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第60話 黒い兄妹。

「遥かな東国、いにしえの戦略家の言葉だそうです。たとえ勝っても武力による勝利は犠牲を伴う。目的を見間違えてはいけません」


 この言葉には後半がある。


「戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」と続く。


「ステファノ、わかるかね?」


 ネルソンは試すようにステファノに問う。


「敵の目的は婚姻の阻止です。ならば婚姻を成立させてしまえば、こちらの勝ちということになります」

「うむ。婚姻さえ成れば、敵には打つ手がない。すべては後の祭りだ」

「でも、首謀者を捕えて処罰しなければ……」

「ソフィー」

「……」


 懐かしい呼び掛けにソフィアは言葉を止めた。


「捕えれば斬らねばならん。王族殺しの罪だからな。だが、斬れば恨みが残る」

「……」

「一族郎党根絶やしにするか? それでは婚姻は流れ、国同士が敵となる」

「何も無かったことにするのですか?」


 頬を膨らませて、妹は兄を睨んだ。


「……一旦はな」


  えっという顔で、ソフィアは兄を見直す。


「さて、婚儀が整った後、どこぞの貴族の館で火事など起きてもわしらの知ったことではなかろうよ」

「……そ、そうですね。いたちの尻に火がついても知ったことではありませんね?」


 うわぁとステファノは内心悲鳴を上げた。この人達、笑顔で黒い話してるよ。


「やっぱり、貴族の家に生まれなくて良かったと思います」


 しみじみとステファノがこぼすと、兄妹は顔を見合わせて噴き出した。


「それはそれとして、ステファノ」


 真顔になったネルソンが言う。


公国あちら側の始末はそれでいいが、王国こちら側は無かったことでは済まされぬ」

「はい」

「現実に殿下のお体が害され、警護の人間は面目を失った」


 相手の裏をかいたからそれで良しとはならないのだ。


「表向きは『何も無かった』ことになる。殿下は食あたりで休まれただけだ」

「そうでしょうね」

「しかし、人の口に戸は立てられぬ。警護失敗は公然の秘密となるだろう」


 それではソフィアはともかく、まだ若いアランやネロの今後に差し支える。卑劣な陰謀のせいで2人が後ろ指差されるようなことがあってはならない。


「何よりジュリアーノ殿下がお心を痛められる」


 王族とはそういう存在なのだ。


「われらは裏で動く。お前の力を、事の始末に貸してもらうぞ」

「お兄様!」


 兄の意をすべて理解したソフィアは、自分への指示を待つ。


「ソフィア、お前には『主戦場』を任せる。ひと月以内に殿下の婚礼を纏めて見せよ」

「お任せを!」


 王族同士の婚礼を1か月で成立させるなど、無茶も良い所である。だが、宮廷内の人脈や画策であればソフィアの自家薬籠中の物であった。


「王妃様を引き込んでも?」

「良かろう。この手の話では女同士の協力に勝るものは無かろう」

「ふふふ……。何だかわくわくして来ましたわ。忙しくなりますから留守のことは頼みますよ、エリス」

「えぇー! わたし一人じゃ手が回りませんて」

「ならばギルモアから婆やを呼びましょう。表向きのことは婆やに任せれば大丈夫です」

「下働きは商会うちから出そう。プリシラなら丁度良かろう」


 とんとんと話が決まっていく。さすがは兄妹、息の合った動きであった。


「サー。わたくしの役目はどのような?」


 ネルソンの後ろからマルチェルが声を掛けた。


「そうですよ。マルチェルには鼬を懲らしめてもらうのでしょう、お兄様?」

「お申しつけとあらば、マム」


 マルチェルまで普段の態度とは変わっている。


「あら、いつからわたくしのことをそんな風に呼ぶようになったのかしら、マルチェル?」

「失礼致しました、リトル・レディ」

「良くってよ。わたくしを泣かせた鼬のことはお前に任せるわ」

「ミ・レディ。お嬢様を泣かせた……と」


 めきめきとどこかで鉄のひしゃげる音がする。ステファノが音の出所を探すと、握り締められたマルチェルの拳であった。


「サー。鼬めの始末はわたくしにお任せを」

「ああ。そうしよう。ついてはステファノにやってもらいたいことがある」

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