「何だ、これは? 単なる偶然?」
たまたま「ん」をつけ足したら、「あ」が前についていただけかもしれない。
「あ」で始まって「ん」で終わる。「あ」で始まって「ん」で終わる。
「あ」と「ん」。
「そうだ。辞典で調べ物をしようと思っていたんだよね?」
ざわつく心を抑えてステファノは朝食を食べた。ケントクには悪いが、ゆっくり味わう心の余裕がなかった。
朝食後、書斎に上がったステファノは早速辞典を引っ張り出した。ずっしりと分厚く重い辞典を机に置き、答えを求めてページをめくる。
「『ん』……。一番後ろだよな」
調べてみたが、この場合に当てはまる「ん」の項目はなかった。
「えー? だめか……。意味ないのかなあ?」
「あ」で始まって「ん」で終わる。なぞなぞが辞典に載っているわけはないか……。
「そうか! 『あ』の方も調べてみよう!
「『あ』……、『あ』……、『あ』……。あった!」
そこには「
『サンスクリット語の第1字母。「
「『阿吽』って! 『ん』じゃなくて『
『サンスクリット語の最終字母。「阿」と「吽」で万物の始まりと終わりを表わす』
「あ」で始まり「ん」で終わる物。それは「宇宙」であった。
「『諸行無常』とはこの宇宙全体を指すのか! それがすべて幻想で、騙されてはいけないと?」
それでは「実体」はどこにあるというのだろうか。「物質界」が幻想だと言うならば、「精神界」であろうか。そのような世界があったとしたらだが。
「うーん。頭が痛くなってきた。こういうことはドイル先生に聞いた方が良いな」
そう言えば、あのノートや研究メモにヒントはないのだろうか? ステファノは調査の力点をドイルの残した研究記録に移すことにした。
◆◆◆
「けちょんけちょんだな……」
ドイルの研究論文を読んだステファノの感想はまずそれであった。
論文の大半は、魔術学会に対する批判であった。魔力や魔術という物を説明する理論(ドイル自身は「いかさま」と呼んでいたが)を、1つ1つ否定する内容にページを割いている。
「魔力とは神から授けられた力である」と言えば、「神を連れて来い」と言う。
「精神力だ」と言えば、「馬鹿でも魔術を使えるのはなぜだ?」と問い返す。
「貴族の血が伝える力だっていう説はそもそも無理だよね。平民の方が魔術師をたくさん出しているんだから」
ネルソンから聞いた通り、魔術界側の「説」は「説」とも言えないお粗末な内容ばかりであった。否定したくなる気持ちもわからなくはないが、それにしても容赦がなさすぎるとステファノは思った。
貴族を恨むドイルは、どうも魔術学会の貴族派を特に目の敵にしているようであった。
魔力の由来を神や自然に求めようとする「平民派」に対して、「貴族派」は「血統」を根拠にしていた。
その最も典型的な「理論」は、「魔力とは血統によって与えられるものであり、それが『正しく』現れたのが『ギフト』である。不完全な『ギフト』しか持たぬ者、および『ギフト』を持たない者でも発動できる『劣等な魔力』が『魔術』という物である」という考え方であった。
要するに「貴族至上主義」であり、「ギフト至上主義」なのである。これに最も強くドイルは反発した。
「生まれ育ちを考えるとね。貴族嫌いになるのはわかるけども。それにしても……」
相手が悪い。
魔術学会でも「権力」を握っているのは貴族派であった。社会の構造、権力の所在がそうなっているのであるから、避けられない話である。魔術師そのものが貴族に「飼われて」いるのだ。
そんな環境で貴族と喧嘩して生きて行けるわけがなかった。
平民のステファノから見ると、どうしてお貴族様に喧嘩を売るのかが理解できない。
「気に食わない」からと、天気に喧嘩を売る人間がいるだろうか?
ステファノが感心したのは、ドイルの合理的思考法と反骨精神であった。そして、そんなドイルを受け入れたネルソンの度量の大きさに改めて敬服した。
「これ、ギルモアのお家は認めていたのかなあ。そうだとすると、「変わり者」は集まる人もそうだけどギルモア家自体のことじゃないかな?」
ネルソンとソフィアの人となりを見て来たが、お貴族様とはあんな人たちが中心だとは思えなかった。
「そんなことより、大事なのはドイルさん自身の理論なんだけど……」
研究論文は未完で終わっていた。魔力の由来についてはその可能性が示されているのみであり、検証も追試もできていない。
ドイル自身が激しく非難する「言いっ放し」の状態で終わっていた。
「先生自身は魔力を感じ取れないそうだから、どうにもならなかったのかなあ?」
いかんせん協力者が得られなかった。ドイルとつき合うには、魔術界を追放される覚悟を必要としたのだ。
魔術とかかわりを持たぬネルソンだからこそ、ドイルを受け入れて平然としていられたのだった。
魔術師の一部はネルソン商会の薬種や錬金素材をボイコットする動きを見せたが、主流とはならずに終わった。「ギルモアの獅子」に牙を剥く勇気がなかったのであろう。
「『魔力はこの世のものではない』。それが結論てことになっているけど。じゃあ、どこにあるのかって話だよね?」
「この世の外」を認めないと、ドイルの説は成り立たない。それはどこにあるのか? どんな世界か?
観測ができない以上、論は進められず、論文は立ち往生で終わっていた。
ドイルが提示できたのは純粋なる「仮説」までであった。
魔力が存在するのはこの世、すなわち物質界ではない。概念のみが存在する世界、「イデア界」である。
磁石が互いを引きつけるように、「イデア」と「イデア」の間には互いを引きつけ合う力が働いている。
それが魔力であると。
そこから先は「論文」には書かれておらず、断片的な「メモ」に思考実験のように走り書きされていた。
順番も定かでないメモを食い入るように見つめて、ステファノはドイルの思考をなぞろうとした。
「ろうそくが燃える絵。真ん中に線があるのは「世界」の境目だろう。「物質界」には「ろうそく」と「種火」、そして「炎」がある。「イデア界」には……何だろう……「ろうそくの概念」と「カッコに入った火」……「火の概念」かな……「熱の概念」?」
メモの絵には3つめの図象がある。2つの図象の下側中央に「イデア界」の「熱」と「物質界」の「炎」が矢印で引っ張られて「炎」となっている。
「魔術の図解……なんだろうね。何もない場所に「炎」を生み出すってことか?」
仮説として考えれば、「イデア界の概念を操作するとその結果が物質界に反映される」というシナリオなのだろう。そこまでは良しとして、それをどうやって行うのかが問題である。
「待てよ。俺はもう魔術が使えるじゃないか。『炎』をどうやって生んだ?」
「始原の光」を偶像として存在の中心に置いた。「中心」とはどこだ?
体の中心ではない。
「精神の中心であるならば、それは『イデア界』にあるはずだ。『イデア界』には物質的な距離はない。中心とはどこでも良いはずだ。
「それから……偶像に成句を捧げて祈った。エバさんの真似をしたから『炎』の生成を願ったんだ。
「そうしたら赤い光紐が渦を巻いて……いや、始原の魔力が渦を巻いて、橙の魔力を生み出した」
あれが火属性の魔力であろうか?
「最後に『炎よ、来たれ』と命じたら、炎が出た」
ろうそくも熱もない場所に、炎が灯った。この「物質界」では。
「イデア界」ではどう見えるか? 元々イデア同士の間に距離はない。場所の属性もない。
ならば、「ろうそくのイデア」と「熱のイデア」が「ここ」にあっても良い。
いや、「結果」だけをここにおいても良い。「イデア界」であるならば。
「『物質界』と『イデア界』を結ぶことができたなら、『結果』を『ここ』に持って来ることができるかもしれない」
「有為の奥山 今日越えて」
物質界を超えてイデア界に知覚を及ぼすということではないのか? 「奥山」とは存在の中心か。
「あさきゆめみし ゑひもせす。ん」
「阿吽」の間に「宇宙」がある。それが「イデア界」か。ならば――。
「『あ』と『ん』の間にある字句が『イデア界』を表わすはず。それは『さきゆめみし、ゑひもせす』だ。
「『さきゆめみし』は『先夢見じ』か? 『ゑひもせす』は『酔いもせず』? 『酔う』がわからないなあ」
ステファノはもう一度辞典を開いた。他の意味はないのだろうかと、指先でページをなぞった。
「『ゑ』、『ゑ』……。何々、『うゑ』が短くなった物? 『飢え』か! だったら、『ひ』は『
「『先夢見じ
ステファノの