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第18話 初めての刻印の儀式を受ける祭儀場

星歴899年 11月21日 午前7時00分

ベルイット辺境領 エルム地下隧道ちかずいどう地底湖


 翌朝、早くに食事を済ませ、メイドの自動人形が用意した船で地底湖を渡った。

 メイドが説明した。

 この湖の底に秘匿された第7階層が存在し、刻印の祭儀場はそこにあるというのだ。


 フィアは儀式用の正装となる黒いドレス姿。これも人食い箱が用意した。あの黒き影の魔導騎士は、完全にこちらの展開を読んでいる。

 見張られているとしたら…… 


「あやしいのは、こいつか?」

 ハコちゃんこと、人喰い箱を睨んだ。

 このふざけた人喰い箱がスパイだろうか? あまりにもおまぬけな見た目の人喰い箱だけに、これが監視装置だとは、正直信じたくなかった。


 そして、俺の衣装はというと、昨夜と同じ黒いタキシード姿だ。同じといっても、きっちりシャツにアイロンがけされている。

 クロイツエルは、いけ好かないキザ野郎だが、この誠実な仕事ぶりには感心した。

 さすがに、ヤツ自身が準備しているとは思えない。それでも配下には、仕事に誠実な従者がいるはずだ。何にせよ、誠実な仕事には感謝すべきだ。


 朝食の後、メイドは、俺とフィアを桟橋へと案内した。

「さあ、紋章授与の儀式へ参りましょう」

 ゲストハウスのガラスドアが開け放たれた。朝の清涼な空気が気持ちよかった。


 そして、メイドの自動人形は、ゆっくり優雅に櫂を操る。

 ゴンドラと呼ばれる類の手漕ぎ船だ。舳先にオレンジ色に輝くカンテラを吊るし、まだ薄暗い湖面を滑るように進んだ。


「ここですわ」

 メイドが船を止めた。

 案内されなければ絶対に気付けなかっただろう。黒い水面の中に、小さな祠が突き出していた。俺が先に渡り、フィアの手を引いた。ドレスにヒール履きのフィアは、足元がおぼつかない。


 フィアの手を引き、湖水で濡れた石階段を降りた。

 先に立ち、カンテラを手に案内するメイドは、さすがは自動人形だ。石階段を律動的なステップで降りてゆく。


 石階段をずいぶん降りた後、開けた地下空洞に出た。真っ暗で何も見えないに等しい。メイドが手にしたカンテラは、俺たちの周囲だけを照らしており、この空間がどうなっているのか? まったく分からない。

 ただし、音の反響具合から、この空間が半球形をしていること。ドームスタジアム並みの広さと高さを持っていることを、獣人の耳が告げていた。


「ここが試練と祭儀の間です。フィア様は、ここからはおひとりで進んでください」

「あの、ここに何があるのですか? 試練って……?」

 フィアが聞き返した。


 カンテラの光の中で、メイドが笑う。

「ご心配ありませんわ。この祭儀場には真実を映す鏡があります。その鏡に映るご自身の姿を見ること―― フィア様が見るべき真実を見ること。それだけですわ」


「あ、そうなんですか」

 フィアがほっと安堵した。

 メイドがフィアを賓客として扱っている以上、少なくとも、ドレス姿で戦いになる場面はないと踏んでいたのだが…… 俺は、一抹の不安を感じた。


青藍セイラン、ちょっといってくるね」

 フィアは繋いでいた手を放す。黒いドレスに開いた白い背中が、闇の中へ小走りに駆けて行った。


「あっ!」

 闇の中から、フィアの悲鳴がした。


「フィアっ!」

 思わず叫んだ


「だいじょうぶ、ちょっと、転んだだけ」

 フィアのてへへっと、照れ笑いを含む声が返ってきた。

 驚かせやがって…… 俺は、ため息をついた。


 フィアが立ち上がり、ドレスの裾を直している様子が聞こえた。それから、慎重になった靴音が聞こえた。


 だが……


 ふいに靴音が途切れた。

 目を凝らしても、深い漆黒が視界を閉ざしている。

 獣人の耳を澄ました。フィアと俺の間に、不可視で遮音性の膜があるかのように、音が空間に吸い取られている。


「ご心配な様子ですね」

 カンテラの光の中で、メイドの自動人形が微笑む。端正な顔立ちだが、機械的に整った微笑みからは、意味が取れない。


「俺が、フィアを助けに行きたいと言ったら、何か問題はあるのか?」

 一瞬、躊躇したが、疑問はさっさと片付けるべきだと腹をくくった。


「いいえ。。ですが、獣人殿。いまからフィア様を追いかけることは、あなたも真実の鏡を見ることになりますが…… よろしいでしょうか」

 メイドの言い回しが妙に引っかかるが……


 ――俺の真実の姿だと?


 ああ、問題はない。

 俺は、俺が本当は誰なのかを知っている。


 理不尽にも突然に異世界へ召喚された高校生だ。

 いまさら、見慣れた元の顔を見たところで、驚くことは何もない。


「大丈夫だ。問題ない」

「そうですか。それなら、お行きください」

 メイドはそういうと、カンテラの灯を消した。


 周囲は完全な闇に閉ざされた。眩暈がするほどに何も見えない闇だ。

 だが、俺は、獣人の耳はフィアが駆けて行った方向を覚えているし、消えるまでの歩数も数えていた。

 フィアの小さな歩幅で192歩。転んだ分を差し引いて、約190歩だ。

 俺なら、80歩ほどで到達できる位置に、まず、何か遮音性の壁体があるはずだ。


 俺は小走りに駆けだした。

 背後で、メイドがお辞儀をして見送る気配がした。



 ◇  ◇



 74歩の位置に、石張りの床に乱れを見つけた。長い時間の経過により傷んだらしい。床に敷き詰められているはずの石が、ひとつ外れて転がっていた。それを靴先で踏み、確認した。フィアはこれに躓いて転んだのだ。


 ならば、あと、6歩で、何かある。


 俺は慎重に歩んだ。

 武器は携行していない。おそらく、メイドの話から察するに、真実の鏡がもたらす試練は、心理的な現象のはずだ。俺は微かに鼓動が高鳴るのを感じていた。


 5歩


 4歩


 3歩


 2歩


 1歩





 突然、白昼の陽光の中へ飛び出した。

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