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第10話 食肉獣魔に呑まれたクォータエルフの少女

 俺は、フィアを吞み込んだ食肉獣魔を見遣った。獣人の耳を澄ます。

 フィアをまだ助けられる。希望はまだある。


「気がついたか? だが、もう、遅い」

 クロイツエルが、剣を振るう。

 こいつ、死霊術士などではない。研ぎ澄まされた刃が、正確に俺の首を狙い、宙に鋼鉄の弧を描く。太刀筋から判断した。こいつは高位の《魔導騎士》だ。


 ……せ、青藍せいらん…… GO!


 黒き刃と赤錆びた戦斧が相食んだ。

 フィアは、食肉獣魔の腹腔の中で溶解液に溺れながら叫んだ。必死の声が、俺を解き放った。


 一気に振り抜いた戦斧を、黒き影の魔導騎士はかろうじて受けとめた。こいつ、やはり、できる。だが、獣人の全力で振り抜く戦斧は重い衝撃波を伴い、黒き剣を粉砕した。


「な、にっ?」


 クロイツエルが驚愕の声を漏らした。

 俺は、さらに戦斧を振るう。

 クロイツエルは砕けかけた剣をかざし、戦斧をしのいだ。

 だが、二度目はない。

 音速越えの戦斧は、黒き刃を打ち砕き、そのまま黒き魔導騎士を横薙ぎに切り払った。


 手ごたえはなかった。

 黒き魔導騎士は、霧散した。

 逃したのか? 


 しかし、魔導騎士の追撃は後回しだ。

 俺は、ただちに食肉獣魔へと走った。触手のごとき蔓が俺めがけて走る。戦斧を振り、蔓を斬り払う。


 食肉獣魔の懐へ飛び込んだ。だが、こいつの中にフィアが囚われている以上、戦斧の斬撃を無差別に浴びせるわけにはいかない。

 戦斧を分厚い肉壁に押し当てた。体重をかけて、縦に押し切りにする。


「くっ、硬い……」

 振り下ろすことが大前提の戦斧にとって、人質を取られたこの状況は不利だ。

 しかし、やるしかない。

 しかも、急ぐ必要がある。

 獣人の耳は、食肉獣魔の中でも足掻いていたフィアが、急に無抵抗になったことを捉えていた。失神したか、それとも窒息…… まさか溶かされてしまったのか?


 力任せに押し当てた戦斧を、下へギリギリと引き、分厚い肉壁を切り裂いた。

 しかし、まだ、浅い。

 肉食獣魔の悲鳴が耳をつんざく。無防備な俺の背中を、容赦なく蔓が鞭となって切り裂いた。またも鞭だ。俺は獣人で奴隷だが、鞭打たれるのは嫌いだ。


「いい加減にしやがれ!」

 食肉獣魔の腹に刻んだ裂け目に、深く戦斧を捩じ込んで、力の限りに押し切りにした。生温かい樹液のような食肉獣魔の体液を浴びた。ようやく届いたのだ。


 戦斧を投げ捨てた。

 裂け目を両手で力任せに開いた。

 食肉獣魔の絶叫が轟いた。


 どばっと大量の溶解液がほとばしった。

 フィアが身に着けていたはずの衣装が、ずたずたに裂けて流れ出た。


「ちくしょう、フィア!」


 だが、俺の悲痛な叫びは、届いた。

 裂け目の奥に白い足が見えた。

 俺は深く両手を裂け目に差し入れて、少女の小さな体を引き出した。


青藍せいらん ありがと…… げほっ! けほっ!」

 腕の中に取り戻した少女は、ずぶ濡れで生まれたての天使のように、俺を見あげていた。かろうじて白い木綿のインナードレスだけが残っている。

 咳き込んだ。食肉獣魔の溶解液をいくらか吸い込んだらしい。



 だが、まだ、終わりではない。

 瀕死の食肉獣魔はしぶとくまだ生きている。鋭い棘を生やした蔓が、耳障りな悲鳴とともに俺の周囲を囲みうごめいていた。


 こんな状態のフィアをかばいながらでは、満足に戦えない。

 再び戦斧を片手で構えたが……



「ネペンテス、〈HOUSEハウス〉」

 ふいに湧いたのは、獣魔に〈戻れ〉と命じる黒き影の魔導騎士の声だった。やはり、あの斬撃では仕留めてはいなかったか。


 再び現れたクロイツエルは、傷ついた食肉獣魔を慈しむように撫でた。その場で治癒魔法を、ネペンテスと呼んだ食肉獣魔にかけた。

 そして――

「ネペンテス、〈GREATグレート〉」と称賛の言葉を与えて、召喚陣の中へ戻した。


 俺は、その間、フィアを抱きかかえた不利な体勢のまま、戦斧を手に身構えていた。だが、予想した攻撃は何も襲ってはこない。


 ふいに、腕の中に抱きとめたフィアの首元に気づいた。


「……どういうつもりだ?」


 フィアが、ギルク伯爵から与えられた奴隷の首輪をしていないことに気づいた。木綿のインナードレスだけを残して、騎士服とともに溶かされたのだ。


「手荒な真似をして失礼した」

 黒き影の魔導騎士クロイツエルは、胸に片手を当てて、芝居じみた仕草でお辞儀をした。こいつの仕草は、いちいち癇に障る。


「我々の上層部より、クォータエルフの少女について、詳細ステータスを得るように命じられていた。獣人の勇者らしい何者かについても、折を見て可能なら調べよとのお達しだったが……」


 何だと?

 勇者王太子の複アカである俺が、狙われていると思っていた。あれはブラフはったりだったのか。

 黒き影の魔導騎士は、俺のむかつきなど意に介す様子もなく、手元に水晶板を呼び出した。同時に、俺とフィアの目の前にも、小型の召喚陣が開き、もうひとつ水晶板が出現した。


「見るがいい。私の言葉の意味を理解できるはずだ」

 フィアが手を伸ばして、水晶板を受け取った。

 大司祭やギルク伯爵が、俺のステータスを確認するために使った水晶板と同じだ。


「上層部が、クォータエルフの少女を気にするわけだ」

 俺とフィアは、ステータスに見入った。

 あの食肉獣魔がフィアを取り込み、溶解液の中で弄り回して取った詳細なデータだ。幼い頃の記憶が欠落していたフィアにとって、自身の出自は完全に謎だった。


 奴隷にされる前のフィアが誰なのか?

 その謎の答えが、水晶板に蛍光として刻まれていた。

 フィアの紺碧色の瞳が、驚きで見開かれていた。


「クォータエルフの娘から、ステータスの隠蔽が目的と思われる魔導は、すべて除去した」

 黒き影の魔導騎士は、にやりと微かに口元をゆがめた。


「奴隷鎖も溶かした。少なくとも、これでギルク辺境伯爵の奴隷ではなくなった。

 しかし、〈死の楔〉は解除できていない。獣魔ネペンテスの溶解液では、心臓を貫く深さにある〈死の楔〉は溶かせない」


 俺とフィアに刻まれた死の楔は、胸郭の奥深く、心臓にまで到達している。胸の谷間に刻まれた紋章は、死の楔の先端部でしかない。


 黒き影の魔導騎士の黒い目線が、俺を射抜いた。

「獣人奴隷よ。聞け。

 その少女は、いまだ王国大司祭の奴隷だ。その少女の胸には、心臓まで繋がる死の刻印の楔が打ち込まれている。つまり、少女の生命はいまだ大司祭の手中にある」


 俺はギリリと歯ぎしりした。

 逃れられない奴隷の運命。鞭の痛みで俺たちは、何度も忌々しい事実を焼き付けられてきた。

 俺は、この世界に転移してまもなく、王都の大司祭から死の楔を受けた。フィアも、俺と出会う前に、奴隷にされる過程で同じ種類の楔を打たれたのだろう。


「だが、クォータエルフの娘は、。その娘の血筋を目的に、近づく者が現れるだろう」

 まだ浅い息をしているフィアを抱いたまま、俺は水晶板に浮かぶ文字を睨みつけていた。半信半疑だが、事実ならば―― フィアは王侯貴族たちから争奪戦の的にされかねない。


 だが、黒き影の魔導騎士は続けた。

「目標はできたはずだ。これから、向かうべき先も……

 運命に抗うならば、我々、妖魔軍には、おまえたちへ援助の用意がある」

 黒き影の魔導騎士クロイツエルが告げた。先ほどのように冷笑はしていない。


 意外だった。

 しかし、こいつ、初めからそのつもりで、俺とフィアを試したのか?

 ちくしょう、何もかもが、気に入らない。

 こいつの掌の上でまんまと踊らされた。


 だが、フィアが俺の腕をすり抜けると、真っ白なインナードレスを恥じらいながらも、前に歩み出た。ごく控えめなデザインのワンピースだが―― 大きく開いたフィアの背中に見惚れそうになる。


「お申し出に感謝します。どうぞ、私たちにご助力をくださいますように」

 そして、フィアは小声で俺に、「〈SIDEサイド〉」と命令語を使った。俺は仕方なく、フィアの右隣にひざまづいた。


 黒き影の魔導騎士は歩み寄ると、フィアの前に守護騎士のごとくひざまずいた。

 フィアが白い手を差し出す。

 黒き影の魔導騎士は、フィアの指先に唇を寄せた。

「我らが申し出をお受け頂き、光栄にございます」

 どこまでも芝居じみた仕草だ。


 ちくしょう、俺はこのいけ好かないキザ野郎を一発殴りたい。

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