唇を僅かに綻ばせた。

「……それはそうと。貴女はあと数時間もすれば起きて仕事ではなくて?」

 少しばかり呆れて言うとロートスは柱時計の方を向く。

 やはり時間を忘れていたのだろう……。ロートスは時計を見るなり驚いた顔をして、立ち上がり一礼すると間もなく部屋から出て行った。

 まるで嵐が過ぎ去ったかのようだった。一人きりに戻ると、ようやく心が凪ぐもので、胸を撫で下ろしたベルティーナはベッドに向かう。

 ────不思議な感覚。だけど、人と関わるのは存外疲れるものね。あらゆる点で先が思いやられるわ。

 心の中で独りごちて、床に就いた彼女は瞼を伏せた。

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