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四ノ章乃陸

「お前なにしてんの?」

 その日、雪葉ゆきはは登校時間になっても出ることはなかった。家にある狭い庭の一角。金木犀の植えられたその場所に、雪菜はひとり立っていた。

 聞き慣れた声のした方へ顔を向ける。門からひょっこり顔を出した京也きょうやがそこにはいた。

「…………」

 何も言わない雪葉を見て京也はずかずかと庭に入ってくる。白のカッターシャツに黒い半ズボン。背中にはランドセルを背負っていた。

 対する雪葉も白のカッターシャツにサスペンダー付の黒いスカートといった小学校指定の制服姿だ。足元の運動靴にはなぜか泥がついていた。その近くには赤いランドセルが置いてある。

「みんなもう行っちゃったぞ」

 言いながら近寄って来た京也はしかし、雪葉の頬に涙の跡を認めて足を止めた。よく見ると目も赤い。

「お前、ないてんのか?」

 傷つくことなど考えない子供の目で京也は雪葉を見つめてくる。よく言えば純粋で無垢。悪く言えば世間知らず。それ故に遠慮を知らない京也は心に思ったことを素直に口にした。雪葉の表情が歪む。

「……しんじゃった」

 雪葉が視線を落した。手に持った大きな赤い首輪へと。京也は少女の言葉に息をのむ。

「だれが!?」

「ペロ」

「ペロ? ……って、アイツしんだのか!?」

 京也の言葉に雪葉の目から涙が零れた。ペロとは雪葉の家で飼っていたラブラドールレトリバーだ。雪葉の生まれる前からいた家族で、少女にとって姉のような存在だった。

 京也も一緒に遊んだり、雪葉と散歩に連れていったことがあった。京也にも尻尾を振って近寄って来てくれる、人懐っこい犬だった。

「朝、おきたらもううごいてなくて……」

 雪葉はその場にしゃがみ込んだ。よく見ると雪葉の前方、金木犀の下には何かを埋めた跡があった。

「うめたのか?」

「うん。今朝早くにお父さんが、おはかを作ろうって」

 ラブラドールレトリバーと言えば大型犬だ。かなり大きな穴を掘らないといけなかったはずだ。時間もかかっただろう。靴についていた泥は雪葉も一緒に掘ったことを示していた。

「学校いかないのか?」

「……いきたくない。ここでペロの〝くよう〟……ひっく、する」

 雪葉は俯いたまま答えた。最後の方などは嗚咽に変わろうとしていた。

 京也はそんな雪葉をしばらく黙って見ていたがランドセルを地面に降ろすと雪葉の隣にしゃがんだ。

「……きょうちゃん?」

 その気配に気づき、雪葉がとなりにしゃがみ込んだ京也を見た。

「じゃあ、おれもいかない。いっしょに〝くよう〟とかいうのしてやる」

 そう言って京也は埋めた跡に向かって両手を合わせた。

「京ちゃん〝くよう〟できるの?」

「知らない。お前が知ってるんじゃないのか? 教えてくれたらそのとおりにやる」

「え……」

 雪葉は言葉に詰まった。本当は「供養」という言葉を知らない。

 ――庭に埋めて供養してあげよう。

 それは今朝聞いた父親の言葉。ペロの死体に泣きながらすがりつき、なかなか離れなかった雪葉に言った言葉だ。雪葉はそれをただ言っただけに過ぎない。

「なんだよ、お前も知らないのかよ」

「し、知ってるもん!」

 莫迦にしたような京也の物言いに、雪葉はむきになる。

「じゃあ、どうやるのか教えろよ」

「えっと、まずね。お参りするの」

 そう言って雪葉は両手を合わせる。片手には数珠のように首輪を持っていた。

「それはさっきやったぞ」

「いいからするの!」

 京也は渋々といった様子でもう一度手を合わせて地面を拝んだ。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………次は?」

 拝み始めて三十秒は経過しただろうか。しびれを切らしたように京也が訊いてくる。しかし雪葉は応えない。ただ黙って拝むのみだ。

「……おい」

「…………」

「……本当は知らないんだろ」

「…………」

 京也はやれやれといった様子で立ち上がった。そして地面に置いたランドセルを背負い直す。

 それを無視して拝んでいた雪葉だが、去って行く足音を聞いて慌てて立ち上がった。京也は背中を向け門へと向かっていた。

「……行っちゃうの?」

 雪葉の言葉に京也は足を止めて、面倒くさそうに振り向く。

「だってお前〝くよう〟のやりかた知らないんだろ? おれも知らないから何もできないし、ここいてもつまんない。なら学校に行く」

 それだけ言って、京也は門から出て行った。

 見えなくなる前に雪葉の視界がぼやけた。ひとり残されて悲しかった。涙がひとしずく頬に流れる。一緒に〝くよう〟していくれるって言ったのにいなくなった。

 雪葉の口から嗚咽が漏れた。

「うぅ。ひっく。京ちゃんの……えっく。ばか」

 泣き始めるともう止まらなかった。ペロがいなくなって悲しくて。京也に置いてけぼりにされたのが悲しくて。なにより京也に「つまんない」と言われたのが悔しかった。

 まるでペロの死を莫迦にされたように感じたから。

「……おい」

 どれくらい泣いていてのだろうか。雪葉は目の前に京也が立っていることに、声を掛けられるまで気づかなかった。

 泣くのをやめ、でもしゃくり上げながら雪葉は京也を見る。京也はばつが悪そうな顔をして立っていた。

「〝くよう〟って、お供えして〝めいふく〟をいのることだ……って母ちゃんが言ってたぞ」

「え?」

 驚いたような雪葉の顔。京也は伺うように門の方を向く。つられて雪葉も同じ方向を見た。

 門から少し入った場所に、京也の母親である芳江よしえが両腕を胸の前で組んで立っていた。怖い顔をして睨んでいたが、雪葉に気づくと一変。にっこりと笑う。

「お供えもの、なんかないのかよ?」

「お供えもの?」

「ペロがすきだった、たべものとか、おもちゃとか」

「ある! それがあれば〝くよう〟できる?」

「……ああ」

 雪葉は走って家の中へと入っていく。ペロといつも遊ぶときに使っていたボールがあった。最近はほぼ寝たきりになって使っていなかったが、ペロ専用のベッドに入れておいたはずだ。ボロボロになった野球のボールが。

 ほとんど動かなくなってからも、ペロはそのボールを見せると嬉しそうに尻尾を振っていたものだ。

「ちょっと雪葉!? あんたまだ学校行ってなかったの!?」

 リビングで家事をしていた雪葉の母親――利枝りえが言った。雪葉はそれを無視してペロのベッドへと向かう。そしてボールと手に取ると、再び外へと出た。

 その後ろを慌てた様子で利枝がついてくる。玄関を出た所で芳江と出会って会釈する。芳江も会釈を返し、視線で雪葉の行き先を示した。

 雪葉はペロを埋めた金木犀の根元に立っていた。その横には京也の姿。二人の母親は子供たちを黙って見ていた。

「ペロ。これ。だいすきだったボール」

 雪葉はしゃがんでボールを置いた。埋め直して色の変わった地面へと。そして横に突っ立ている京也を見上げる。

 京也は最初、雪葉の視線の意味が分からなかった。だがすぐに〝くよう〟の方法を訊いているのだと理解する。

 雪葉の横に同じようにしゃがみ、京也は手を合わせる。それを雪葉は真似をする。

「こうやって〝めいふく〟をいのるんだ」

「〝めいふく〟って?」

「えっと……しんだあと、さびしくないようにお願いするってことだ」

「え? ペロさびしいの?」

「そりゃさびしいにきまってるだろ。あいつお前のことだいすきだったから」

「ペロ……いなくなって、あたしもさびしいよ」

 雪葉の目にまた涙が溜まる。雪葉を見れば駆けてきたペロ。寝たきりになっても雪葉をみると立ち上がろうとしたペロ。思い出が雪葉に中に溢れてくる。

「お前はだいじょうぶだろ」

「京ちゃんひどい。なんでそんなこと言うの!?」

「だってお前にはおれがいるじゃん。おれたちともだちだろ?」

「え?」雪葉が驚いた顔で京也を見る。「京ちゃん、ペロみたいにあたしのことおいてかないの?」

「おいてくわけないだろ」

「京ちゃん、しなない?」

「しぬかよ、ばか」

「ほんとう?」

「ああ」

「おれはしなない。お前とずっといっしょにいてやる」

 雪葉の顔が明るくなった。ペロみたいにいなくなったりしない。死んだりしない。これで自分はさびしくない。

「じゃあ毎朝、京ちゃんがしんでないかかくにんしにいくからね!」

「なんだよ、それ」

 京也が呆れたように言う。だがその目は笑っていた。

「さぁ、ペロがさびしくないように〝めいふく〟をいのるぞ」

「うん。ペロにもむこうですっといっしょにいてくれる、ともだちができますように」

 雪葉は地面に置かれたボールに向かって祈る。その下にはペロが埋まっている。自分は大丈夫。もう寂しくない。だからペロも寂しくないようにお願いするのだ。

 雪葉は必死になって祈った。京也と二人で、ずっと。

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