俺は、強制的に召喚された直後から、鋼鉄の鎖を掛けられた。
大司祭から受けた死の楔と、フィアの命令語、二重の奴隷契約に縛られた。
生殺与奪のすべてを他人に支配された奴隷だ。
死の楔は自由に生きることを奪い、命令語は心を縛る。
そして、妖魔の群れとの戦いの最前線に、否応なく引き出され、漆黒色の骸骨兵や気味の悪い獣魔の群れと戦わされた。何度も血まみれになり、傷だらけのまま薄汚い地下牢に捨てられた。
俺は、フィアの奴隷だ。
フィアは、ギルク伯爵の奴隷だった。
つまり俺は、ギルク伯爵の奴隷だった。
だが、いや、だから……
この決闘で、ギルク伯爵との不愉快な関係にけりをつけてやる。
◇ ◇
星歴899年 11月24日 午後21時00分
ベルイット城館 鐘楼塔
決闘の場と決められたのは、鐘楼塔の最上階だ。
見遣ると、巨大な鐘を吊るした真下の床に、エリュシア古王国の紋章が刻印されている。
その紋章の前にギルク伯爵がいた。
ギルク伯爵は、甲冑を脱ぎ、紅い騎士服を身に着けている。
「気づいたな、ここがそうだ。貴様との決闘の場であり、フィアの左手に刻印を刻む聖域でもある」
「おまえに勝てば、刻印が手に入るということか」
挑発的な問いに、ギルク伯爵が好戦的な笑みを浮かべた。
「勝てるならば、だ」
騎士アリナが、俺とギルク伯爵に同じロングソードを手渡した。
「わたくし、王国騎士アリナが、この決闘の立会人を務めます」
アリナの後ろに、黒いドレス姿のフィアがいる。そう、刻印の儀式に臨むときに身にまとう、あの漆黒色のドレスだ。
フィアは、俺の勝利を信じて、その漆黒色のドレスを身に着けていた。
――負けられない。
フィアのために、俺自身のために、必ず、ギルク伯爵をぶち倒して、勝つ。
「この決闘は、エリュシア古王国の紋章授与の儀式における試練として、認めます」
王宮騎士アリナが宣言し、右手を高く振りあげた。
そして、振り下ろす。
「始めっ!」
◇ ◇
まずは定石どおり、両者とも間合いを計りながら、じりじりと互いに位置取りを競う。決闘はいえ、試合であるから両者の武器は同じ長剣だ。
決闘の場は、狭い鐘楼塔の最上階だ。
狭さゆえに、駆け引きの余地は少なく、剣技で凌ぎ合う展開になるはずだ。
牽制を繰り出しながら、ギルク伯爵が仕掛けてくるその瞬間を待ち続けた。
勝機は、その一瞬を制することで得られる―― そう、俺は確信していた。
だが、
「なるほど、考えるようになったな、獣人―― 乗ってやろう」
ギルク伯爵がぎろりと俺を睨んだ。
瞬間、ギルク伯爵が長剣を腰だめに構え、突進してきた。
速いっ!?
けして洗練された動きではない。それどころか、剣技としては、不格好な類だ。
しかし、速い。
俺は、虚を突かれた。
かろうじて、長剣を交わらせて、突進を受け流した。
ギルク伯爵の太刀筋は、乱雑で無様にさえ見えるが、速くそして重い。
「油断はするなよ。刃を潰してあるだけだ。当たれば、肋骨くらいは砕けるぞ」
ギルク伯爵が笑う。
嫌な笑いだ。余裕から笑っているのではない。戦いを、
なっ!?
振り向きざまに、ギルク伯爵が放ったものだと、半瞬、遅れて気づいた。理解するよりも、身体が反応していた。遅れていたら、俺は鼻先を飛ばされていたはずだ。
「少しはできるようになったか?」
ギルク伯爵が笑う。獲物をいたぶる猛獣の笑いだ。
俺の中で、不快感と怒りが湧きあがってくる。
この、笑いだ。
地下牢で、俺を斬り刻んだ鞭を思い出した。
ギルク伯爵は、残酷な冷笑を俺に浴びせ続けていた。
そして、俺を庇うフィアの細身にまで、鞭を振り下ろした。
悲鳴を堪えて、何度も俺を守る盾になったフィアを、このブタ野郎は笑いながら、鞭打った。
不快な記憶が、俺に戦えと命じる。
不愉快な笑いが俺の血潮をたぎらせる。
「ふざけるな!」
俺は戦術を捨てた。
ギルク伯爵の挑発に乗せられるなと、警鐘が心の片隅で鳴り続けている。
だが、俺の怒りは止まらない。
俺もまた、突進した。
そこへ、待っていたように、ギルク伯爵の剣が突き出される。
長剣を振り下ろし、その突き出された剣を捉えた。
俺の打ち下ろしを受けてなお、切先が俺の胸をかすめた。
ギルク伯爵の太刀筋は単純で、俺はすでにその動きを見切っていた。しかし、ギルク伯爵は、強引に撥ね退けた。
剣技で優っているが、パワーで負けているのだ。
だが、それがどうした。
パワーならば、獣人として転生した俺にもある。力押し勝負ならば望むところだ。
「さあ、来い! 獣人よ」
挑発的にブタ野郎の声が招く。
「ああ、てめえのどてっぱらに、斬撃をぶち込んでやるぜ」
俺も怒声を張りあげて応えた。
それからは、ひたすらに激しく打ち合った。大振りになるのも構わず、力任せに、長剣を叩きつけ合う。鋼鉄の刃が、砕け散り、火花が走る。
だが、力任せを頼みに競り合う展開は、長くは続かない。
破綻は、突然に訪れた。
「な、に……っ!?」
俺の長剣が砕けた。
ギルク伯爵が、砕けた俺の長剣を横薙ぎにした。
折れる。
叩き割られる。
破断した剣が宙を舞い、石張りの床へ刺さった。
フィアの悲鳴を聞いた気がした。
俺の鼻先へ、ギルク伯爵の長剣が突き出された。この長剣も刃こぼれして、ボロボロだ。
――ここまでか、フィア、すまない。
俺は敗北を悟り、観念した。
しかし、突き出されていた長剣は投げ捨てられた。
「まったく、なまくら刀では、満足に試合もできぬな」
獰猛さを隠さない声が笑う。
「わしらの本当の武器で戦おうじゃないか」
驚きだった。ギルク伯爵は、俺の敗北とは認めていなかったのだ。