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第22話 願いと取引と

星歴899年 11月22日 午前10時40分

エルム辺境領 脇道街道 


 黒塗りの馬車の中で、フィアは眠っていた。フィアには、ギルク伯爵配下の女官が付き添い、手当てをしている。

 幸いにも、フィアが撃たれたのは、ただの麻酔薬だった。

 ギルクのブタ野郎は、フィアに毒を撃ったと言えば、俺が従うと踏んでいたのだ。実にムカつくブタ野郎だ。


 だが、事態は急変した。

 すでに、ギルク伯爵は、フィアをただの奴隷少女とは見ていない。



 ◇  ◇



星歴899年 11月22日 午後13時20分

ベルイット辺境領 ベルイット城館


 俺は鎖に繋がれていたが、地下牢にはぶち込まれなかった。驚くべきことに、供応きょうおうの間にいる。辺境の城館では最も小綺麗な部屋に通されたのだ。


 あの深夜の襲撃の結果、砦が落ちた。

 結果、ベルイット辺境領は、ベルメト関門以南の領地を失った。

 俺たちがいまいるのは、ベルメト関門よりも北側に残されたわずかな土地を治める城館だった。

 このベルイット城館が、ギルク辺境伯爵の本来の城だ。

 もっともギルク伯爵は、この城館をほぼ留守にして、一年の大半を荒廃した南部領地の砦に出向いていた。

 なぜなら、砦には妖魔との戦いがある。軍人は、戦場に棲むということだ。


 ごく簡素だが、軽食とコーヒーを出された。これもまともな食事だ。ひび割れたレンガのようなパンではない。ハムを挟んだバケットだ。同じものは、ギルク伯爵の前にも出されていた。


 ギルク辺境伯は、王国でも屈指の武闘派貴族であり、良くも悪くも軍人だ。妖魔の軍勢と最前線で対峙し、戦い続けることを最優先にしていた。王国は、この男の戦い続けられる能力を評価していた。


 戦争継続―― それが、この筋肉太りした男のすべてだ。

 例えば、合理的と考えたなら、クォータエルフの少女を鞭で斬り刻むことにさえ、何の感情も持ちえない。


「どこから、情報を得た?」

 気圧されたら負けだ。俺は、いきなり確信を突いた。


「ほう、『この待遇の変化はなぜか?』とは、聞かぬのだな」

 ギルク伯爵が、ぎろりと俺を見据えた。危険な行動をためらわないタイプの人間だけが持つ、嫌な眼光が俺を射る。


「おまえは、のだな。いいだろう」

 ギルク伯爵が俺を値踏みしている。

 抜身の刃物を互いの首筋に向け合っているように、俺とギルク伯爵は無言で睨み合った。



 これは賭けだった。

 俺は、ギルク伯爵に「どこから情報を得たのか?」と問うた。

 正解は、あの黒き影の魔導士と踏んでいた。


 この問いは、ギルク伯爵に、と伝える意味を言外に含んでいる。

 そして、ギルク伯爵は否定しなかった。遠回しだが、俺の疑いを肯定した。


 なるほど、やはりそうか。

 俺は、納得した。


 森で会った妖魔の将、あの黒き影の魔導士がやりそうなことだ。

 俺の推論は、こうだ。


 黒き影の魔導士は、人喰い箱を召喚する魔導カードを残し立ち去った後―― 守備砦を包囲した。数千体の黒き骸骨兵の群れで包囲し追い詰めてから、ギルク伯爵へ交渉を持ちかけたのだ。


 ひとつは―― 俺たちが、エルム地下隧道ちかずいどうへ向かうように、ベルメト関門を封鎖させた。


 守備砦を放棄し、防衛線を下げてベルメト関門の防備を固めることは、戦略的に何の矛盾もない。ギルク伯爵としても、無為に守備砦で全滅するよりも、取引に応じる判断をするだろう。


 ふたつめに―― 地下隧道ちかずいどうから俺たちが出てくるタイミングを伝え、俺たちを捕獲させた。交渉に俺たちを引きずり出すためだ。


 交渉の内容も目星がついている。

 フィアの左手、エリュシア正王家の刻印を見詰めるギルク伯爵の表情から、容易に想像できた。世界最高の家格を持つ奴隷少女の利用価値に気づいたのだ。


 現存するほとんどの王家は、統治の正統性をエリュシア正王家に持っている。

 ギルクのブタ野郎は、野心に目覚めたらしい。


 フィアが正王家の紋章をすべて集めて、至高の地位へあがるとき、ギルクも、辺境伯から王様へランクアップできる―― おそらく、そんなところだろう。王都の言いなりのブタ野郎と思っていたが、野心はあるということだ。


 危険極まりない話だ。

 王都の宮廷貴族たちに知られたら、討伐軍を派遣されるだろうか?

 戦闘狂のギルク伯爵は、そうした危険すら愉しむかも知れないが……


 俺は、助力を与えると言った、あの黒き影の魔導士を思い浮かべた。ギルク伯爵は、あのいけ好かない魔導士に、踊らされたのだ。


 黒き影の魔導士は、裏切ったのではないと理解した。

 このギルクのブタ野郎と取引して、俺たちの進路を開いたのだ。


 どうする?

 鎖に繋がれた姿で自問自答した。


 ギルク伯爵は、俺がやつの野心に気づいたことを、理解したはずだ。

 このブタ野郎にとって、俺は、破綻の端緒になりかねない危険な棘になった。

 フィアは、野望を叶える鍵になった。


 整理して考えよう。 


 フィアは、自身の生まれ故郷を知りたい。


 黒き影の魔導士は、理由は不明だが、フィアをして正王家の血筋を復活させるつもりだ。見返りに何を望むのか?

 わからないが、いまは味方のはずだ。警戒は必要だが。


 ギルク伯爵は、おそらくフィアを正王家の姫君に擁立し、彼女の後ろ盾として権勢を振るう立場を目指しているはずだ。


 俺の願いは単純だ。

 どこまでもフィアを守る。俺はフィアに絶対服従の奴隷であり、守護者だ。

 フィアを安全と幸せが得られる場所へ連れて行きたい。

 智菜の元へ帰るのは、それからだ。

  フィアが望むなら、絶対にお姫様にしてやる。


 それら4つの願いを同時に叶える共通解は、ひとつだけある。


 フィアが―― エリュシア正王家の刻印をすべて集めること。

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