「ステファノ、これも洗っておけ!」
小さな飯屋の狭い厨房。そのまた狭い洗い場で、ステファノは皿の山と向かい合う。今掃除が終わったばかりだというのに。
「これだけの量――。
はあと大きなため息を吐き、ステファノはトボトボと井戸に向かう。何度も水を汲み上げては、大きな桶を満たしていく。
桶が一杯になったらそれを運んで
それを10回繰り返さなければ洗い場の
2つの桶を天秤棒で担ぐ。棒は肩に食い込み、一歩進むたびに骨と筋が
「しまった!」
気を付けているつもりだったが、石畳に足を取られて足首を捻ってしまった。たまらず膝をつき、桶の水を半分ぶちまけてしまった。泣きたい思いをこらえて立ち上がり、もう一度井戸に向かう。
1時間は経っただろうか。水瓶に水が溜まった頃には、ステファノは腕が上がらなくなる程に疲弊していた。足も腰もフラフラだ。
捻ってしまった足首もうっ血し始めていた。
一息入れなければ洗い物の山に立ち向かう気力も湧いてこない。
店を支度中にしたのであろう。昼の部の後の休みを取りに、亭主であり父親のバンスが厨房に入ってきた。
「何だ? まだ終わってねえのか?」
厨房の隅の椅子に腰を下ろすと、バンスは煙草を取り出した。
「水瓶が空だったんだ」
「それがどうした。水汲みにどれだけ時を掛けてんだ? 日が暮れちまうぞ!」
バンスは乱暴者ではなかったが、口も気も荒い。もたもたしていては職人は務まらない。そう言って生きてきた男である。
「大体おめえはだらしがねえんだ。ひょろひょろしてやがって踏ん張りもききゃあしねえ」
そう言われてもステファノには言い返す言葉もない。そんな元気もない。10程数えて
「夕方までには終わらせるよ――」
「しっかり洗えよ。客は待っちゃくれねえぞ」
煙草一服の休憩の後、バンスは夜の部の仕込みに入る。家族経営の大衆食堂だ。ダラダラする暇などありはしない。
バンスはそうして下働きからここまでやってきた。自分ができたことはせがれにもできるはずだ。それが当たり前だと思っていた。
筋肉が鉛になったかのような腕を動かして、ステファノは皿を洗い始めた。握力がまだ戻らない。危うく皿が掌をすり抜けそうになる。
「おっとっと! 危ねえ――」
ステファノは思わず冷や汗をかいた。
「おい、気を付けろ! 割った分はてめえの給金から引くぞ」
親子だからといってバンスは手加減しない。仕事に親も子も関係ないというのが、バンスの流儀だ。
それは当然だとステファノも思う。自分がしっかりすれば良いことなのだ。
更に小1時間も掛けて、ようやくステファノは皿の山を洗い終わった。
皿洗いが終わったら、今度は皿を拭いた布巾を洗って干さなければならない。しっかりやって置かなければ、次に使うとき自分が困るのだ。
洗い物がおわったら、店の片付けをする。テーブル・セッティングなどという気の利いたことは必要ないが、椅子を揃えたり、テーブルを
「親方、片付けが終わったよ」
ステファノの報告を聞いて、バンスが頷く頃には夜の営業が始まろうとしていた。
「良し。パンとスープの残りで飯を済ませておけ。十分で終わらせろ」
昼食なのか晩飯なのかわからない食事――冷めたスープの残りと固いパン――を無理やり腹に入れた頃には、「支度中」の札がひっくり返される。
後は昼の仕事の繰り返しだ。
いや、違った。夜は酔っ払いが出る分だけ昼よりも厄介だ。壊された食器を片付けたり、喧嘩の仲裁をさせられたり。運が悪ければ自分が殴られる。
「さっさと持って来い! この屑が! わざとらしく足なんか引きずってんじゃねえよ!」
紫色に腫れ上がった足首を冷やす暇もなく、ステファノは配膳を急ぐ。
言い訳したところで、殴られるだけだ。
深夜に店を閉め、奥の部屋で倒れるようにベッドに潜り込む頃には、ステファノはもう何も考えられなくなる。ただ休みたい。眠りたい。
「あーあ、明日が来なけりゃ良いのに――」
ステファノは毎晩そうやって眠りにつく。
毎晩だ。
ある朝目覚めた途端、心の底から思った。
「もう嫌、こんな生活!」
その日からステファノは生き方を変えた。
「俺は魔術師になって、自由に生きる!」
15歳になったばかりのその日から、ステファノは魔術師になるという目標にすべてを賭けた。