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3 妖艶なる女王陛下

 時計の針が午後十一時四五分を指したと同時。叩扉こうひが響き、控えていた使用人達がどっと部屋に入ってきた。

「ベルティーナ様、サロンへと移りましょう。間もなく到着するかと思います」

 男の使用人はかしずき述べるが、ベルティーナは頷きもせず立ち上がる。

 そうして部屋を出て直ぐ。廊下にはローブのフードを深くかぶった魔道士の老婆が二人待ち伏せていた。その隣には先程の騎士達が居る。彼らが腰に剣を携えている事から恐らく、万が一の時の護衛だと分かる。だが、こうも重装備で来られると、とてつもなく物々しい事が起きるかのように思えた。

 それからベルティーナはサロンに通された。

 そこに踏み入る事間もなく、風も無いのに窓ガラスがガタガタと音を立てて揺れ始めた。

「到着したようで……」

 後ろに控えていた魔道士の老婆は、嗄れた声でそう告げる。

 それから間もなく──遠くで扉の音が開く音が聞こえた後、サロンを照らしていた燭台の炎が揺らぎスッと消え去った。

 やがて、大理石の床の上をカツカツと歩む、小気味の良い音が近づいてくる。

 男も女も使用人達は皆俯いている。だが、騎士は腰に携えた剣を握り、二人の魔道士は杖を握り緊急時に備えていつでも抜刀出来るように身構えていた。

 やがて足音はピタリと止まり、妖しい青白い光が扉の隙間から煙のように入って来た。

「ほぅ……王と王妃はやはり来ぬか。まぁ良い」

 響いた声は淑やかな女性のものだった。

 ベルティーナは扉の方へ視線をやる。すると、声の主は煙のようにふわりと姿を現した。

 扉も開いていないのにどういう事だ。まず、そこに驚いてしまうものだが、声の主の姿を確と目にしてベルティーナは唖然とする。

 ──雪のように白々とした肌に蒼天の瞳。癖も無い艶やかなな濡羽色の髪。その側頭には、立派な黒い巻き角があり、目元や手甲には黒曜石を散りばめたかのような鱗がちらほらとある。

 彼女の纏う召し物はこれまた上等なドレスだった。ドレスは彼女の髪や巻き角と同じく、黒々とした淑やかなもので、裾に向かう程に目が覚める程の蒼の彩色が広がっており、煌びやかな宝石が散りばめられていた。

 顔立ちを見るからに中年に差し掛かる女性と思しい。

 魔性の者に対して野蛮そうな先入観を持って居たものだが、彼女は非常に優しい面をしており気品に満ち溢れていた。

 しかし何故、暗闇の中でその姿や色彩がはっきりと見えるのか。それは、彼女が妖しい蒼白い光を纏っていたからだろう。その周囲には妖しく光る青い蝶が鱗粉を撒き散らし、踊るようにふわふわと舞っていた。

 初めて目の当たりにした魔性の者──その第一印象は、ただただ……耽美たんびであり、恐ろしい程に美しいと思えて、ベルティーナは表情に出さずとも心の中では呆気に取られていた。

 また、美しさは彼女が引き連れてきた召使いと思しき男達も同じだろう。

 彼らは鰓や翼のような形状の耳を持ち、魚や鳥のような特徴を持っていた。だが、その姿は限りなく人に近い姿をしており、顔立ちも精悍で……怪物と呼ぶ程の醜さは皆無に等しかった。

「……さぁて。和平の話を進めようじゃないか。私は王女を迎えに来ただけだ。楽な姿勢を取っておくれ」

 そう言って、彼女がパチリと指を鳴らしたと同時──青白い光と蝶は消え失せ、燭台の炎は再びポッと燃え上がった。

 臨戦態勢に入っていた騎士や魔道士達は顔を見合わせると、スッと得物から手を下ろす。

 ────この人が翳の女王?

 ほぼ無表情ではあるが、心は未だ放心したまま。ベルティーナは幾度か目をしばたたき、翳の女王の姿を見つめた。

 その視線に気付いたのだろう。翳の女王は、妖艶な笑みをふっくらとした唇に乗せて、ゆったりとベルティーナに近付いた。

「おや、お前が王女かい?」

「ええ、そうですが」

 毅然とした口ぶりで答えると、翳の女王は目を丸く開いて幾度もまばたきする。

「何か?」

「いいや。お前、随分肝が据わっているね」

「そうでしょうか」

 いつも通りの全く感情の篭もらない口ぶりでベルティーナが述べる。すると、翳の女王はたちまち溌剌とした笑い声を上げた。しかし、何がそんなに面白いのかは分からない。少しばかり不快に思い、ベルティーナが眉根を寄せると彼女はククと喉を鳴らす。

「面白い娘じゃないか。気に入ったよ。名を何と申す」

「自から名乗らない事は無礼では無くて? それも国を統べる者よね。常識が欠落してるわ」

 思ったままをベルティーナがきっぱりと述べる。すると、女王は目を大きく瞠り、また溌剌とした笑いを溢した。

「ああこれは失礼したね。私が〝翳りの国〟を統べる女王、ヴァネッサだ」

「そう、ヴァネッサ女王。私は、ベルティーナと申すわ」

「そうかい。あと一つ言い忘れたな……」

 ヴァネッサと名乗った女王は見惚れる程に美しい笑みを浮かべ、真っ直ぐにベルティーナを見据えると──十七の誕生日おめでとう。と、淑やかな声で言った。

 それを聞いたベルティーナは目を瞠って唖然としてしまった。

 誕生日を祝われたのなんて、いったい何年ぶりだろう。それも、他人に祝われた事も無い。ましてや、こんな真っ正面から……。

 果たして、どんな反応をして良いかも分からず、ベルティーナは黙りとしたままだった。

 しかし、女王はベルティーナが返事もしない事を気に留めていない様子で──

「さてと。今回は王女を引き取るだけが用件だ、もう用は無い。参ろう」

 と、召使い達に示唆すると、彼女は漆黒のドレスの裾を揺らし、優雅な所作できびすを返す。

 その途端だった。

「……し、失礼ですが女王陛下」

 弱々しい声を出したのは一人の使用人──ハンナだった。

「ベルティーナ様の侍女として、私も貴女のお国にお伴致します。その件、どうかご承諾頂けますでしょうか」

 礼儀正しく、それだけ告げるとハンナは深々と頭を垂れる。

 直ぐに女王は振り向くが、少しばかり唸り声を上げて、頤に手を当てた。

「何か問題がございますでしょうか……」

 ハンナは真っ青な顔でおずおずと問う。すると、女王は深い息をつき、ハンナに近付いた。

「こちらでも侍女は用意してあるがね。見たところ、王女は未だ魔に墜ちていない。確かに人と魔性の者の生活は大幅に違う。だからこそ、人の侍女が居た方が賢明な事だと私も思うものだが……」

 そこまで言って、女王は言い淀んだ。

「何か問題があるのかしら?」

 すかさずベルティーナが口を挟むと、女王は首を横に振り目頭を押さえた。

 「……我らの国は人間は禁制。人間にとっては呪いの地。この地に踏み入った時点で、ベルティーナ王女と同じように魔に墜ちる呪いを受け、いずれ我らの同族となる。各々呪いの発動に条件が違うが、足りぬ何かが満たされた時点でそうなると言われている。墜ちてしまえば、もう二度と人に戻る事など出来ぬもので……」

 信じられないような言葉だった。

 それを訊いたベルティーナは目を瞠り、直ぐにハンナに視線をやった。

 ハンナの表情は何とも言えぬものだった。その表情は物語に描かれた”処刑宣告された冤罪の被告”を彷彿するものだった。

 暗い絶望に気が遠くなったのだろうか。途端にハンナがフラリとよろけるものだから、ベルティーナは直ぐに彼女の背を支えた。

「ちょっと貴女……」

 ハンナの背は震えていた。呼吸は荒くはないが、とてつもなく浅いもので、彼女は一点を見つめたまま瞬きを一つもしない。

「貴女は……」

 ──やっぱり同行しなくて結構よ。と、ベルティーナが言い切る前だった。

「ええ、それで結構です。侍女として、その者の同行をご承諾下さいませ」

 淡々と言い放ったのは、男の使用人だった。 

 ──何故そんな事を言うのか。話は聞いていただろうか。

 ベルティーナはアイスブルーの瞳を釣り上げて、男の使用人を睨み据える。

 直ぐさま『認めない』と、言い放とうとした途端だった。

「……構いません。同行の承諾をお願い致します」

 ハンナは消え入りそうな声で発し、ベルティーナは唇を拉げた。

 直ぐさま、ハンナを自分の方に向かせようとするが、彼女はベルティーナの腕から離れ、女王に向かい礼儀正しい一礼をしてみせる。

 無理をしているくらい目に見えて分かる。何せ、脚が震えているのだから。きっと、自分に突き付けられた無情な現実に必死に堪えているのだと……。

 それを察したのは、女王も同じだろう。何せ、あまりに浮かぬ表情をしていただのだから。

 断って欲しい。ベルティーナはそう願うが……。

「分かった。承諾しよう」

 穏やかに告げた女王の言葉に、ベルティーナは更に目を瞠る。

 なぜ断らないのか……どうして。

 途方も無い腹立たしさがベルティーナの胸の中で暴れ回った。しかし同時に、何故自分がこんなにもハンナの肩を持とうとしたのか、不審に思った。

 ……他人なんてどうだって良いではないだろうか。それも会って数時間の相手だ。

 あらゆる疑問が脳裏に巡り、ベルティーナはこめかみを揉む。

 だが、その答えが出たのは直ぐだった。

 ──この国に敗戦した異国の民。王城に仕える労働力……自分を育てた賢女と重なり合ったのだろう。十二歳の自分は、去り逝く賢女に対して何もする事が出来なかった。だが、今では十七歳。知恵も付き、幾分も聡くなったものだと思う。だからこそ、彼女を放っておけず、自然と肩を持ったのだと思しい。それにきっと、この男の使用人に関しても、上の者に命じられたのではないかとは推測は容易い。

 上とは……つまり、国を牛耳る存在だ。

 それを思った途端。ベルティーナの心の中には憤怒の炎が激しく揺らいだ。

 確か女王は言っただろう。「王と王妃はやはり来ぬか」と……。

 普通、娘の嫁入りともなれば王も王妃も顔を出す事が当然と思しい事だが、この席にベルティーナの両親は来なかった。それどころか、大臣など政に就く者をよこす訳でもなく、ただの使用人と騎士と魔道士だけが同席した。 

 自分は血の繋がる者に愛されてなどいない。”蓋をされた臭い物”──それは、自分が投げやりに勝手に思っていた事だった。だが事実なのだろう。

 ベルティーナは青筋の浮き立った額に手を当てた。

 戦争ばかり繰り広げては、領地を奪い。挙げ句の果てに翳りの国の報復を受け、呪われた王女を閉じ込めた。吸収した国の民を労働力としたが、さも簡単に切り捨てる。そうして王族達は享楽を貪り、のうのうと暮らして怠惰な生活。人の命を愚弄する。こんなふざけた国があって良いものか。

 ────この国は必ず報復を受けるべきだわ。いいえ違う。その報復を……私が下す。私を呪った妖精の言葉通りにしてやるべきだわ。それが、きっと私が生まれた意味。

 そう思ったと同時、ベルティーナの口角は釣り上がった。

 そうだ。翳りの国に赴き、自分はそこでせいぜい上手くやって行こう。そうして、必ずこの国の王族に復讐しよう……。

 ────必ず、必ず……滅ぼしてやるわ。この憎悪を晴らさなければ。

 呪うように心の中で独りごちて。ベルティーナが心の内でほくそ笑んだと同時だった。

「さぁ、もう話はついた事だ、長居するつもりもない」

 ──参ろう。と、女王の声に促され、ベルティーナは顔を上げた。

 ベルティーナの瞳には深く冷たい憎悪が揺らいでいる。だが、元より冷々としているのだからそれに気付く者は誰一人として居なかった。

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