土曜日は午前中に2つの講座を取っていた。
2限めは「神学入門」である。
実はステファノは、この学科を一番気にしていた。
何も知らないからである。
知らない以上、信仰心もない。それは神に対する「不敬」と言われないだろうか。
神に触れる機会のない庶民でありながら、ステファノがこの講座に登録したのには理由がある。
近い将来「神を知っておく必要」が生まれるのではないかと考えたからだ。
「神のごとき者」。
それがこの世界の法則を歪ませ、文明を停滞させているとすれば、いずれネルソンやドイルは
「神」とは何かを知ることが、「神のごとき者」を知ることに繋がるのではないかと、ステファノは考えた。
(俺にわかるものであるならば、だけど)
何とたったの3人しか生徒がいない教室に座りながら、ステファノは考えていた。
「私が神学入門を担当するマイスナーです」
神学というので、神父というのだろうか神職の人が担当するのかと思っていたら、ごく普通の服装をした男性が講師であった。年齢は40歳前後であろうか。
「ちなみに私は宗教者ではありません。神を信じてはおりますけれどね。それを広める立場ではないということです」
マイスナー先生はそう言って優し気に微笑んだ。
「しからば私はこの講座で何を教えるのか? それは1つの真実ではありません。『神』が存在することに疑いはありませんが、『神』とは一体何なのか? その問いにいろんな賢人たちが答えようとしてきました。中にはうまく答えられていないものもありますが、この講座ではそれらの『答え』を皆さんに知ってもらいます」
マイスナー先生は自分の胸に手を置いた。
「私には私の信じる神がおります。皆さんにそれを押しつけるつもりはありません。この講座では様々な考え方に触れることで、皆さんがそれぞれの『答え』を見つけるお手伝いをしたいと思っております」
「神はいないという答えを得た人に対しても、私は何ら差別をいたしません。それもその人にとっての『神』の在り方であろうと考えるからです。私の信じる『神』を誰も否定できないように、皆さんの信じる『神』を私が否定することはできません」
3人の生徒、その一人一人の前に立ってマイスナーは語りかけた。
自分の言葉が伝わったことに満足したのであろう。マイスナーは教壇に戻ると椅子に腰かけた。
「さて、皆さん方3名は魔術学科の1年生ですね。ご想像の通り、『神』の存在は魔術師にとって極めて現実的な意味を持っています」
「それは魔力の存在であり、魔術の使用ですね。魔術師でなくとも、ギフト持ちであればやはり『神』と向き合う日がいつかやって来るでしょう」
ギフトも魔力も、教会で与えられる。神の恩恵という形で。
ギフト持ちも神について学ぶべき立場にあるように、ステファノには思えた。
(なぜ、この講座には一般学科の生徒がいないのだろう?)
「この国での神学は聖教会抜きには存在しません。神の認識は初代法王聖スノーデンが聖教会を開いた時に始まりました」
(それにしても初代法王にして初代国王、聖スノーデンて多才過ぎじゃないのか? 超絶魔術師にして、神と対話できるギフト持ち、それに恐らく政治力もあったのだろう)
政治力がなければ王室や聖教会を600年続く盤石のシステムにすることはできなかったろう。
「当初神の声を聞くことができるのは聖スノーデンただ1人だったそうです。その後法王の座を譲る際に後継者に贈られた聖
(うん? それは「魔道具」じゃないのか? そしておそらくは魔力を必要としないタイプの)
「先生、質問しても良いでしょうか?」
「ああ、君はステファノ君だね。4人しかいない教室だからね。良いとも、どんな質問だね?」
「聖スノーデンが後継者に授けた聖
「ふむ。魔術師らしい質問だね。聖笏はいわば秘物であって一般には公開されていない。したがって学者が手を触れることもできません。本当のところはわからないのです。但し、血統的にギフトを持たない貴族からも法王が出ているところを見ると、聖笏とは魔道具である可能性が高いというのが通説になっています」
「仮に魔道具だとすると、それは聖スノーデンが作ったということになりますか?」
「それも仮説の一部ですね。可能性はあると思います」
「そうすると魔力を要しない魔道具はアーティファクトだけでなく、現代でも製作可能だということになりませんか?」
「ふふ」と楽しそうにマイスナーは笑った。
「仮説の上に仮説を重ねることになりますが、可能性としてはあり得ますね。面白いと思いますよ」
ことによったら「不敬だ」と叱られることを覚悟していたが、マイスナーは純粋に質疑を楽しんでいるようだった。
「さて、聖スノーデンは火薬を戦場から駆逐しました。それだけでなく、やがて成立したスノーデン王国では火薬を禁制品として厳しく取り締まったのです」
マイスナーによれば取り締まりは苛烈であり、火薬を製造、貯蔵、販売、使用した者は死罪に処されたと言う。取り締まりは火薬の使用目的を問わなかった。
たとえ、「平和利用」を目的としていても一切の例外を認めなかったのだ。
「なぜ、そこまで厳しく、徹底的に火薬を弾圧したのでしょうね? あなた、ローデシア君ですか? どう思います?」
「えっ? あの……」
ローデシアと呼ばれた女生徒は、答えが思い浮かばなかったのだろう。顔を真っ赤にしてうろたえた。
「慌てなくても結構ですよ。これは試験でもないし、評価のためのドリルでもありませんからね? あくまでも会話を進めるための思考実験です。思いついたことを自由に言って構いませんよ」
「君はどうですか、サイト君?」
「危険、だからじゃありませんか?」
サイトと呼ばれた男子生徒が、おずおずと答えた。
「はい。殺人兵器ですからね。危険であることに間違いはありませんね。その意味では、剣や、槍、弓矢も危険ということになります」
「で、ですが、火薬は一度に大量の人間を殺すことができたのでは?」
先程の失態を取り戻そうと考えたのか。ローデシアが自分の意見を述べた。
(少人数の教室だと、1人ずつ意見を言いやすいな。これはこれで良い点があるかも)
ステファノはこのやり取りがどういう方向に向かうのか、興味を持って聞いていた。
「一度に複数の人間を殺傷することができたのは事実です。ですが、『大量の』とまで言えるかどうか。学者の研究によると、威力を上げるためには大量の火薬を必要としたそうです。それを運搬し、埋設する手間暇を掛けたとして、そこに運良く大量の敵が現れてくれるとは限りません」
「戦国時代最末期には鉄の筒に鉛の玉を籠め、火薬の爆発力で飛ばす『鉄砲』という武器が開発されたそうです。これは遠距離攻撃に類まれな威力を発揮しましたが、それにしても一度に倒せるのは1人の敵に過ぎません。大量の敵を倒すためには、大量の兵士に大量の鉄砲を使わせる必要がありました」
(だとすれば弓と大きくは違わないか? 差が出るとすると、威力とか、射程距離だろうか)
「殺人兵器としての性能は、圧倒的に魔術の方が上でした。にもかかわらず、スノーデン王国において魔術が取り締まりの対象となったことは一度もありません」
アカデミー構内での使用禁止など、「安全上のルール」が設けられることはあった。しかし、魔術そのものが禁止の対象になったことはない。
「誤解を招かぬように言いますと、『魔術を使用した犯罪』はもちろん厳しく取り締まられました。しかし、それは『刃物を用いた犯罪』と同じ取り扱いであって、魔術そのものを取り締まるものではありません」
聖スノーデンは明らかに魔術を優遇し、火薬を敵視していた。それは一体なぜなのか?