「え?」
「実力がばれたら、生徒全員で争奪戦になる」
「え? え?」
「それくらい変態」
ステファノには実感がなかった。この2人は自分に「実力」があると言っているのだろうか? まともな魔術も使えない自分に。
「では、ステファノ君の奪い合いですね、ここにいる3人で」
おとなしい顔のミョウシンがなにやら意味深なトーンで激しい言葉をテーブルに投げ出した。
「ふふん。3人での引っ張り合いなら、2体1でこちらの勝ちだろう」
「わかりませんよ? ワタクシには『柔』というステファノ君に差し出せるものがある」
どういうわけかステファノをめぐって「女の戦い」が始まっていたようだった。
いつそういうことになったのか、ステファノには見当もつかない。
そもそも「奪い合う」とはどういうことなのか?
「あの、僕の意思とかって……」
「ステファノ、無駄な戦いに挑むな」
「サントスさん」
おどおどするステファノに声を掛けたのはサントスであった。
「戦いは既に『論理』の地平を超えてしまった。何を言ってもお前は斬られる」
「斬られるって?」
「敵は抜き身を構えている。わからないか、ステファノ?」
サントスの言葉には、得体の知れぬ重さがあった。
「アイツらは既にお前を争っているのではない――」
「お前について争っているだけだ」
ステファノにはその違いがわからない。
「どこが違うんでしょうか?」
「……お前の『鈍さ』が羨ましい。一言で言えば、お前自体はどうでもいいが、手を出すなら覚悟しとけよというガンの飛ばし合いだ」
「凄く残念な気がしてきました」
「ステファノ、お前は正しい」
サントスとの熱い友情が芽生えかけた気がしたステファノであったが、良く考えるとこの人も同じ穴の狢だということを想い出して、ぐっと踏みとどまった。
ステファノとサントスが額を寄せて語り合う間も、「女の戦い」が続いていた。話は取り留めもなくぐるぐる回り、結局「ステファノは頼りないので先輩である自分たちが救いの手を差し伸べてやろう」という一見人道的だが極めて一方的で独りよがりな結論で合意した。
サントスが言う通り、ステファノ自身の気持ちに対する配慮はどこにもなかった。
後々冷静になってみれば、2人ともステファノに恋心などの思い入れがあるわけではなく、むきになる必要はどこにもなかった。しかし、事はテリトリー争いになってしまったのだ。
電柱の気持ちを考えて
極めて政治的な駆け引きの結果、曜日での棲み分けを原則とする合意が成り立った。
「火水木」はミョウシンがステファノの面倒を見、「月金土」はスールー・チームとの活動日とする。
日曜日だけはどちらかが権益行使すると争いの種になるという理由から、ステファノに自由行動をさせるという結論になった。
(わざわざ言われなくても、そもそも俺は自由なはずなんだけど)
(馬鹿だな、ステファノ。男に自由などない)
サントスが一見哲学的なことを言ってきたが、どうせ雰囲気だけの言葉だろうとステファノは相手にしなかった。ステファノの本能が「ダメな人間を手本にしてはいけない」と警告を上げていたのだ。
必ずしも納得のいく流れではなかったが、ステファノの週間行動予定はこのようにして大枠が決められた。
果たしてこれで履修科目の予習・復習、魔法の訓練、生活に必要な雑事、学校相手の手続きなどを十分にこなす時間があるかどうかステファノには自信がなかったが、とりあえずは走り出してみるしかなかった。
何しろすべてが初めてのことであったから。
こうして本人の意見を問われることなく、ステファノの1学期の生活パターンが決められたのであった。
◆◆◆
翌朝、日の出と共にステファノは寝台から降りた。汲み置きの水で顔を洗い、部屋着に着替える。
細かいようだが顔を洗う水にさえ魔法を使わず、井戸水を使うようステファノは徹底していた。
部屋の中のことなので、水魔法を使ったとしても誰にもわかりはしない。
だが、それを己に許してしまえばすべてのことに甘くなってしまう。禁止されている魔術を使ってしまうかもしれない。ステファノは自分に自信が持てなかった。
ならば許された時以外使わないと決めてしまった方が気が楽だ。ステファノの頭の中ではそういう決着がついていた。
飯屋の水瓶を満たす日課に比べれば、生活用の水を汲み置くくらい何でもなかった。
与えられている個室は広くはなかったが、型や套路を行うには十分な広さがあった。イドの鎧を纏いながらの演舞に加え、「
一通りの動きを繰り返して体が温まったところで、ステファノは一本の棒を携えて寮を出た。
人のいない運動場に出て、棒を構える。この棒は昨日訓練場からの帰りがけに売店で買ったものである。
モップの柄らしきものを120センチの長さで切ってもらった。
木刀と呼ぶには頼りない細さの棒を、ステファノは体の前に構えていた。同時にイドの鎧を纏い、棒にもイドをまとわりつかせる。
イドを青く染めれば土属性の魔力がただの棒を「引き締まった木刀」の重さに変える。手の内を間違えば手首を痛める程度には持ち重りするところまで。
身心一如の入り口を迎えたところでステファノは素振りを始めた。始めはすべての基本である「一刀両断」、すなわち上段からの唐竹割りであった。
正中線に沿って引力に逆らわず斬り落とす。もっとも自然で素直な一撃。振り終わりに重心がぶれたり剣先が流れたりしないよう、止めにも意を込めて、一振り一振りを丁寧に行う。
2秒に1本のペースで100本を行えば、既に汗が止まらない。
ステファノは手ぬぐいを細長く畳んで鉢巻きにした。
構え直して、今度は左右の袈裟斬りを交互に行う。これは右足を踏み込んで右袈裟斬り、左足を踏み込んで左袈裟斬り、左足を引いて右袈裟斬り、右足を引いて左袈裟斬りという流れを繰り返していく。4つの動作を50本ずつ繰り返せば全部で200本の斬り落としとなる。
続いて左右の横なぎを行う。これも運足と合わせて左右進退で計200本。
横なぎの後は下段からの逆袈裟斬りを左右進退200本。
総計700本の素振りを行うと、30分の時間が掛かった。全身汗みずくである。
ヨシズミから棒の扱いを習い始めた頃は素振り100本で息が上がっていたのであるから、長足の進歩であった。
ステファノは構えを解き、一旦息を整えた。
素振りの仕上げとして、「型のようなもの」でおさらいをする。ヨシズミは特に「型」というものを授けてくれなかった。ステファノは独習用の「教材」として、ヨシズミとの「申し合い」と「自由稽古」の打ち合いを脳内で再生しながらゆっくりとその動きをなぞることにしていた。
それがステファノにとっての「型稽古」である。
ここでは技そのものよりも、打ち合いの駆け引き、技から技への流れ、それぞれの技の意味などを考えながら体を動かして行く。
ヨシズミの側とステファノ自身の側、両方に立って立ち合いを眺めてみる。
素振りで発見した手の内のコツ、運足や体さばきのポイントなどを「型稽古」の中で見直し、「型稽古」で思いついた工夫を素振りで試してみる。
1時間の早朝稽古はあっという間に過ぎ去ってしまった。
(これにイドの運用と魔法行使が上乗せされたら、正に「千変万化」だ。やっぱり師匠はすごい!)
傍らの木はネルソン商会の中庭に生えていた物と同じ、コナラの木だろう。根元を中心にぱらぱらとどんぐりが落ちていた。
(師匠は
魔術訓練場を使用させてもらうことになったので、的を狙う稽古を気兼ねなく行えるはずであった。何よりも「元手がただである」ところがステファノの気に入った点である。
いそいそとどんぐりを拾い回っていると、部屋着のポケットがパンパンに膨らんでしまった。