「それじゃあ、次の日曜日の夜、私も食肉倉庫の掃除に参加させて下さい」
ステファノはそう申し出た。
「構わねえと思うが、決めるのはケントクだ。挨拶ついでに頼んだらどうだ?」
「わかりました。それじゃあケントクさんの所に行きましょうか」
「この時間なら厨房だな」
(この子厨房には興味無さそうだったのに、結局行くことになったじゃない。何だかいい加減ね)
エリスとしてはどうしてもステファノが頼りなく見えてしまう。もっと細かく調べるとか、たくさん質問するものじゃないんだろうかと感じてしまうのだ。ソフィア様はこの子のどこを信用しているというのか。
ケントクはその名の通り東国出身者だった。50も半ばを過ぎており、ジョナサンなど餓鬼扱いされてしまうようだ。
「飯屋のせがれだぁね? 確かに貧乏臭い顔をしとるが。ひゃっひゃっひゃ」
歯が何本か欠けているせいか、ケントクは息が漏れるような笑い声をしていた。
「食肉倉庫見たろうが? どえれぇもんじゃろ? ひゃっひゃっひゃ。掃除がしてぇかね?」
ステファノが飯屋の下働きを長い間していたというのが気に入ったらしく、ケントクは機嫌よくステファノが掃除に参加することを認めてくれた。
「日曜日というと明後日ですね。その頃には殿下も随分回復されることでしょう」
「ふん、ふん。今日はお粥を食べられたで、回復は順調だがね」
となれば、月曜には肉を仕入れることになるだろう。
(その時が勝負だ)
ステファノは見えない敵との対決に身震いした。
相手は王子を殺しに来るのだ。人を殺して自分の目的を遂げようとする、その心の持ち様がステファノには理解できなかった。理解できないものは恐ろしい。ゲジゲジの裏側を見るような気持ち悪さを感じた。
巡回を終えたステファノはソフィアへの報告を済ませると、許しを得て館の周りを散策させてもらうことにした。
敷地を巡る小道はどこかへ通じる抜け道ではないため、納品の商人以外の通行は無い。人気のない道をステファノは館の裏手へと向かって行った。
ジョナサンが言った通り、道と塀の間には立木が無い。小道からは常に館の屋根が見えている。反対側は古い雑木林だ。間伐も行われていないのか、横に枝葉を広げた木が多い。
北側に近づくと湿気が増し、緑の匂いが濃くなったような気がした。遠くから鳥の声が聞こえる。あ、カッコウだ。
「さて、あそこが通用門だな」
門の付近では荷車を停めたり回したりするせいだろう。道の周りに草の生えていない円形の空間が広がっていた。
「ここには用が無いけど」
鉄格子の門扉越しに通用口の様子をちらりと見ただけで、ステファノは先へと足を進めた。歩数で距離を測るため、ゆっくりと進む。
「大体この辺だな」
石塀に遮られて館の下部は視界に入らない。右手に目をやると、小道の上まで枝を広げた広葉樹が目についた。
暫く枝ぶりを見上げていたステファノだったが、やがて雑木の根元へと歩み寄った。
「1歩森に踏み込むだけで、小道からは姿が見えなくなるんだな」
元から人通りはないが、仮に通行人がいたとしても余程近づかなければステファノの姿を認めることは無かったろう。
根元に座り込み、幹の周りを蟹歩きしながら舐めるように樹皮の様子を見る。
「うん?」
胸の高さほどの位置に、糸くずがついていた。少量で判別しにくいが、白ではなく、グレーか茶色のような暗めの色。
「この木で良いのかな」
納得したように頷くと、ステファノは目の前の木に登り始めた。ごつごつとした樹皮には瘤や枝の足掛かりがあり、苦労なく登って行ける。
地上3メートル程の所で太い枝が分かれて、小道の上に伸びていた。ステファノは枝の上を進んだ。
道の真上辺りで枝に跨ってみると、館の様子が丸見えであった。
「ここだね」
正面に見えるのは食肉貯蔵庫の換気口であった。