「あなた。何か疑問がありますか?」
「俺、自分の師匠は瞑想中に何も考えるなと言いました」
「あなたの流派では丹田法を教えていましたか?」
「そうです」
件の生徒に近づいていたディオールはそこまで言葉をやり取りすると、教壇の前に戻った。
「何も考えないとは、どうするのでしょうね?」
生徒の顔を見ながら、右へ左へと教室を往復する。
「死んだ人間は何も考えません。瞑想をするとは死ぬということでしょうか?」
「眠っている人間は何も考えていません。眠れば良いのでしょうか?」
「机や椅子は何も考えません。『物』になれということでしょうか?」
「犬や猫は人間のように考えることはできません。『動物』は魔術を使えますか?」
ディオールは教壇に戻った。
「何も考えないとは、1つの考えにとらわれないということだと私は考えました」
「何かにとらわれず、心を軽くする。そうすることによって内なる自分と外なる世界を感じ、その間にある薄い、薄い壁を認識する。それが丹田法で言う『無心』の境地ではないかと思います」
(なるほど、あの時の瞑想方法に似ているかもしれない)
ステファノは自分の経験と重ね合わせてディオールの主張する説を聞いた。
「ですから、その『無心』の方法が観想法であっても問題はないと私は考えます。同様に観想を行う際に丹田式呼吸を行っても構わないはずです」
ディオールは両手を広げて、背筋を伸ばした。
「丹田法で結果の出ない者は観想法を試みれば良いのです。観想法で伸び悩む者は丹田法を学んでみたらどうでしょう? いっそのこと両方同時に行ってみたら? 両者の求めるものは1つなのです。魔力の制御、それこそが唯一の目的であるべきです」
(はあ。この先生、ちょっとお芝居がかっている? 流派の対立って根が深いんだな)
ステファノの立場では当たり前のことに思える。上手く行かないことがあったら他のやり方を試してみるのは当然ではないか? 焼いても美味しくならない素材なら、煮込んでみたらどうだ?
「最初から上手くできる奴なんぞいるもんか。みんな失敗して、それで工夫するもんさ」
バンスならそう言う。
ステファノは想像して、思わずくすりと微笑んだ。
「ああ、端に座っているあなた。前に出て来なさい」
クラスの中で目立ってしまったのだろうか、ディオールはステファノを名指しでクラスの前に誘った。
「そこに座って。あなた、名前は?」
「ステファノです」
「ステファノ、先程は観想法のポーズを取って瞑想していましたね?」
ステファノの様子を見ていたのであろう。両手を合わせるポーズのことをディオールは聞いて来た。
「他の人がやるのを真似てみました」
「魔術教師から習ったわけではないんですね?」
「あの、瞑想法は魔術教師ではなく、えー、昔修道院にいた人に教わりました」
マルチェルのことをどう説明したら良いか悩みながら、ステファノはそう答えた。
「そうですか。魔力は『火』と『水』の属性を出していましたね」
「はい」
余計なことを漏らさぬように、ステファノは聞かれたことだけを答えた。
「魔力を呼び起こすのに時間が掛かるようでしたが、いつもあんな感じですか?」
さて、何と答えたものかとステファノは考えた。これから先、徐々に実力の一部を示して行かないと単位はもらえないであろう。そうなると、あまり無能な振りをするのも問題がある。
「もう少し上手く行くこともあります。今日は緊張しているかもしれません」
田舎者らしく見えるという自分の外見を見れば、こんな説明がもっともらしく聞こえるのではないかとステファノは計算していた。
「そうですか。では、もう一度やってみましょうか? 先程説明した通り、瞑想とは脳の働きを活性化するための準備運動のようなものです。それを意識して、丹田法と観想法を同時に行ってみましょう」
そう言われてステファノはクラスの前で瞑想をさせられることになった。
「まず丹田式の呼吸を行いましょう。鼻から息を吸って、口からゆっくり吐く。流派によっていろいろ難しいやり方が派生しているようですが、ここでは効果だけを考えて『ゆっくりとした腹式呼吸』を丹田式呼吸と呼びます」
(ゆっくり呼吸しろということだな)
ステファノは言われた通りゆったりと長く呼吸を繰り返した。
「その調子です。それを続けて下さい。難しいことをする必要はありません。脳に十分な気を送ってあげれば良いのです」
10回ほど深呼吸を続けたところで、ディオールは次の段階に進むよう促した。
「良いでしょう。それでは胸の前で両手を合わせて……。ああ、あなたが『手袋をした生徒』ですか」
「はい。目立つ傷痕があるので学園内で手袋をする許可をもらいました」
「構いません。手袋をしたままでも観想はできますので」
ステファノは言われた通り両手を合わせる。
「そうしたら目を閉じて気持ちを静かに持って下さい」
目を閉じれば自動的に心が安定する。ステファノのイドはそこまでの訓練を繰り返してきた。
ただ瞑想しようとする生徒と、イドの存在とその機能を知って行うステファノとでは瞑想に対する理解がまるで異なっていた。
「ここからは観相法です。頭の中で丸い円を思い浮かべて下さい。わかりやすく満月が良いでしょう」
ネルソンにもらった遠眼鏡でステファノは何度も月を見た。肉眼で見るよりもはるかに大きく輝いて見える月を、頭の中でよみがえらせて観る。
「月の円、その内側があなたの領域です。満月の内側に心を満たして下さい。外の闇があなたを取り巻く世界です」
ステファノは「それ」を知っている。外に広がる世界と、内に広がる領域の接点を。別々の物であって別々の物でない、相互に呼び合う関係を。
「あなたの右手にとって左手は『外の世界』です。左手は右手を『外の世界』と感じます」
そう。
今、右手と左手は等しくステファノの一部であるが、その感覚は互いを「異物」と感じている。それが「素の感覚」における真実だ。
「内と外、自分と他者は境界によって隔てられています。しかし、その存在を感じることができるのです。その温度を、その硬さを、その脈動を感じるように『境界』に意識を集中して下さい」
右手と左手の間には手袋が仕切りのように存在するが、それは意味を持たない。内と外を分けるのは手袋ではない。「意識」そのものだ。
「右手と左手を合わせたあなたは、『内』と『外』を同時に感じています。両方の意識を備えています。『自我』と『世界』。あなたは同時にその両方であります」
ステファノの意識は『内』と『外』を目まぐるしく入れ替わり、やがて同時に両方であった。
「世界の中にあなたはあり、あなたの中に世界がある。月の外縁は仕切りではなく、世界とあなたを結ぶ『窓』になる」
「月であるあなたは外縁を通して世界を見る。月の外縁はあなたの窓である。その窓から自分自身を見つけなさい。あなたの一部である世界をその目で見なさい」
月は肉眼で見ると小さなコインだが、遠眼鏡の円い視野には存在感のある球体として映った。
外縁はコインの縁ではなく、球の表面だ。
ステファノの窓は平たい丸窓ではない。内部に浮かぶ自分を取り巻く透明の球であった。
前後左右上下、すべての方向が窓であり、ステファノの世界である。
「あなたの一部、親しい魔力を探しなさい。落ちついて見よ。あなたが探し回らなくても、魔力はあなたの一部であり、窓の中にあります」