小学一年生の時、写生大会で書いた絵が学校に飾られた。両親が二人揃って、すごく喜んでくれたのを
それから卒業までの六年間、慎二は何度か絵で表彰された。両親はその度に二人一緒なって喜んでくれた。
だから慎二は絵を描くことが好きになったのだ。
中学生になっても、慎二は絵を描き続けた。美術の成績は良かった。コンクールにも何度か入賞した。もちろん両親は喜んでくれた。けど一緒に暮らしてるのに、二人が一緒になって喜んでくれることはなくなった。
褒めてくれる時はいつもひとりずつ。両親が顔を合わせると必ず喧嘩していた。
時期を同じくして、慎二は学校でいじめらるようになった。絵が上手い慎二を好きだといってくれた女の子。その子のことが好きだった男子生徒が慎二をいじめた最初の生徒だった。
そして不幸なことに、その男子生徒はクラスの中でも発言権の強い存在だった。
最初は無視だけだった。けど直接危害を加えられるようになり、いつの間にか慎二は学校で孤立していた。
それでも絵を描いてる時は嫌なことを忘れていられた。
だから慎二は絵を描くことに没頭したのだ。
高校に入ってすぐに慎二は美術部に入部した。新しい環境で、自分のことを誰も知らない場所で、慎二は静かに絵を描きたいと願ったから。
「うわ。上手だね」
慎二が椅子に座ってスケッチブックを見ていると、背後から声が聞こえた。声の近さに驚いて大きく体を震わせる。そして声のした方へ振り向いた。そこには
「せ、
思いのほか近くに雪葉の顔があったので慎二は二度驚いた。思わず体を引いてしまい、手に持っていたスケッチブックを落とす。
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
そう言って雪葉は落ちたスケッチブックを拾った。それを慎二に手渡す。
「あ、いえ」
慎二はおどおどしながらスケッチブックを受け取った。
「すごい上手だったから、つい声かけちゃった」
雪葉がにっこりと笑う。屈託のない素直な笑顔。
それを見て、慎二が不意をつかれたような表情になった。いつ振りだろう。他人からそんな笑顔を向けられたのは。中学時代に自分に向けられていたのは、蔑みや莫迦にしたような笑いだった。それ以来、慎二は他人の顔をまともに見なくなっていた。
「
動きが止まってしまった慎二を、雪葉は不思議そうに見る。
「さ、作品展に何を描くかアイデア出ししてたんです」
言ってからしまったと慎二は思った。せっかく話しかけてくれたのに、これでは会話になっていない。慎二は焦った。すぐにフォローをしようとしても言葉が出ない。だってまともな会話なんてしばらくしたことがないのだから。
「へぇ。見せて貰っていい?」
「……はい」
それでも雪葉は笑顔で話を合わせてくれる。
「わぁ。色々描いてあるんだね」
スケッチブックをめくりながら雪葉が言う。その表情はページを捲る度に変わり、見ていて飽きない。
「こういうの、どうやって描くの? モデルさんがいるの?」
そう言って雪葉はあるページを見せてきた。そこに描かれているのはギリシャ神話のような女神をモチーフにした鉛筆画だった。微笑む女神を小さな天使たちが囲むその絵は宗教画のようにも見える。
「あ、えっと。想像です。衣装なんかはネットで検索した画像を参考にしましたけど……」
「すごい! 全部想像で描いてるんだ」
雪葉は素直に驚く。そこには裏も打算もなく、ただただ慎二の絵を見て驚いているのが分かる。
慎二は感動にも似た驚きで雪葉のことを見ていた。
雪葉はそれが当たり前の事であるかのように慎二のことを肯定的に見てくれている。そんな他人からの好意があまりに久しぶりで、思わず泣きそうになった。
(ああ。この人は純粋な人なんだ)
だから慎二は雪葉のことを好きになったのだ。
☆
最初に見たのは天井だった。乾いた匂いのする部屋。回りはカーテンで囲まれている。どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。
慎二は起き上がると、カーテンを引き開けた。その音に、机に座っていたいた養護教諭が振り向く。
どうやらここは保健室らしかった。
「目が覚めた?」
養護教諭は三十代半ばの女性だ。
「僕は……なんで?」
慎二の頭は混乱していた。自分はなぜ保健室にいるのだろう。そもそもそれまで何をしていたのだ?
「あら覚えてないの? 昼休憩に、倒れたって連れてこられたのよ」
「!
養護教諭の言葉に、慎二ようやく思い出したようだった。
「周防? ああ、君たちを連れてきた生徒ね」
「君たち?」
「君の他に四人ほどかな。君以外は歩いて来たけど……」
西條の取り巻きたちのことだと慎二は気づく。京也は慎二だけでなく他の四人も連れてきたのだ。
慎二は慌てたように室内を見る。保健室にはベッドは二つ。慎二が寝ていたのを除けば使われた形跡はない。そして室内には慎二と養護教諭以外、誰もいなかった。
「四人はそのまま早退したわ。君を連れてきた生徒の方は部活に行ったか、帰ったんじゃないのかな」
「部活? 今、何時なんですか?」
「午後四時よ。連れてこられてから、ずっと寝てたんだから。調子はどう?」養護教諭は近づいてきて、慎二の顔を覗き込む。「顔色は悪くないみたいね」
「……大丈夫です」
「そう。なら、わたしはちょっと職員室の方に行ってるから、何かあれば言ってきて」
大きな封筒を持って、養護教諭は保健室を後にした。
ひとりきりになった保健室で慎二は立ち尽くす。外から吹奏楽部の練習する音が聞こえてきた。そして窓から差し込む夕日。
「……負けたんだ」
慎二は完全に、昼間のことを思い出していた。かなわなかった。京也に勝つことができなかった。そればかりか自分を殺そうとした相手を、わざわざ保健室に運んだのだ。
完敗だった。
もう〝力〟を感じることはできない。慎二はシャツのボタンを外して、胸をはだけてみた。
埋め込まれていたはずのクリスタルはなくなっており、小さな傷だけが、その場所になにかがあったことを物語っていた。
(〝力〟がなくなったんだ?)
問いかけても〝声〟は聞こえない。
急に自分が矮小な存在になったように感じて、慎二は自らの肩を抱いた。
また戻ってしまったのだ。以前の自分に。何もできない自分に。
打ちのめされた気分になって、慎二の口から嗚咽が漏れた。