「結果が出るのが早いですね」
「前々から相談していた話ですからね。条件が整えば認めるとは言われていました」
静かな口ぶりであったが、ミョウシンの口元には隠し切れない喜びが浮かんでいた。彼女にしてみれば1年越しの念願がかなったことになる。
「待て待て。さっきから聞いていれば、その『やわらか研究会』なる怪しげな集会は何だ?」
スールーが目を細めれば、サントスは前髪の奥でぎらりと目を光らせる。
「やわらかではなく『柔』ですよ。わたくしが武術を修めていることは良くご存じでしょうに」
幸いなことにミョウシンの育ちが良すぎて、スールーの下品なあてこすりが一切通じていない。
念願かなった嬉しさに舞い上がっていたせいもあった。
「聞いて下さい、ステファノ。室内訓練場の一角を割り当ててもらうこともできたんですよ」
「そうですか。雨の日でも稽古に不自由しませんね」
ステファノ自身は雨をあまり気にしない。毎日の水汲みに、晴れが好きだの、雨は嫌いだのと言っていたら仕事にならないからだ。
ただ、地面に転がることの多い柔の稽古に泥濘は面倒だろうとは想像ができた。
「そうだ。ミョウシンさんにも俺のカリキュラムを見てもらいましょう。これを見て、稽古のスケジュールを立てたいんです」
「いいですよ。もう履修計画を立てたのですね」
ステファノは1週間のカリキュラム表をテーブルに広げ、自分は学校どころか教育を受けるのが初めてなので、1学期は履修枠を少なくしたのだと説明した。
「うん。とても良いですね。基礎をきちんと学ぼうという姿勢が現れています。ん? この土曜日4限目の科目は?」
「ああ、それな。『万能科学総論』だと? こんな講義は見たことがない。今年から始まったのかな」
ミョウシンにつられてスールーも首を傾げた。
ドイルとの関係は秘密ではないが、進んで告げて回るようなものでもない。情実で単位をもらうつもりではないかと勘繰られるのも嫌なので、ステファノは口をつぐんでいることにした。
「俺は常識がないので、この科目で科学を学びたいと思って」
「ふむ。人を食ったタイトルだが面白い。ひょっとすると僕たちの研究に役立つかもしれないな」
「研究って、あなたたちがいつも語っている『情報革命』っていうテーマ?」
「モチのロン。講師はドイル? 去年までいなかった」
サントスの言葉を聞いて、スールーは「ドイル、ドイル?」と何やら記憶の奥を探しているようだ。
「それでですね。日曜を休みにするほかに、土曜日も稽古なしにさせてもらいたいんです」
「この4限目があるからね? 結構ですよ。他の日はどうしますか?」
「実は毎日午後6身から魔術の訓練をすることになりまして、柔は……3時から5時ではどうでしょう?」
「時間の方はそれで良いでしょう。曜日はどうしますか?」
カリキュラム表を見て悩んでいたステファノは、あることを思いついてポンと手を打った。
「火水木の3日間ではどうでしょう?」
「わたくしは構いませんよ。その日を選ぶ理由があるのですか?」
「はい。3限目に一般科目の授業が入っているので、終わるのが2時50分になります。それから室内訓練場に回れば丁度良いかと」
10分あれば教室からの移動には十分であろう。
「あら? 着替えの時間は?」
「そこなんですけど、
「何ですって?」
意味がわからず、ミョウシンは目をぱちくりさせた。
「科目を見て下さい。『調合の基本』、『美術入門』、『工芸入門』じゃないですか。いかにも
「そう言われれば……」
「だから、汚れても良いように最初から『道着』を着て授業に出ます」
道着を着たままで一般科目の授業を受ける? ミョウシンは自分の耳が信じられなかった。
「そうすれば服を汚す心配がありませんし、稽古のために着替える必要もありません。稽古後は道着のままで魔術訓練ができます」
ステファノにすれば一石二鳥ならぬ、一石三鳥のつもりであった。
「何ならずっと道着でも構わないんですが、座学の講義で道着姿というのは目立つかなと思って」
「想像を超えた変態がいる」
「
スールーにまで呆れられたが、ステファノは気にしなかった。むしろ得意気ですらある。
「身だしなみには気を使いますよ。道着は替えを3着用意して、毎回洗濯します」
「そういうことじゃないだろう?」
「目のつけ所が変態」
「あの、驚きましたけど素晴らしいですわ!」
「えっ?」
目を輝かせているミョウシンを見て、ステファノですらまさかと思った。
「これぞ正に常在戦場の心構え。平時にあって『乱』を忘れぬ心と受け止めました。見事です」
「それほどでも……」
「育ちの良い変態がいる」
ぽかんとしていたスールーであったが、驚きから醒めるとにやにやしだした。
「何だかんだ言ってアレだな。君たちはお似合いのコンビかもしれないね」
「そうですか? 確かにステファノは静かな中に武道の基礎を備えています。柔を学ぶにはぴったりですね」
「うん。天然が2倍になった」
スールーたちは盛んに冷やかそうとしているのだが、ミョウシンにまったく世間知がないために話が通じない。
改めて「女子」としてミョウシンを見ると、エキゾチック美人の部類に入るのではないかとステファノは思った。「少年」として見ていた時は「顔立ちの整った先輩」くらいに見ていたのだから、男とは現金なものだ。
短髪にアーモンドアイの組み合わせは小動物を想わせて、一種コケティッシュな魅力があった。
「ミョウシンさんは一般学科ですか?」
「はい。専攻で言うと薬学です」
「そう言えば、スールーさんとサントスさんの専攻って何ですか?」
「興味の持ち方がぞんざいだな。納得いかん」
「差別反対」
「僕が政治学で、サントスが技術学だ」
「驚いたか?」
「どう控えめに言っても、見たままだと思います」
ステファノはきっぱりと返事をした。
「ロマンのない奴だな。実は僕が軍事オタクの戦闘狂で軍事学にどっぷりはまり込んでいて、サントスは天才エロ画家で日夜裸の絵ばかり描いているとは思わないのかね?」
「先輩が言うと、そっちが本当かなという気もしますね」
「あくまでもフィクション」
「あら? サントス君て裸の絵を描いているんですか?」
「……かない」
「描かないそうだ。君が『お嬢様モード』を発動すると、急激にサントスの『人見知りモード』に火がつくので勘弁してやってくれ」
どうやらサントスがミョウシンと話すのはこれが初めてらしい。スールーやステファノとのやり取りに茶々を入れるのは平気だが、直接話しかけられると「地」が出るようだ。
どうやってスールーと親しくなり、心を許したのだろう。ステファノはそのことが不思議だった。
「サントスさん、スールーさんはまったく平気なんでしょう? どうして心を許したんでしょうね?」
「ステファノ、君はときどきとてつもなく失礼なことを普通の感じで言うよね」
「スールーは……見たまんま」
(あ、そうか。サントスさんも「見える人」だった。こういうのは「微妙な」話題だよね)
もしも他人の振る舞いが、自分に見えている本音と違うものだったら。それは……そんな相手とはつき合えないだろう。話をするのはつらかろう。ステファノはそんな想像をしてみた。
「あれ? 僕のことも平気なんですよね?」
「ステファノはちょろい」
「『雑魚感』が半端でないらしい」
「騙されてるのにお礼を言いに行くタイプ」
「チームに入るの止めようかな?」
ステファノは白い目で2人を見た。
「あれ、皆さんで何かのチームを作るんですか?」
「まだ決まってはいないが、ステファノを研究報告会のメンバーに誘っている」
「え? まだ授業も始まっておらず、実力もわからないのにですか?」
ミョウシンは至極まっとうなことを言った。本来この時期に研究報告会のメンバーを募ったりはしないものだ。新入生の人となりが見えて来る2週目以降が普通であろう。
「実力がわかってからでは遅いんだよ、この子の場合」
スールーが訳知り顔に言った。