目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
一ノ章乃㯃

 授業をつつがなく過ごした京也きょうやは、ひとり帰路についていた。朝は雪葉ゆきはと一緒に登校するが、下校はひとりで帰るのが通例だった。

 京也は部活をしておらず、雪葉は美術部に入っているためだ。

 小高い丘の上に建つ涼観りょうかん高校から、京也の家は十五分ほど歩いた住宅街にあった。坂の下にある校門を出て、そこから国道を通り住宅街へと向かうのがいつもの帰宅コースだ。

 京也は国道沿いの歩道で、二人連れの男女とすれ違った。女性の方は男より頭一つ分低いが、どちらも長身だ。

「なんや、冷たいなァ」

 そのまま去ろうとした京也の背中に男が声をかける。京也は立ち止まって振り向いた。男を見つめる京也の目は鋭い。

 男は白のスーツをラフに着こなした、二十代後半の青年だった。無駄な贅肉もなければ、無意味な筋肉もない。ほどよく締まった体つきをしているのがスーツの着こなしからうかがえる。薄い色のサングラスの向こうから知的な視線が送られて来ていた。

 女の方はオフホワイトのスカートスーツを着ていた。黒い艶やかな長髪と、透けるように白い肌とのコントラストが印象的だった。上品な雰囲気の美女だ。

「せっかく昔なじみにうたいうのに、無視することはないやろ」

 どこか面白がっているような様子で、男が言う。

「人目があるだろ」

「別にええがな。一緒におんの見られたぐらいで、勘ぐるようなヤツはおらへんやろ?」

「……なんの用だ?」

 京也の声はあくまで冷たい。〈牙影がえい〉と接する時と同じ冷たさだ。

「そのとりつくしまのない態度はなんとかならへんのか。昔はもうちぃと素直やったのになァ」

 わざとらしいため息をついて、男は言った。

「用がないんなら、俺は帰る」

「おい、コラ。待てっちゅうねん」

 本当に背を向けた京也に、男は慌てたように声をかける。

「まぁ、ちィとばかし込み入った話になるさかい、どっか寄らへんか?」

 言葉は疑問形だか返事を期待していないのは明らかだった。その証拠に、男は京也を追い越して先に歩きだした。その後ろを何も言わずに美女が続く。

 京也は少しだけ眉をしかめたが、何も言わずにその後を追う。

 男はすぐ近くにあった喫茶店に入った。土曜日なせいか、そこそこの客入りだ。一番奥のテーブル席に、三人が陣取る。

「で、なぜアンタがこの街にいるんだ?」

 京也がそう切り出したのは、やる気のなさそうなウェイトレスが注文を取った後だった。

「もちろん、仕事や。本業のな」

「関西一帯を束ねる護法頭ごほうがしらが、わざわわ管轄外の街まで出向くような事件が? 俺は何も聞いていない」

「そらそうや。ワイが直々に情報持ってきたんやからな」

 男のものを含んだ言い方に、京也はいらつきを覚えていた。

「教えてくれるんだろうな」

「もちろん。せやないと、わざわざ京坊きょうぼうンとこに顔出さへんわ」

 昔の呼び名を出され、京也の眉が微かに上がった。男はそれに気づいているのか、ニヤリと笑いを浮かべる。

「その呼び方はヤメロ」

「水臭いこと言いなや。ワイと京坊の仲やないか。京坊がおねしょしたとき変わりに怒られてやったん、忘れたんか? あん時はワイも思春期やったさかいな。えろう恥ずかしかったで」

「…………」

 仏頂面になった京也を見て、男の隣に座っていた美女がくすりと笑った。上品な笑い方だった。自分のことを笑われたにもかかわらず、京也は思わず見惚れてしまった。

「そう言や、京坊はうたの初めてやったな。こいつは鈴音すずねや。言っとくけど、鈴音はワイのもんやからな。惚れたらアカンで」

 そんな京也の様子を見咎め、男が言った。その表情は明らかに面白がっていた。見惚れていたことを男に見抜かれて、京也の方はうろたえた表情を見せる。それを見て男は笑った。

蒼一郎そういちろう。あまり周防すおう様をからかわないで下さい」

 美女――鈴音がやんわりとたしなめる。

「まぁ、これがワイラらの挨拶やさかい、なんも気にすることあらへん。さぁ京坊おまちかねの本題に入ろうか」

 そのことについて京也に異論はなかった。目で男――蒼一郎を促す。

「〈赤目あかめ〉がまた動きだした」

 京也の表情が堅くなった。彫像のように無表情になり、息すらも止まっているように見える。

「間違いないのか?」

 しぼりだすような京也の声。右手は何かに耐えるように、ぎゅっと握られている。

「ああ。長老連中から連絡があった。〈赤目〉の仲間が〈遠見とおみ〉の連中の網に引っかかったんや」

「随分と懐かしい名前が出てきたな、オイ」

 京也とも蒼一郎とも違う声が聞こえた。京也の影が、濃く強くなっている。声はそこから聞こえた。

「〈牙影がえい〉か。久し振りやな」

「ケッ。手前ェが護法頭だと? あの青臭かったガキが、ずいぶんと出世したもんだな」

「相変わらず、口が悪いなァ」

 蒼一郎が苦笑する。

「〈牙影〉。お前は黙ってろ」

 京也の鋭い声が飛ぶ。

「おいおい。俺も当事者の一人なんだぜ? のけ者ってのはねェだろ」

「お前に聞く権利はない」

「かぁ――っ! ホント手前ェは可愛げがねェな」

「まぁ、そのくらいにしとき。〈牙影〉にも訊かなアカンことがあんねん」蒼一郎が二人の会話に割り込んだ。「なぁ〈牙影〉。お前確か、〈赤目〉の仲間を倒しとったな。どいつやったか、名前分かるか?」

「確か〈蛇土じゃど〉っていう野郎だ」

「倒したんは、そいつだけやな?」

「ああ。残り二匹は逃げたはずだ」

「となると、残りは〈焔華えんか〉と〈風薙かざなぎ〉やな。ワイが追っとったんが〈風薙〉やから、行方を掴んどらんのは〈赤目〉と〈焔華〉ちゅうことになるな」

「〈風薙〉とかって奴はもう、この街にいるんだな?」京也が訊く。

「それは確かや。〈赤目〉ともう一匹の方はまだ分からんけどな。せやけどワイはもう来とると思っとる」

「……〈風薙〉とかいうヤツは、何処にいるんだ?」

「それはまだ教えられへんな」

「なぜだ!?」京也の拳が机を叩く。「アンタは教えるために来たんじゃないのか!」

 店内の客が一斉に京也たちの座るテーブル席を見た。視線に気づいた京也が、気まずそうに目を逸らす。

「京坊の気持ちは分からんでもない。〈赤目〉はおんの仇やからな。せやけど、仲間ひとり倒したところで〈赤目〉にはたどり着けへんねや」蒼一郎の声は優しかった。「それにワイらは護法師ごほうしやいうことを忘れたらアカン。ワイらはあくまで〈世界法則プロヴィデンス〉を無視して世界に干渉する〈魔〉を祓うんが本分や。それを忘れて感情だけに走ってしもうたら、そこら辺の〈魔〉と変わらんようになってまう。

 分かるな?」

「……ああ」

 押し殺した感情が、握られた京也の拳に現れていた。

「京坊。〈赤目〉の居場所が分かったら、真っ先に京坊に教えたる。せやから、それまでは待っといてくれ。ワイも〈遠見〉連中の真似事はできる。一度見つけたら、決して逃さへん。必ず見つけたるさかい、ワイを信じてくれへんか?」

「……ああ。蒼兄そうにィを信じるよ」

「ようやっと、その呼び方してくれたな」

 蒼一郎の顔がほころんだ。

「一応、こっちの連絡先も教えとく。〈赤目〉は自分に手ひどい傷を負わせたこの街の護法師を恨んどる。もしかしたら京坊ンとこが直接狙われるかもしれん。京坊のおんとかな」

 京也が驚いたように男を見る。

「まぁ、あのひとも分かってて護法師の嫁さんになったぐらいやからな。一筋縄ではいかんやろうけど」

 場の緊張を和らげようと、蒼一郎は明るい声を出した。

「ただ、もしもん時はひとりで突っ走らんと、必ず連絡するんやぞ。敵は〈赤目〉だけやないんやからな」

 蒼一郎が名刺を差し出した。

「そこに書いてある番号に電話をくれればすぐに飛んでったる」

 京也は差し出された名刺をまじまじと見つめた。

「蒼兄ィ、この『帯刀たてわき探偵社』って……」

「護法師は本業や言うても、なんぼも銭にならん。生活するには糧を得なアカンねや。昔と違ォて、いまは厳しいさかいな」

 蒼一郎は苦笑する。

「失せもの人探しなんでもござれの探偵社や。地元じゃけっこう有名やで」

 そう言って関西護法頭かんさいごほうがしら帯刀たてわき蒼一郎そういちろうはハードボイルドな笑いを浮かべた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?