授業をつつがなく過ごした
京也は部活をしておらず、雪葉は美術部に入っているためだ。
小高い丘の上に建つ
京也は国道沿いの歩道で、二人連れの男女とすれ違った。女性の方は男より頭一つ分低いが、どちらも長身だ。
「なんや、冷たいなァ」
そのまま去ろうとした京也の背中に男が声をかける。京也は立ち止まって振り向いた。男を見つめる京也の目は鋭い。
男は白のスーツをラフに着こなした、二十代後半の青年だった。無駄な贅肉もなければ、無意味な筋肉もない。ほどよく締まった体つきをしているのがスーツの着こなしからうかがえる。薄い色のサングラスの向こうから知的な視線が送られて来ていた。
女の方はオフホワイトのスカートスーツを着ていた。黒い艶やかな長髪と、透けるように白い肌とのコントラストが印象的だった。上品な雰囲気の美女だ。
「せっかく昔なじみに
どこか面白がっているような様子で、男が言う。
「人目があるだろ」
「別にええがな。一緒におんの見られたぐらいで、勘ぐるようなヤツはおらへんやろ?」
「……なんの用だ?」
京也の声はあくまで冷たい。〈
「そのとりつくしまのない態度はなんとかならへんのか。昔はもうちぃと素直やったのになァ」
わざとらしいため息をついて、男は言った。
「用がないんなら、俺は帰る」
「おい、コラ。待てっちゅうねん」
本当に背を向けた京也に、男は慌てたように声をかける。
「まぁ、ちィとばかし込み入った話になるさかい、どっか寄らへんか?」
言葉は疑問形だか返事を期待していないのは明らかだった。その証拠に、男は京也を追い越して先に歩きだした。その後ろを何も言わずに美女が続く。
京也は少しだけ眉をしかめたが、何も言わずにその後を追う。
男はすぐ近くにあった喫茶店に入った。土曜日なせいか、そこそこの客入りだ。一番奥のテーブル席に、三人が陣取る。
「で、なぜアンタがこの街にいるんだ?」
京也がそう切り出したのは、やる気のなさそうなウェイトレスが注文を取った後だった。
「もちろん、仕事や。本業のな」
「関西一帯を束ねる
「そらそうや。ワイが直々に情報持ってきたんやからな」
男のものを含んだ言い方に、京也はいらつきを覚えていた。
「教えてくれるんだろうな」
「もちろん。せやないと、わざわざ
昔の呼び名を出され、京也の眉が微かに上がった。男はそれに気づいているのか、ニヤリと笑いを浮かべる。
「その呼び方はヤメロ」
「水臭いこと言いなや。ワイと京坊の仲やないか。京坊がおねしょしたとき変わりに怒られてやったん、忘れたんか? あん時はワイも思春期やったさかいな。えろう恥ずかしかったで」
「…………」
仏頂面になった京也を見て、男の隣に座っていた美女がくすりと笑った。上品な笑い方だった。自分のことを笑われたにもかかわらず、京也は思わず見惚れてしまった。
「そう言や、京坊は
そんな京也の様子を見咎め、男が言った。その表情は明らかに面白がっていた。見惚れていたことを男に見抜かれて、京也の方はうろたえた表情を見せる。それを見て男は笑った。
「
美女――鈴音がやんわりとたしなめる。
「まぁ、これがワイラらの挨拶やさかい、なんも気にすることあらへん。さぁ京坊おまちかねの本題に入ろうか」
そのことについて京也に異論はなかった。目で男――蒼一郎を促す。
「〈
京也の表情が堅くなった。彫像のように無表情になり、息すらも止まっているように見える。
「間違いないのか?」
しぼりだすような京也の声。右手は何かに耐えるように、ぎゅっと握られている。
「ああ。長老連中から連絡があった。〈赤目〉の仲間が〈
「随分と懐かしい名前が出てきたな、オイ」
京也とも蒼一郎とも違う声が聞こえた。京也の影が、濃く強くなっている。声はそこから聞こえた。
「〈
「ケッ。手前ェが護法頭だと? あの青臭かったガキが、ずいぶんと出世したもんだな」
「相変わらず、口が悪いなァ」
蒼一郎が苦笑する。
「〈牙影〉。お前は黙ってろ」
京也の鋭い声が飛ぶ。
「おいおい。俺も当事者の一人なんだぜ? のけ者ってのはねェだろ」
「お前に聞く権利はない」
「かぁ――っ! ホント手前ェは可愛げがねェな」
「まぁ、そのくらいにしとき。〈牙影〉にも訊かなアカンことがあんねん」蒼一郎が二人の会話に割り込んだ。「なぁ〈牙影〉。お前確か、〈赤目〉の仲間を倒しとったな。どいつやったか、名前分かるか?」
「確か〈
「倒したんは、そいつだけやな?」
「ああ。残り二匹は逃げたはずだ」
「となると、残りは〈
「〈風薙〉とかって奴はもう、この街にいるんだな?」京也が訊く。
「それは確かや。〈赤目〉ともう一匹の方はまだ分からんけどな。せやけどワイはもう来とると思っとる」
「……〈風薙〉とかいうヤツは、何処にいるんだ?」
「それはまだ教えられへんな」
「なぜだ!?」京也の拳が机を叩く。「アンタは教えるために来たんじゃないのか!」
店内の客が一斉に京也たちの座るテーブル席を見た。視線に気づいた京也が、気まずそうに目を逸らす。
「京坊の気持ちは分からんでもない。〈赤目〉はお
分かるな?」
「……ああ」
押し殺した感情が、握られた京也の拳に現れていた。
「京坊。〈赤目〉の居場所が分かったら、真っ先に京坊に教えたる。せやから、それまでは待っといてくれ。ワイも〈遠見〉連中の真似事はできる。一度見つけたら、決して逃さへん。必ず見つけたるさかい、ワイを信じてくれへんか?」
「……ああ。
「ようやっと、その呼び方してくれたな」
蒼一郎の顔がほころんだ。
「一応、こっちの連絡先も教えとく。〈赤目〉は自分に手ひどい傷を負わせたこの街の護法師を恨んどる。もしかしたら京坊ンとこが直接狙われるかもしれん。京坊のお
京也が驚いたように男を見る。
「まぁ、あのひとも分かってて護法師の嫁さんになったぐらいやからな。一筋縄ではいかんやろうけど」
場の緊張を和らげようと、蒼一郎は明るい声を出した。
「ただ、もしもん時はひとりで突っ走らんと、必ず連絡するんやぞ。敵は〈赤目〉だけやないんやからな」
蒼一郎が名刺を差し出した。
「そこに書いてある番号に電話をくれればすぐに飛んでったる」
京也は差し出された名刺をまじまじと見つめた。
「蒼兄ィ、この『
「護法師は本業や言うても、なんぼも銭にならん。生活するには糧を得なアカンねや。昔と違ォて、いまは厳しいさかいな」
蒼一郎は苦笑する。
「失せもの人探しなんでもござれの探偵社や。地元じゃけっこう有名やで」
そう言って