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第17話 自動人形が話す刻印の儀式

 星歴899年 11月20日 午後22時30分

 ベルイット辺境領 エルム地下隧道ちかずいどう内 ゲストハウス



「まだ刻印の儀がお済ではないとは…… では、当館が姫君にとって初めての刻印となるのですね。光栄にございます」


 遅い夕食のあと。デザートのプリンを配膳したとき、自動人形のメイドは、フィアの手元を見て、こう切り出したのだ。


「え?」

 淡い水色のドレス姿で、フィアが思わず聞き返した。

「あの、刻印って、なにですか?」


 メイドは、眉をひそめ、微かに怪訝そうな表情になった。

「エリュシア正王家を継がれる方々は、その左手に王家の刻印をお持ちです」

 メイドの言葉にフィアが驚いて、自らの左手を見詰めた。もちろん、きれいな白い手だ。


 俺は、どきりとしたが、フィアは臆することなく聞き返した。

「あの、私は、少し事情があって、幼い頃の記憶がないんです。あの、詳しく教えてくださいませんか」

 フィアは慎重に言葉を選んでいる。自動人形相手とはいえ、奴隷にされていたとはさすがに言えない。


 メイドは、微かに小首をかしげた後、しかし、丁寧な口調を変えなかった。


「では―― 僭越ながら、ご説明いたします。

 エリュシア正王家を継がれる方々は、16歳になると、領内各地を訪ね回り、その左手に刻印を集める慣例があるのです」

 俺とフィアは顔を見合わせた。初めて聞く話だ。


「正王家の紋章をすべて集め終えた者は、正式に、正王家の一員として迎え入れられ、エリュシア正王国の政務に着く習わしです」


 メイドは続けた。

「いくつもの町や史跡、城館などを巡り、儀式を繰り返すことで、刻印を刻んでゆくのです。護衛の獣人を伴い当館をお尋ねになられたのは、刻印の儀を行うためですよね」


「あ、えっと……」

 フィアが困って口ごもる。

 しかし、自動機械のメイドは笑顔のままだ。


「エリュシア正王家は、教育が厳しいことで知られています。何も知らされないまま、旅に出ることもありましょう。ご苦労なご事情はお察しいたしますわ」

 フィアと俺はため息をついた。メイドは、俺たちの無知を好意的に解釈してくれたらしい。


青藍せいらん、あたし、どうしよう?」

 フィアが戸惑いの瞳を俺に向けた。

 左手にエリュシア正王家の紋章を集めることで、フィアは正王家の正式なメンバーになる。つまり奴隷少女が、世界最高位の姫になるのだ。


 高揚感はあるが、俺は自分自身を冷静になれといさめた。冷静に考えたら、かなり危険な話した。何せ、俺とフィアは、戦場から脱走した奴隷戦士なのだから。あのギルク辺境伯爵に知られたら、どうなるか、わかったモノじゃない。

 それに、俺とフィアの胸には、心臓に達する〈死の楔〉が打たれている。

 俺たちは、抵抗が即、死に繋がる呪いに囚われた奴隷だ。


 それでもと、俺は自身の心を鼓舞して、フィアに言う。

「儀式を受けるしかないな。フィアが生き残る可能性が少しでも多い方に掛けるべきだと思う」


 正直にいって、あの黒き影の魔導士に踊らされていると感じていた。だが、ドレスを嬉しそうに選ぶフィアの姿を見て決めたのだ。

 奴隷少女のままでは、フィアを守り切れない。

 フィアを幸せにしたいと。


 もしも、フィアをお姫様にすることができるのなら、フィアを今よりもはるかに、幸せにできるはずだ。命を魔物との戦いにさらすこともなくなる。

 俺の望みは、俺がなすべきことは―― フィアを幸せにすることだ。



 ◇  ◇



 この世界に召喚されて、初めてまともな寝具で眠った。いつも、冷たく薄暗い地下牢でうずくまって眠っていた。ひさしぶりの快適なベッドなのだ。

 だが、疲れているはずなのに、なぜか、寝付けなかった。


 ベッドはふたつ用意されていたが、フィアはいつもどおり俺の傍らに眠っている。違うのは、枕をちゃんと使っていることくらいだ。普段は、俺のしっぽがフィアの抱き枕だった。


 用意された部屋は、このゲストハウスでも最上階南向きの部屋だった。けして華美ではないが、大きな天窓があり、星空を楽しみながら眠ることができる。


 そう、この大空洞は、地上に通じていた。

 ゲストハウスの真上だけが、地上までまっすぐ縦穴として貫かれている。夜間だから、気づけなかったが、地下隧道の真ん中にあって、ここだけが太陽の光を浴びることができる。分厚い岩盤を魔法的な力で貫いたらしいのだ。

 古王国の技術力を見せつけられた思いだ。


 夜着姿のフィアは、子リスのように丸くなって眠っていた。

 俺は、星空と、フィアの寝顔とを交互に眺めながら、召喚されたときのことを思い出していた。


 まだ、悪い夢を見ているのかと、思う時がある。

 正直に言えば、元の世界へ帰りたい。


 だが、俺を信頼しきって、いまも身を寄せて眠るフィアを―― 俺は守らなければならない。

 もしも、フィアがエリュシア正王家の姫君として迎えられるときが来るとしたら…… 俺とフィアのふたりだけの関係は終わる。フィアは俺だけのものではなくなるだろう。

 しかしだ。俺は、その日まで、フィアを守り通そうと誓った。

 愛おしい寝顔を見守りながら……

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