アリナの案内で、ベルイット城下を散策した。焼き菓子屋や雑貨屋など、小さくささやかだが、可愛らしい店を回った。
フィアが青い瞳をまんまるにして、店先に並ぶクッキーやアクセサリーに浮かれていたのは、言うまでもない。
アリナとフィア、女の子同士で意気投合する様子に、獣人男子が入る隙間はなかった。
もちろん、これはアリナの気遣いだった。
雑貨屋でひとしきり楽しんだ後、武器商人の店舗へ案内された。辺境領には、冒険者や傭兵向けに、こうした武器屋がある。
しかし、ざっと物色したが、大したものはなかった。
大柄な獣人戦士である俺には、ニンゲン向けよりも巨大な武器が必要だからだ。
「少しだけ、お手合わせをお願いできますか?」
俺が手持ち無沙汰にしていると、アリナが涼しげにそう話しかけてきた。
予め話を通しているらしい。武器屋の店主は、俺には木製の戦斧を、アリナにはレイピアに似せた細い木刀を用意している。
「あの、
フィアが心配そうな声色で割って入った。
「ご心配には及びません。私も王宮騎士の端くれですから」
アリナがフィアをあしらった。なるほどと理解した。王宮から派遣されたアリナは、どこまで俺が強くなっているのか? を確認する役割もあるらしい。
いいだろう。伊達に死地を潜ってきたわけじゃないことを、彼女から王宮へ報告してもらおうじゃないか。
武器屋の店主が、店の裏口を開いた。
武器屋の裏には、練習場が用意されていた。購入した武器での試し切りや、矢や攻撃魔法など投射型武器の簡単な訓練ができる。
俺とアリナは、フィアの心配そうな視線に見守られて、簡単な試合をした。
俺は、木製の戦斧。アリナも木製のレイピアだ。
木製の模造刀とはいえ、獣人のパワーで討ち浴びせたら最悪、骨折くらいはするだろう。王宮の奴らはいけ好かないが、美しい女性騎士に怪我をさせる気にはなれない。どれくらい手加減すべきか? そんなことを考えて試合に臨んだ。
だが……
「は、はじめ…… てください」
フィアの少々、間の抜けた合図とともに、アリナが俺に打ちかかってきた。
澄んだ青い瞳に凄みが宿っていた。
「な、に……!?」
俺は焦った。
律動的なステップとともに繰り出されるレイピアに迷いはなく、的確に俺の腕や脇腹を捉えていく。
対する俺は、戦斧を盾としてかざした。ほぼ防戦一方に追い込まれた。
アリナが距離を詰めたチャンスを狙い、重い一撃をお見舞いしようと試みた。だが、戦斧の届く距離をアリナは見切っている。円運動で振り回す戦斧は、刃が届く距離を計りやすい。
対して、アリナのしなやかな身体が繰り出すレイピアの切先は、読みにくい。素早くステップしながらの刺突攻撃は、スピードと伸びがあり距離感が掴みにくい。
しかも、戦斧を盾として防御する以上は、大振りができない。振りあげた瞬間、胴体ががら空きになってしまう。
フェイントを織り交ぜながら、レイピアの素早い刺突攻撃を浴びせられた。
俺の戦斧の斬撃は、すべて見切られて、アリナを捉えることができない。
針のようなレイピアの突きのひとつひとつでは、ダメージは大きくない。
しかし、手数が多く、これが実戦だったら…… 獣人の強靭さをもってしても、確実にダメージが蓄積したはずだ。
模造刀での試合だから、やわらかく丸めた切っ先が俺の毛皮をなでるだけだ。
これが、真剣での戦闘だったら、俺は刺し傷だらけにされて血を流し続けていただろう。
「参った。降参だ」
俺は負けを認めた。
アリナが歩み寄り、俺に握手を求めた。清楚な女性騎士の息があがり、青い騎士服の胸元があえいでいた。俺の防御を崩すためには、それなりにスピードが必要だったということか。
「
アリナが解説した。
俺は唸るしかない。
荒廃した砦で妖魔の群れと何度も戦ったが、アリナのように素早い敵は、いなかった。近距離で組みあい、力押しにする戦い方が主だった。辺境に巣くう妖魔は、複雑な戦術を取ることはなく、もっぱら数に頼る戦い方をしているのだ。
騎士アリナは、フィアにも声を掛けた。
「フィア様も召喚魔法主体ですから、中近距離からのスピード攻撃への対処は、不得手のはずですよ」
フィアが、むっとしている。雑貨屋めぐりで、予めフィアのご機嫌取りをしていた理由が理解できた。女性騎士アリナの細かい気遣いに、内心で感心した。
「確かにそうだな」
不本意だが、俺は認めざるを得ない。
戦斧の巨大さと獣人のパワーでカバーしているとはいえ、円運動で振り回す戦斧は接近戦専用の武器だ。
フィアの魔法は、詠唱や魔法陣展開に時間がかかり、近距離は苦手だ。
俺とフィアのペアは、お互いに補い合う関係にあるが、中距離に隙間がある。アリナは、それを指摘したのだ。
「あ、でも、これが本当の決闘だったら…… どうでしょうか? わたしの息が切れる前に、レイピアで獣人のあなたの体力を削り切れるか? そんな勝負になるでしょうね」
同感だったが、盲点というべき戦術的な不備を突かれた敗北を前には、あまり慰めにはならない。
見遣ると、フィアが、俺の横で微妙にむくれている。
王宮騎士アリナは、フィアをちらりと見てから、釈明を続けた。
「あ…… もちろん、実戦となれば、
フィアがうんうんとうなずいた。俺は苦笑していた。だが……
「ギルク伯爵相手なら、そうはいかないか」
俺の懸念に、騎士アリナはうなずく。
この模擬戦を通じて、彼女が伝えたかったことは、間違いなく、これだろう。
「ギルク伯爵は、おそらく、〈変異〉の力を使われるでしょう。彼は、獣人の力を100パーセント引き出すスキル、〈変異〉の使い手でもあるのです」
アリナは続けた。
「ギルク伯爵は、〈変異〉を用いることで、スピード、パワー、スタミナの3つを同時に満たすことが可能です。明日の決闘で、彼に勝つことは難しいですよ」
やはりそうなるのか。
俺は自身の手を見た。獣人である俺にも〈変異〉のスキルはあるはずだ。しかし、解放されてはいない。
ギルク伯爵は、執拗に俺にも〈変異〉を求めていた。
一度も使ったことのないスキルだが、発動方法は体感的に知っている気がする。
やればできる。
俺の中にも、〈変異〉の力は宿っている。
だが、フィアは俺が〈変異〉のスキルを発動することを拒否している。
そう、〈変異〉を起こした獣人がどうなるのか?
その答えは、ギルク辺境伯爵を見たらわかる。
〈変異〉を起こした獣人は、人格を失う危険に晒される。
ニンゲンであることを捨てて、残忍な殺人鬼のごときケダモノに成り果てる。その代償に絶大なパワーを手に入れる。それが、〈変異〉スキルだ。
泣き震えて、命令語まで使い、俺の代わりにギルクに鞭打たれることをしてまでも、フィアは俺を〈変異〉から守ろうとした。
フィアは、この俺、
「俺にも、〈変異〉の力を使えというのですか?」
試しに問うてみたが、
「それは、どうでしょうね?」
アリナは、はぐらかすように笑う。
アリナは、つまり王宮は、ギルク伯爵との決闘を通して、俺に〈変異〉のスキルを解放しろと求めているのか? わからない。
〈変異〉は危険すぎるスキルだ。王太子を〈変異〉させたら、王室は大切なひとりだけの正統な血筋を失うことになりかねない。そんな危険は看過できないだろう。
しかし、王太子は人間だ。〈変異〉は獣人に限定のスキルのはず。
わからない。
わからない理由ならば、わかる。簡単だ。
俺が、王太子の複アカだからだ。
経験値をコピーできる複アカなど、この世界の理が許さない違法な存在だ。
だから、仮に俺が〈変異〉を起こしたとき、王太子にどんな影響が及ぶのか、それとも、リスクなしに〈変異〉で得られる力だけが手に入るのか?
それがわからない。
複アカによる影響が解らないから、王宮や、王宮騎士アリナが何を企図しているのか、判断できない。