「席につきなさい」
教壇から声を発した講師は、高齢の女性であった。
眼光鋭く、私語を交わしていた生徒たちを睨む。
不穏な気配を察し、生徒たちはそれ以上教室の空気を乱すことなく、席についた。
「この講義は『魔力操作初級』です。よろしいですね? 私が講師のディオールです」
白髪交じりの銀髪をきっちりとアップにまとめたディオールは60歳を過ぎていると思われたが、その立ち姿はしっかりしており、椅子にも座らずに講義を始めた。
「このクラスは全員が魔術科の新入生です。魔力操作の基本を学ぼうとする講座ですので、当然ですね?」
教室には9人の生徒がいた。新入生全体では60人であることを考えると、魔術科生徒の少なさが実感される。
単位習得を禁止されたジローの姿は見えないが、彼であればおそらくこの講義はチャレンジによって免除を受けられるであろう。
魔術科単位習得禁止とは重い処罰であるが、ジローのように優秀な生徒であれば2学期に取り返すことはさほど難しくはなかった。それにしても1学期を無駄に過ごすのはつらいことではある。
お貴族様の服装をした生徒は1人しかいなかった。魔術科の新入生は彼とジローの2人だけだったのだ。
それほど貴族における魔術師の比率は低い。
「あなたたちの中には既に魔力操作の何たるかを学んだことがある者もいるでしょう。その人たちにとっては、最初当講座の内容は繰り返しになるかもしれません。しかし、復習の機会だと考えて手を抜かずに取り組んで下さい。やる気のない態度は当講座では減点の対象となります」
ディオールの口調は淡々としていたが、その目は「言ったことはやる」と語っていた。実際にディオールの講義は魔術科各科目の中でも高い落第率を記録していた。
(見た目と口調は違うけど、近所のロザンナ婆さんに雰囲気が似てるな。お裁縫を習っている時に気をそらしたら、物差しで手を叩かれたっけ)
「さて、この中で既に魔術を発動できるものはどれだけいますか?」
ディオールの問いに答えて、手を上げたのはステファノを含めて7人であった。貴族の少年も手を上げている。
「結構です。残りの2人も気にする必要はありませんよ。ここでは皆等しく魔力操作の基本を学んでもらいます。アカデミーに入学できたということは何らかの形で魔力の発現が出来るということですから、まったく問題はありません」
ディオールは魔術行使ができないという2人を教室の前に呼び、現在できる魔力の発現を行わせた。
どのようなことができるのかを見た上で今後の指導方針を決めるという理由であった。
「最初に言っておきますが、当教室では魔力を練ります。制御を誤って魔術が暴発することがありますが、それは罪には問われません。正常な授業の範囲であれば問題はありません。したがって、多少の危険も伴いますので、次回の講義からは魔術訓練場に場所を移して講義を行います。よろしいですね?」
(確かに魔力を練っていたら術が発動してしまうことはありそうだ。込める魔力の量に気をつけないと)
2人の生徒は1人ずつ魔力の発現を行って見せた。
それぞれに流儀があるらしく、何やらいかめしい呪文を唱えていた。「魂の内なる力を解き放て」というような言葉であった。
1人目の生徒は女性で、しばらく目を瞑って集中していたが、合わせた手のひらに魔力が集まって来るのがステファノの眼に見えた。
橙と緑の光が混ざり合っているところを見ると、「火」と「水」の属性が現れているらしい。
「結構です。『火』と『水』の魔力が現れていますね。師についていたことは?」
「はい。この1年ほど魔術教師をつけていました」
「属性について何か言っていましたか?」
「魔力の動きは感じるが属性については定かでないと言っていました」
魔術教師と言っても全員が魔力を見ることができるわけではない。ディオールは『見える人間』の1人であるようだ。ステファノやドリーのようにギフトによるものか、それとも魔術に含まれる技術なのか。
「まだ魔力の動きにムラがありますが、流れを制御できるようになれば魔術の発動に至るでしょう。このクラスでしっかり魔力制御を学びなさい」
「はい。ありがとうございます!」
ディオールの言葉を抱きしめるように女子生徒は席に戻った。魔術師になりたくてアカデミーにやって来たのだ。その可能性があると言われれば嬉しいのは当たり前であろう。
もう1人は男子生徒だった。
「うおおおおおー!」
こめかみに血管を浮かせて力んでいたが、魔力はちらりと時折閃く程度にしか集まらない。
(あんなに騒いでいたら集中もできないんじゃないかな?)
見ているステファノが心配になるような力の入れ具合だった。
「止め! 微弱な魔力が見え隠れしていますね。あなたは初級魔術者で終わる可能性が高いです。もしもあなたの望みが中級以上の魔術師になることでしたら、早めに諦めてアカデミーを去ることを勧めます」
「そんな! まだ入学したばかりじゃないですか?」
「もちろん決めるのはあなたです。魔力制御のやり方はこの講義で指導します。その上で魔術の発動ができるか、どの程度の術が使えるかを判断する時が来るでしょう」
ディオールの言葉は厳しかったが、それはすべての魔術科生徒が直面するかもしれない試練であった。
ステファノから見てもこの生徒の魔力は貧弱であり、物にならない可能性を感じた。
それを知っておくことも「心の備え」として必要なのかもしれない。
「他の皆さんも他人事ではありません。魔力の質と量は与えられたもので、努力しても変えることはできません。せいぜいよりスムーズに術を発動できるようになるだけです。それを踏まえて、自分はどのように魔術を生かして生きて行くべきかを考えなさい」
一見突き放しているように聞こえるディオールの言葉は、生徒に覚悟を求めるものであった。
生半可に期待を煽れば、若い心は挫折した時の失望に耐えきれず折れてしまうかもしれない。
そういう実例を何度も見て来たのであろう。
(俺はもう料理の道で一度挫折しているからな……。才能の有無は努力で埋められないこともあると思う)
「それでは他の人の魔力も見せてもらいます。残りは7人ですので、3つのグループに分けましょう。あなたとあなたが1番め、あなたとあなたが2番めの組、そちらの3人が3番めです。席に座ったままで結構ですから、グループごとに魔力を練ってみて下さい」
ディオール先生は席の近い者通しをペアにしてグループ分けをした。最後のグループだけは3人組である。
ステファノはここでも端の席に座っていたので、最後の3人組の1人であった。
(他の組を見て調子を合わせよう。目立つのは面倒だ)
1組目は男女のペアだった。男子の方が例のお貴族様だ。
ディオールの指示を受けると、2人は慣れた様子で目を閉じ、瞑想に入った。
数秒後、男子生徒が顔の前で合わせた手のひらに魔力が集まり出した。光の色は「緑」と「藍」であった。
彼は「水」と「風」に適性があるようだ。
遅れて数秒後、女子生徒も魔力を集め始めた。彼女は右手の指を2本立てて、胸の前で前方に差し出している。その指にテントウムシが
光の色は「紫」であった。彼女は「光属性」の持ち主だ。
ジローと比べると2人とも光の量が乏しい。
(あれが普通なんだろうか? だとすると、相当魔力を抑えないと)