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二ノ章乃伍

「こら、ちィとマズってもうたな」

 蒼一郎そういちろうは夜の公園に立って頭を掻いた。

 混雑した街中に突如現れる空間。ちょっとした遊具とベンチとトイレがあるだけの小さな公園。回りを見渡せば、ビルや道路が望める。

 だが公園に立つ蒼一郎には道路を走る車の音も、夜に聞こえるはずの街の音も届いていなかった。この公園の中だけが防音ガラスで仕切られた空間のように静かだった。

「ご丁寧に、人払いの結界まで張っとるし。罠確定やな」

 風が吹いた。その風は蒼一郎の三メートル手前に集まり、風の中から男を生み出した。

「確か、〈風薙かざなぎ〉やったな。どこでヘマやったか、教えてくれへんか?」

 目の前の男を蒼一郎は見据えた。茶色のトレンチコートにソフト帽。ひと昔前の刑事ドラマに出てきそうな風体の男だ。

「コノ街ニツイテスグニ」

 男の声は不明瞭だった。おまけに妙な訛りをもった喋り方だ。

「そら、ショックやわ。こう見えても、尾行には自信あったんやけどなァ」

「貴様ナニ者ダ?」

「なんや、尾行に気づいとんのに、分からへんのか?」

「コノ街ノ護法師ゴホウシカ?」

 蒼一郎は人さし指を立て、チッチッと左右に振った。

「おしいけどハズレや。ワイも護法師やけど、管轄はちゃうねん」

「ソウカ……ナラ死ネ」

 そう言って男は地面に膝と両手をついた。体を縮め、苦しそうなうめき声を上げる。

「おいおい。死ね言うて、そっちが死にそうやん」

 男の顔に変化が現れた。口がせり出し、表面が毛に覆われ始めた。顔を先頭に前のめりになった体が膨れあがり服が破れる。同時に、男の素肌が毛に覆われた。

 数秒の後に、そこには白い毛並みの巨大な鼬が立っていた。その尾は鎌になっている。

「そういう仕掛けかいな」

 蒼一郎の手が懐へ潜る。それが合図だったかのように〈風薙〉が動いた。

 三メートルの距離を一気に跳躍して、蒼一郎へと襲いかかる。蒼一郎は後ろに飛んで距離をとり懐から取り出した符を〈風薙〉に向けた。

しょう!」

 掛け声と共に、符が雷撃に変じる。雷撃はまっすぐに伸びて〈風薙〉を撃った

 〈風薙〉は一瞬怯んだが、何事もなかったかのように再び間合いを詰めて来る。鋭い爪が、蒼一郎の腹を掠めるように薙いでいく。

「雷符がアカンなら、こいつでどないや!」

 素早く符を出すと、蒼一郎は地面に符を叩きつけた

「招!」

 符がある場所を中心に、幾つもの金剛石の刃が地面から伸びた。刃は〈風薙〉の足を一本捉える。〈風薙〉の動きが止まった。

「GURRRRRR」

 〈風薙〉はすぐに、自分の足を縫いとめている金剛石の刃に噛みついた。刃に亀裂が入る。そのまま無理矢理足を引っ張って〈風薙〉は刃を砕いた。

 その隙に、蒼一郎は二枚の符を取り出す。そして取り出した動作から一挙動で符を投げつける。二枚の符は時間差をつけ、生き物のように〈風薙〉へと向かった。

「招!」

 〈風薙〉の手前で一枚目の符が爆発する。爆発は小規模ながら、白虎の巨体をふき飛ばした。

「招!」

 僅かに遅れてやってきた二枚目の符が、炎へと転じ〈風薙〉を襲った。紅蓮の炎が〈風薙〉を包む。

 だが全てを焼尽くすはずの炎は突如乱れ、符を放った蒼一郎めがけてその触手を伸ばした。

「なんや!?」

 炎は慌て避けた蒼一郎の裾に燃え移り、あっという間に上着を飲み込んだ。

 地面を転がりながら、蒼一郎は器用に上着を脱ぎ捨てる。そして、素早く立ち上がった所を狙って炎の矢が襲ってきた。

 蒼一郎はそれを辛うじて躱す。

「他にもおったんかいな」

 休むまもなく炎の矢が飛んでくる。それを転げ回りながら躱し、視線だけで攻撃者のいる場所を探った。〈風薙〉を包んでいたはずの炎が、一つの生き物のように浮いていた。

 〈風薙〉が襲って来る。爆発と炎により、体のあちこちを損傷していたが、それでもまだ十分に動けるようだった。

 蒼一郎は符を取り出そうとして手に何も触れないことに気づいた。

「しもた。全部上着の中やった」

 完全に動きの止まった蒼一郎に〈風薙〉の巨体がのしかかる。このままでは確実に咽喉を喰い破られるだろう。牙が蒼一郎に触れる寸前――

 風を切って剣が飛んできた。

 剣は〈風薙〉の顔を斬り裂き、そのまま地面に突き刺さった。〈風薙〉が慌てて飛びのく。

鈴音すずねか!」

 蒼一郎は地面に刺さった剣を手に取った。

 両刃の真っ直ぐな長剣。長身の蒼一郎の首まで達するその剣は、古代日本の銅剣を思い起こさせる。だが、それよりも遥かに繊細な作りをしたその刃は、玉鋼を鍛えて作ったかのような輝きを放っていた。

「こいつと一緒のワイは強いで」

 蒼一郎が疾った。〈風薙〉を目指して突き進む。襲ってきた炎の矢はすべて剣で切り落された。

「GUOOOOO!」

 〈風薙〉が吠えた。その声が風を呼び、不可視の刃となって蒼一郎を襲う。

 蒼一郎は剣先を下にして、自分の体を刀身で遮るように振り回す。真空の刃のいくつかは弾かれた。しかしそれも完全ではない。すり抜けた真空の刃が蒼一郎の体を裂いてくいく。

 だが、蒼一郎の足は止まらない。

「甘いで!」

 走り寄った勢いそのままに、体を低くして右半身になり〈風薙〉の前に滑り込む。腰を落とし体を縮めるように、左右の腕を体の前で交差する。

 蒼一郎はそのまま渾身の力を込めて地面を掠めるように剣を真っ直ぐ斬り上げた。

 ――銀光一閃。

 剣の軌跡が刃となって〈風薙〉を切り裂いた。体の正中線を綺麗になぞるように、鎌の体が二つに割れる。巨体が重い音を立てて倒れる。

 軌跡の刃は〈風薙〉だけでなく、その後ろにあった炎の塊をも切り裂いた。

「くっ」

 霧散した炎の中から〈焔華えんか〉が現れた。腕に傷を負っている。

「いっぺんに二人お出ましとは、えらい歓迎ぶりやな」

「…………」

 〈焔華〉は黙って蒼一郎を睨み付ける。

「〈赤目〉に会わせてもらいたいんやけどな」

 蒼一郎は剣先を〈焔華〉へと向けた。〈焔華〉は刃を前にして不敵に笑う。

「?」

 蒼一郎が訝しんた途端、それは起こった。

 今まで静かだった公園に音が溢れた。車の走る騒音。夜の街だけが見せる猥雑な音の数々。

 結界が解けたのだ。蒼一郎の意識が一瞬逸れる。

 〈焔華〉はそれを見逃さなかった。自らの回りを炎で溢れさせる。

「くっ!」

 蒼一郎は自分の髪の毛を一本引き抜くと、口元に持ってきてふっと息を吹きかけた。髪は針のような鋭さで、炎の中へ入っていく。

 炎は〈焔華〉を包み込み、一瞬で消えた。

京坊きょうぼうにどやされんな」〈風薙〉の死体を見て苦笑する。「倒してもうたらいかんて、ジブンで言うとったのにな」

 死体は蒼一郎の目の前で塵となり、その姿を消した。

 ――リィィィィィン

 突然、涼し気な音を立てて剣が鳴った。

「…………判っとるがな。ちゃんと印は刻んどるから心配しィなや」

 蒼一郎は剣に話しかけている。

 ――リィィィリィィィィン

 また、剣が鳴った。

「せやな。はよう見つけたらな」

 蒼一郎の呟きは、街の音に掻き消された。

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