一般科と異なり、魔術科の生徒はほとんどが平民である。
これは貴族の間ではギフトの発現率が高く、魔力の発現率が低いためだ。
ギフトと魔力の両方を持つステファノのようなタイプは、極めてまれな存在であった。
(食事の時にでも平民生徒に声を掛けてみるか? あまり目立ちたくはないけれど)
服装や振舞い方から平民を見分けるのは容易い。上級生と新入生もわかりやすい。
平民出身の新入生を選んで声を掛けることはできるはずだ。
平民の生徒で一般科に入学する者は少数派である。
(そのせいでスールーさんたちは仲間が見つからなかったのかもしれないけど)
平民を選べば、8割方は魔術科の生徒だろう。その中から「技術に詳しい者」をどうやって探し出そうか。
(あ、そうか! 授業の時に見つければいいんだ)
月曜2限めの「薬草の基礎」、火曜3限めの「調合の基本」、木曜3限めの「工芸入門」。
これらの授業に出て来る新入生なら、少なくとも技術に興味を持っているはずだ。
その中で「情報革命」の話に載って来そうな生徒を探せば良い。ステファノはそう方針を決めた。
方針さえ決まれば後は行動あるのみであった。ステファノは悩みをすっきり忘れることができた。
この切り替えの速さと思い切りの良さがステファノの特長であった。
頭を空っぽにして筋肉や腱を解している内に、ミョウシンが時間通りにやって来た。
「早かったのですね」
「今来たところです。美術の授業が早めに終わったので慌てずに来られましたよ」
「えと、その恰好で授業を受けたのかな?」
仔細に見れば道着の袖口に色が変わったところがある。同じ黒でも、墨染の色と木炭の粉では色づき方が違うのだ。
「はい。やっぱり画材で服が汚れる授業でした。黒い道着を着ていて正解でした」
「先生は何か言っていましたか?」
「服の上から着るスモックを配ってくれたのですが、俺には必要ないかと確認されました」
ミョウシンは頬をぴくぴくさせながら、笑顔を保った。
「そ、そう。先生が良いと言われたのなら問題ないですね」
2人は運動場の周りを走って体を温め、室内訓練場に場所を変えて関節、筋肉、腱などを解し、稽古を始める準備をした。
「うん。ステファノは体幹がしっかりしていますね。何か鍛えていましたか?」
「1ヵ月くらいは走って、演舞をして、たまに組み手をしてという毎日でした。それ以前は水汲みとか、皿洗いが主ですね」
「水汲みが鍛錬ですか?」
顔を洗う水くらいしか汲んだことのないミョウシンは不思議そうにステファノを見た。
「はい。毎日水瓶を一杯にするのはとっても大変でした」
「そ、そうでしたか。まず、受け身から始めましょう。覚えていますか?」
ミョウシンは見本を見せたのは昨日のことなので、もう一度やって見せるつもりでいた。簡単なように見えて受け身には独特のコツがある。
「はい。一度やってみます」
しかし、ステファノは不安げな様子も見せず、確かな歩みで動き出した。
右手の指先から側面を床につけて、背中から身を投げ出した。
昨日見た前回り受け身である。
(ん?)
やってみると、「自分が動く」というよりも引力が体を持って行くという感じであった。
(これは右手を取られて投げられた状態か。体の力を抜けば良いというものでもないな。大きな毬か、輪のようなものになって体全体で衝撃を分散するイメージか?)
自分の足で立って動く「型」や「套路」とはまた違う体の使い方であった。
違和感を修正し、今度は左手を突いて前に回る。
設置面が手先から腕を経由して、肩、背中、腰、そして脚へと入れ替わっていく感覚をステファノは前転しながら噛みしめた。
「そうです。上手いですね。本当に初めてですか?」
「見よう見まねです。大きく回るにはコツがありますね?」
驚きながらミョウシンが褒めると、ステファノは照れ隠しに頭を掻いた。
横受け身、後ろ受け身、前受け身と続けて行く内に、ステファノはふわりと体が浮く感覚をより深く味わっていた。
(これは引力、「土魔法」の領域か?)
そう想いを巡らせると、イドの繭は自然と「青」の色を帯びる。魔術で言えば、魔力を練っている状態であった。
もし、ステファノがイデアを働かせれば、身体落下のスピードは遅くなり、着地の衝撃も薄れたであろう。
さらに強く
それは柔という術を修めた後に行うべき応用だと、ステファノは考えた。
第一、そこまでやってしまえば「魔術」か「魔法」の行使になってしまう。見つかれば処罰の対象となることであった。
纏うにとどめた「青のイデア」は設置の瞬間にクッションの働きをするくらいのレベルであった。
「ステファノには『見取り』の才能が有りますね。見たものを自分の動きとして再現する能力が高い」
「そうでしょうか? 料理は大して上達しませんでしたが」
「りょ、料理ですか? 料理は見ただけでは覚えられないのじゃないでしょうか。あ、味つけとか、何とか」
一定の決まった味つけや調理をするだけなら、ステファノは普通にこなせるのだ。
だが、そこから「普通を超えること」ができない。その日の天候や、客の体調、食材の性質、料理の組み合わせなど、毎日変わる条件に合わせて最適の答えを出すことができないのだ。
「器用貧乏」という言葉が自分の才能にはふさわしいと、ステファノは思っていた。
貴族のお嬢様であるミョウシンは料理のことなど、何も知らない。貴族の世界では当然のことでありミョウシン自身もそれで良いと思っていたが、アカデミーで平民の生徒と交わってそうではない世界があることを知った。
それは「見聞を広めて来い」と彼女を送り出した両親の狙いにかなっていたが、ミョウシン自身はアカデミーの他生徒と十分に交流を深めることができずにいた。
柔研究会は彼女なりの工夫だが、1年間入会希望者が現れなかったのであった。
平民であるステファノがともに修練に参加してくれることになったのは嬉しかった。同時に、世間のことを何も知らない自分の「狭量さ」を知られることをミョウシンは恐れていた。
「それでは、柔の立ち技について教えましょう」
「はい!」
「柔には投げ技、当身、締め技、
ミョウシンはステファノの正面に立ち、両手を出させた。
「普通は左手で相手の袖をつかみ、右手で相手の襟を取ります」
ステファノにも同じようにしろという。女性の胸倉をつかむのは気が引けたが、これは護身術なので遠慮を振り捨ててステファノは襟を取った。
「投げ技の種類は流派によって異なります。同じ技を違う名前で呼ぶこともあります。技は代表的な形に過ぎず、立ち合いの流れの中で適したたちを選ぶものだと考えて下さい」
それからミョウシンは「担ぎ技」、「腰技」、「払い技」などから代表的な投げ技の型をステファノに伝えた。
自分が掛けて見せ、ステファノに掛けさせた。
実際に投げるには、下が床の状態では危険が伴うため、マットを用意してからということになった。
「投げ技に共通したポイントに『崩し』という過程があります。重心の安定した状態の相手を投げることはできません。そのままでは倒れてしまう状態に相手を動かすことが、投げる前に必要な前提です」
そのためには袖をつかんだ「引手」と襟をつかんだ「釣り手」で相手をコントロールすることが重要であった。
そうかといって「腕だけで」相手を引っ張ろうとすればこちらの体勢に無理ができる。体全体で動きながら、引手と釣り手を働かせること。
そのバランスに極意がある。
「ふうん。突き詰めて言えば、『上を崩して、下を止める』ことですね。そうすると相手は倒れるしかない」
担ぐのも、腰に載せるのも、足を払うのも、相手の下半身を止めるためと言えた。下半身を止めて上半身を崩し続ければ、相手は落ちる。
後の区別は「どうやってその状態を作るか」の違いに過ぎない。
そう考えれば、確かに多くの技を知る必要はなかった。「崩して、止める」。投げ技とはそれだけのことであった。
「その通りです。現実にはそれが難しいのですが」
足運びは摺り足で、重心を崩さぬように……。
「そうか。『型』の動きを取り入れれば良いんだ」
「え?」