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三ノ章乃参

「あ、周防すおう、手前ぇ、待てよ」

 クラスメイトの田村たむらの声を背後に聞きながら、京也きょうやはグランドから最上段へ続く斜面を登っていた。

「やなこった。早く行かないと、ヤキソバパン売り切れちまうだろ」

「……別に食堂で食べてもいいじゃん」

 田村と並んで斜面を登っていた浜崎はまさきが、疲れたように言った。

「やだよ。絶対に食堂、混んでんじゃん。食堂で食ってたら午後の授業までに着替える時間ねーだろ」

 田村が言う。よく見れば、三人とも体操服姿だった。

「お前が言うか! 後片付け手伝ってやったから遅れたんだろ」

「浜崎の言うとおり」

 京也は背後に向かって叫ぶ。ひと足早く登りきりフェンスに開いた大穴を潜った。

 グラウンドから食堂と売店のある場所へ行く場合、斜面を登ってここから校舎裏を行くのが一番の近道だ。

 遅れて、田村と浜崎が穴を潜る。

「なんだよ、俺のせいかぁ?」

 二人はなんとか京也に追いつくと、校舎裏を走りだした。しばらくフェンス沿い進めば、あとは目的地まで一直線だ。

「他に誰がいる」と京也。

「右に同じ」と浜崎。

「ちぇ。二対一かよ」

 ふて腐れたように田村は言う。そして何か思い出したかのようにニヤリと笑った。

「そういや周防。今朝はどうしたよ?」

「なんだよ」

 京也は嫌な予感に襲われる。

「お前、芹沢せりさわと喧嘩しただろ?」

「……関係ねーだろ」

 京也の声は不機嫌だった。京也と雪葉ゆきはは同じクラスなのだが、今朝の一件以来ひと言も口を利いていない。京也がムキになっているせいもあるが、明らかに雪葉の方が京也を無視していた。

「噂になってるぜ。なんせお前ら、クラスの名物だからな」

「勝手に名物にするな」

 噂には必ず尾ひれがつくものだ。同じクラス内ならまだしも、他に漏れたときどんな話になっているかが怖い。

「実は、芹沢ってけっこう人気あんだぜ?」

 浜崎が言う。からかうような視線。事実彼は、この状況をおもしろがっていた。

「知るか」

「このまま喧嘩別れしないかって期待してるやつもいるんだよなぁ、これが」

「あのなぁ。俺たち別に付き合ってるわけじゃないんだって。それに雪葉と喧嘩なんて、珍しいことじゃないだろ」

「毎朝起してもらってて、何もないと思えってのが無理だっつーの。手作り弁当のオプションがないのが不思議なくらいだよ。なんでお前みたいなヤツに、こんなおいしい設定がついてんだろうね」

 浜崎は心底、羨ましそうに言った。

「……設定ってお前、ギャルゲーのやり過ぎ」

「はははは。確かに浜崎ならそうだな」京也の言葉を田村が肯定する。「でもお前らって不思議だよな。朝はいつも一緒に来るくせに帰るのは別だし、昼飯も別だし。仲いいのか悪いのか、よく分からんな」

「付き合ってるわけじゃないんだから、昼飯や帰りまで一緒じゃなきゃいけないこともないだろ」

「ま。〝きょうちゃん〟の言うことを信じればだけどな」

「浜崎、お前なぁ。そもそも喧嘩の原因はお前のDVDせいなんだぞ!」

「DVD……ああ! 〝資料映像〟のIカップセットか! なにお前、アレを見られたの?」

 更に面白いネタを見つけたと言わんばかりに、浜崎が食いついてくる。

「そうだよ! 引き出しの奥に置いてたのに、わざわざ取り出して、袋まで開けやがったんだよ!」

「そいつはお気の毒さま。けどお前も悪いんだぜ。スマホでエロサイト見ないって言うから、わざわざ貸したんだし」

「いや、俺は貸してくれなんて言ってねーし」

「でもお前、フツーに持って帰ったじゃん」

「うっ」

 押しつけられたとは言え、己の好奇心に負けて持って帰ったのは京也の意志だ。浜崎の反論にぐうの音も出ない。

「ふっ。愚かなり周防」田村が気障ったらしく言う。「我がAカップ党の資料なら嫌われることもなかっただろうに」

 制服の上から見た雪葉の胸がIカップには届かないと想像して、京也は一瞬そうかもしれないと納得しかけた。だがたすぐに、問題はそこではないと思い直す。雪葉の見たエロDVDのパッケージが微乳だったとしても結果は変わらなかっただろう。

「いや、エロDVDだったのがそもそも問題――」

 言いかけた京也の言葉が止まった。三人の進む先に生徒が倒れているのを見たからだ。いや正確には、地面に横たわって体を丸めてるというのが正しいのか。

「お、おい」

「怖い怖い。なにかのパフォーマンスか、あれ?」

 恐る恐るといった様子で三人はその生徒に近づいた。

 生徒は体を丸めたまま震えていた。目が虚ろで、なにやらぶつぶつと呟いている。

「おい、大丈夫か、一年?」

 制服についている学年章を見て田村が言った。肩に手を触れると、驚いたように上半身を起こし、尻をついたまま後ろに下がった。京也たちを見る目は怯えきっている。

「おい、こいつ大丈夫か?」

「莫迦。どう見ても大丈夫じゃねーだろ。俺、先生呼んでくる」

「あ、浜崎、俺も行く。周防はこいつを見ててくれ」

「ああ」

 二人の姿が消えたのを確認して、京也はその生徒に近づいた。男子生徒はますます怯える。

「来るなっ。時田ときた、来るなっ」

 そして緊張に耐えられなくなったのか、男子生徒が叫んだ。

「時田?」知っている名前が出てきて京也の足が止まった。「それは美術部の時田か?」

「時田? 時田! よるなっ、よるなっ!」

「おいおい。こいつイッてるぜ?」

 京也の影から声がする。

「分かってる。だが、まだ崩壊してない」

 鋭い京也の声。目つきも先程とは違う。

 京也は呼吸を整えて、内氣を体内に循環させた。それを指先に集め剣印を結ぶと、すばやく男子生徒の眉間に突き立てた。

 生徒の体が一瞬硬直する。そしてすぐに、ぐったりと倒れた。

「お前ェもお節介だねェ」

「黙れ」

 京也はしゃがみこんで、生徒の懐から生徒手帳を抜き出す。

「1ーB、相川あいかわ祥吾しょうご。あいつのクラスは……雪葉に訊かなきゃ判らないか」

 機嫌の悪い雪葉のことを思い出し、京也はため息をついた。


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